第99話 お行儀よくするのは止めにして



「死ぬ……? 君は、他人を助けるために自分が死ぬっていうのか」



 エッドが低い声で言うと、メリエール・ランフアは一瞬呆けた顔になる。

 言葉を探すように翠玉の目が宙を彷徨い、苦笑を引き出した。


「その言葉――そっくりそのまま返させてもらうわ、エッド。身に覚えがないとは言わせませんよ?」

「お――俺が死んだ時とは、わけが違う! そいつは……!」


 敵を罵倒するための言葉が出てこない。“言葉封じ”にかかったように舌が絡まった。


 その隙をついて、想い人が落ち着いた声を放つ。


「ええ。呪われし剣の『核』を担う、罪深き魂――そして私のご先祖様に聖術を教えてくださった、お師匠様です」

「……!」


 血溜まりの中に横たわる聖術騎士の姿を思い出し、エッドは顔を歪める。


「それに……契約書に囚われた私の意識が崩壊しなかったのは、彼らのお陰でもあるわ。自分を見失う暇もないほど、賑やかに時を彩ってくれた」

「……たしかに幸運な作用もあったかもしれませんが、彼らは貴女を新たな“受け入れ先”にしようと画策していたのですよ」

「そ、そーだよ! あんたの身体はいろんな人に乗っとられて、そんなボロボロに――!」


 闇術師たちの反論にも、メリエールは静かな笑みを浮かべるだけである。


「いいのよ。過ぎたことは」


 逝った仲間を思い出しているのだろう。アレイアが苦々しい声を振り絞る。


「……っ! どうして聖術師あんたらときたら、みんなそう、あっさりっ……! もっと恨んで、もっと悔しがってもいいのに!」


 その様子にメリエールは一度長いまつ毛を伏せ、厳粛な――みずからに言い聞かせるような――声で言った。


「すべての魂が、善と悪の面を持っているわ。私たち聖術師でさえ、時にはおぞましい道に堕ちることも」

「……」

「そしてその泥濘ぬかるみで足掻く魂を見つけ、手を差し伸べることは、残された聖術師の仕事なのです」


 聖術師の視線が聖宝に飛んだのを見、管理者である闇術師は音もなく細剣を拾いあげる。

 さり気ない、しかしどこか刺すような声を聖なる友に投げた。


「勤勉なことですね。貴女は今、“休暇中”ではなかったのですか」

「意地悪を言わないでちょうだい、ログ」

「……。言いたくも、なりますよ……」


 その吐き捨てるような呟きを拾ったのは、自分の耳だけだっただろう。

 エッドは熱くなった心に冷水を振りかけ、腕組みをした。冷静にならなれけばならない。


「こんなに知恵者が集まってるんだ。落ち着いて、ほかの手を考えよう」

「……ありがたいことです。けれど、私以上に魂の浄化について詳しい者はいないと思うわ。――私が知恵と闇術を駆使し、“魔人”と渡りあう術を持っていないのと同じでね」


 師の尊厳を守るために口を開こうとしていた弟子は、嫌味なく添えられた言葉に口を閉じる。

 今度はエッドが名乗りを上げた。


「今、君の状態は安定している。急いでルテビアまで行って、力ある聖術師に協力してもらうのはどうだ。二人分の魔力なら――」


 自分にしてはなかなか知的な意見だと思ったが、銀の頭はむなしく横にふられる。


「術者が増えたとしても、一人分の魂の魔力は必要なの。術式発動までの魔力は残されているし、赤の他人を巻き込むわけにはいかないわ」

「では、そこで伸びている男の魂を使うのはどうです? 一応、強き魔力を持つ勇者らしいですよ」

「冗談でも不謹慎よ、ログレス」


 冗談ではなかったのだが、という顔で闇術師は小首を傾げる。

 躊躇なく実行しそうな師を押しやり、アレイアが口を開いた。


「使命に燃えるのはいいけど、あの人――ジリオが本当にあんたの遠いお師匠さまなら、喜ばないんじゃないかな」


 今度は情に訴える策のようだ。しかしエッドには若き闇術師はそこまで深い目論みを企てておらず、本心からそう進言しているように見えた。


「自分の弟子の子孫に、魂を消費する術を使わせてしまうなんて……そんなの、あたしだったら“やらなくていいよ”って言っちゃうと思う。ね、ログレス?」

「……場合によりますが。僕は“師”としての経験が不足しているもので――」

「もう! こういう時くらい、なんとなく話合わせてよっ!」


 生真面目に意見を述べる師に、アレイアはがっくりと肩を落とす。

 そんな光景に小さな笑みをひとつ落とした後、メリエールは語った。


「……あの人に喜んでほしいとも、感謝してほしいとも思ってはいないの。むしろこのことを知れば、くどくどとお説教されると思うわ。とにかく、堅苦しい聖術騎士さまなんだもの」


