第100話 わがままを許して



「いきます! ――はぁっ!」



 銀の髪をなびかせ、エッドの胸に想い人が飛び込んでくる。

 とは言っても、思いきり拳を振りかざして――だが。


 誰の魂に乗っとられているわけではない。その拳に纏わせているのまぎれもない、彼女自身の水のように澄んだ魔力である。


 それがこんなにも、空っぽの胸を締めつけるものだとは。


「……いい動きだ」


 しっかりと握りこんだ拳が鼻先に迫るのを見、エッドはそう呟いて身体を捻った。

 亡者にしか出来ない避け方ではない。メリエールの打ち込みは素直で狙いも正確だが、事実エッドなどの拳闘経験者を捉えられるほどではなかった。


「やぁっ!」


 初手が空振りに終わっても、メリエールは動揺しなかった。

 すぐに体勢を整え、脇腹を狙った蹴りへと移行する。


「君の蹴りを拝める日が来るとはな。“起きあがって”みるもんだ」

「真面目に、とり組んで――くださいッ!」


 キッと翠玉の瞳を向けられ、エッドは小さく肩をすくめた。


「もちろん大真面目だぞ」


 避けるばかりでは手合わせにならないと言いたいのだろう。

 エッドは屈んで足を踏んばり、義手で蹴りを受けた。


 素足が金属を打つ鈍い音が、夜の野営地に響きわたる。


「……ッつ!」

「大丈夫か? これでも、かなり衝撃は逃したと思うんだが」

「な、なんのっ――!」


 二歩ほど飛び退がり、聖術師は細い足をさする。

 その足でまたしっかりと地を踏みしめたのを見、エッドは心中で胸を撫でおろした。


 それでも外野から見守る大小二つの黒い影が、遠慮なく自分を睨むのを感じる。


「うわぁ、いたそー……」

「素手の手合わせで義手を使用するとは。さすがは亡者、見上げた根性です」

「お前らな……」


 予想どおりの批判にエッドは落ち込んだが、反論してくれたのは相対者だった。


「いいのよ。私の身体がまとう聖気を使い、優位に立ちたいとは思っていません。……エッド。訊こうと思っていたのですが、その黒い腕は――」

「秘密兵器ってやつだ。けど制作秘話を語る時間も、怒られる時間もないよな?」

「……。ええ」


 言いたい言葉を飲み込み、聖術師はふたたび構える。

 今は拳で語り合う時なのだ。


 懲りもせず堂々と正面へ拳を突き出すその姿に、エッドは苦笑した。


「君の“先生”は、ずいぶん素直な人だったんだな」

「はい、それはもう! 撹乱の動きも、勝つための“小細工”も――なにひとつ、教えてはくれなかったわ」


 回避のために横に跳んだエッドを追って、長い脚から蹴りが繰り出される。

 その大ぶりな動きを易々とかわし、エッドは想い人を見下ろした。


「はぁっ……!」


 人間らしい汗を額に滲ませたメリエールは、澄んだ翠玉の瞳を瞬かせる。その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。


「……身体を動かすのは良いものね! 頭にかかっていた雲が消えていくみたい」

「いいものは見えたか?」

「ええ。――やあっ!」

「っ!」


 微笑んだ瞬間に顎を狙った一撃が放たれ、エッドは寸でのところで避けることになった。

 しかし顎の皮を若干掠めたらしく、摩擦のような熱が灰色の皮膚を走る。


「ッつ……! こりゃ、油断できないな」

「あっ、当たった!? やった――でも、ごめんなさい!」


 歓喜と驚愕、そして申し訳なさから口を手で押さえたメリエールに、亡者は思わず吹き出した。


「……ははっ! やっぱり、君だな」

「な、何なんですかそれっ!」

  

 不満によって反射的に放たれた単純な一発を、エッドは義手の掌を開いて受け止める。

 近距離だったのでそれほどの衝撃もなく、白い拳をあっさりと黒い指で包み込んだ。


 砂埃の尾を引き、彼女の腰布が静かに舞う。


「捕まったぞ。さあ、どうするんだ?」

「……」


 まっすぐ伸びた腕に絡まった銀糸のような髪が、音もなくひと束垂れ下がる。

 その向こうで伏せられている顔から、か細い声が落ちた。


「……エッド。私は――私は、どんな人間でしたか?」

「メル?」


 掴んだ拳が、わずかに震えている。義手を通し、その震えはエッドの腕に伝わった。


「十二年前、あなたに聖堂の外に広がる世界へと導かれました。聖堂の人たち以外と寝食を共にしたことはなく……それはもう、世間知らずな娘だったと思います」

「……まあ、全否定はできないな」


 エッドは懐かしさに金の双眸を細めた。


 意気揚々と王都を発つ、若き勇者の一団。

 その最後尾を静々と歩く、緊張した面持ちの若き聖術師――しかし好奇心に輝く瞳は広大な景色に見入り、感嘆の吐息を落としている。


 そんな彼女を、同じく若い自分はこそこそと覗き見ていたものだ。


「憶えてるか? 最初に野営した晩――水汲みに行った君が戻らなくて、皆で血眼になって森に探しに行ったこと」

「は、はい……。月が“祈りの星”の近くまで登っていたので、水汲みも忘れて礼拝していたんですよね、私……。さっそく、ニータに怒鳴られたわ」


 耳まで赤く染まっているが、メリエールは拳を突き出した格好から動かない。

 エッドはその拳を受け止めたまま、静かに言った。


「どんな人間だったか、か……。俺にとっちゃ、君は君だよ。何も変わってない」

「私、もうあれほど世間知らずでは――!」

「そういうところじゃなくて。君の、良いところってことだ」


 呼吸が落ち着いてきたのか、上下に揺れていた細い肩が動きを止めている。

 それでも、彼女は頑として顔を上げなかった。


「素直なところ、優しいところ。人の想いに敏感なところ。それに、たまにちょっと過激なところ――。俺の知る“メリエール・ランフア”は、今でもそんな素敵な人のままだ」

「……」


 自分の言葉が、どれほど彼女の心に刺さったかはわからない。

 長い沈黙のあと、メリエールはようやくゆっくりと顔を上げた。


「……ありがとう。エッド」


 吹けば消えそうなほど、儚い微笑。


「……」


 その表情で、自分の想いは彼女の信念の炎を消すことは出来なかったのだと知る。


「自分で言うのも何ですが……私、パーティーでは結構“いい子”だったと思うんです」


 彼女がこの先の言葉を紡ぐのが怖い。そう感じながらも、エッドは茶化すことなくその場に立っていた。


「あなたから指示があれば、何も考えることなく従ったわ。それが自分の役割だと思ってね。でも、それはあなたに頼って――楽をしていたに過ぎない」

「そんなことは――!」


 たしかに、彼女はパーティー内で主張することはあまりなかった。

 個人的に意見を求めた時など、その現実的な助言に驚かされたものだ。


「だから最後くらい、自分で考えたことを信じてみたいの。救えるものは、なんでも救いたい」


 小さく頭をふり、想い人は力なく微笑む。

 まるで、無様な懇願のように。



「ごめんなさい。どうか“わがまま”を許してください、エッド」


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