 意識体であった時のことを思い出したのか、聖術師は苦笑を漏らす。


「でも、“こちら”で選択するのは私です。私は、どうしても――ジリオの魂を冥府に堕としたくない。だから、勝手に救うんです」


 そのまなざしに偽りはなく、山上の湖のように澄みきっている。

 エッドの口から、勝手に皮肉が転がり出た。



「……俺をかばって、ライルベルについていった時みたいにか?」

「ええ。私をかばって、あなたが真っ二つになった時みたいによ」



 彼女は、こんなにも舌が回っただろうか。もしかすると、過去の聖術師たちの中に彼女を“鍛えた”者がいたのかもしれない。

 エッドは降参だとばかりに肩をすくめ、黙り込んだ。


 メリエールはゆっくりと仲間を見回し、自分に注がれる視線をひとつひとつ受け止めた。


「……みんな、たくさんの意見をありがとう。でも、時間がないの。その剣にいまだ『核』として縛りつけられている彼の魂と、私の中に移ってきた彼の意識体とが目覚めようとしているのを感じます」


 妖しく輝く剣から一歩離れ、アレイアは不安そうな声で訊いた。


「ま、またジリオが出てきちゃうかもってこと?」

「ええ。それほどまでに聖宝の力は強大なの。だからその前に、術を発動させれば――」


「嫌だ」


 子供のように頑とした声が、エッドの喉から迸る。

 白い線を繋いで現れたあの“亡者”の声であり――自身の声そのものであった。


「君の行いは、気高くて……たぶん、とても正しい。でも、俺たちにとっては――俺にとっては、正解でもなんでもない」

「エッド……」

「考え直してくれ、メル。頼む」


 説得のための言葉が浮かんでこない。

 今の自分の意見など、誰が耳にしても幼稚な主張にしか聞こえないだろう。それでもエッドは、一心に想い人を見つめ続けた。


「……“拳をぶつけてみりゃ、ぜんぶわかる”」

「?」


 不可解な呟きと共に、ついに語り部は木箱から腰を上げた。

 彼女らしくない口調を警戒し、エッドを含めた全員が身構える。


 そんな聞き手たちの前を颯爽とわたり、メリエールは野営地の中央付近に立った。



「構えて。エッド」

「な――!」



 メリエールが見せたのは、まぎれもなく拳闘の構えだった。


 しかも、とても様になっている。仲間の拳闘士に護身術を習った際は、あんなに腰が引けていたというのに――


「……俺を打ち倒して進むってことか? メリエール」

「少し――といっても、どのくらいの時間かはわからないけれど――学んだ程度で、“亡者あなた”に勝てると思うほど自惚れてはいないわ。ただ、手合わせをお願いしたいだけです」

 

 彼女の靴は戦闘中に破れてしまったので、その白い足は現在素足である。

 しかしメリエールはそんなことには気を払わず、集中して足裏で赤土を踏みしめていた。


「……。俺からは、打ち込まないぞ」

「ちょっと、エッド!?」


 空洞が目立つ胸の前で拳を握って構えたエッドに、アレイアが驚きの声を投げる。

 しかし、亡者と聖術師の視線は交錯し続けた。


「ログレス、止めなくっていいの!? 彼女、怪我しちゃう」

「……意外と、痛手を被るのは亡者のほうかもしれませんよ。何にせよ、武人というのは皆こういう気質なのです」


 暗に放っておくよう命じられ、弟子は困惑しながらもうなずいた。


「しかし、メル……そちらの“時間”は大丈夫なのですか」

「ええ。ジリオの意識は、まだかなり混濁しています。なにか、記憶に混乱が生じているようね」


 闇術師の問いに、メリエールは淀みなく答える。

 もう一度拳を握り、対峙する亡者へと向き直った。



「最後になるかもしれないんだもの。お行儀よくするのは止めにして、本気で話しましょう――エッド・アーテル」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る