第98話 怒られる筋合いはありません



 赤き荒野に灯った珍しい明かりに、小さな虫たちが引き寄せられてくる。


「……剣を旅立った魂は、その二人が最後でした」


 ちらちらと揺れるその光の隣で、語り部は静かに言葉を結んだ。


「今残っているのは、剣の『核』となっているジリオの魂だけ。聖宝の力はこの上なく弱まり、さらにあなた達が外で彼の魔力を消耗させてくれたことで、こうして私が主導権をとり戻せたというわけなの」


 これほど彼女が長く語るのをはじめて目にしたエッドだったが、意識を現実に戻すのに苦労した。

 メリエールの話は要領を得ている上に、感情表現も豊かに盛り込まれており、すっかり聴き入っていたのだ。日頃から物語を読み込んでいる賜物なのかもしれない。


「す……すごい体験をしてきたんだね。メリエール」

「ええ。いつも必死だったけれど――こうして整理しながら語ると、まるでおとぎ話だわ」


 呆気に取られているアレイアに、聖術師は少し照れ臭そうに笑んだ。

 となりの木箱に腰かけている闇術師が、続いて所感を述べる。


「……語り部が貴女でなければ、信じられなかったでしょうね。各時代を生きた聖術師たち――さぞ、有意義な話が聴けたのでしょう?」

「ええ、それはもう! 忘れないうちに、書き記しておきたいくらいよ」

「……しかし、そうはしないのですね。いや――したくとも、出来ない」


 静かな友の指摘に、メリエールは握っていた拳を力なく下げた。

 頃合いを感じたエッドは、渦巻く不安を抑えながら発言する。


「君の体験はよくわかった。本当に――ひとりでよく頑張ってくれたな、メル」

「エッド……」

「その上で、今は肝心な部分を聞きたい。そこまで苦労した君が――なんで、この荒野から帰れないのか」


 エッドの真剣な声に、聖術師はゆっくりとうなずいた。

 その顔が驚くほど穏やかなのを見て、さらに心中に暗雲がかかる。


「あなた達が、魔人を“契約”から解き放った時と同じよ。あとは依り代となっている聖宝を物理的に破壊すれば、剣が背負いし業はそこで終わる」


 闇術師の膝の上に横たえた細剣を見、メリエールは呟いた。



「そして……『核』である聖術師ジリオは――冥府に堕ちるの」

「!」



 その真実に、息を呑む音が二つ応える。その一つがまぎれもなく自分であることに気づき、エッドは驚いた。


 唯一動揺を見せなかったのは、聖宝を保持したままの闇術師である。


「……やはり、彼がすべてを背負うことになるのですね」

「もう。貴方には敵わないわね、ログ……。たまには、驚いてくれてもいいのよ?」

「貴女の帰還拒否には、存分に驚きましたよ。気づかなかったのですか?」


 対極にある系統の術師だというのに、この二人は不思議と気が合う。

 エッドよりも早くそこに割り込んだのは、弟子である闇術師だ。


「ど、どういうこと!? なんで、ジリオは天界に行けないの?」

「……不可解な事象が発生した時は、一度それまでのできごとを分解するのです。不思議な点が見つかりませんか? 弟子よ」


 師の問いかけに、小麦色の頭を傾けてアレイアは思案している。


「不思議なことって……。あれ、そもそもなんでジリオ以外は自分で天界に向かうことができたの? メリエールは浄化術を使ったわけじゃないのに」

「いい着眼点だわ、アレイア。そして、それがもう答えよ」


 その言葉に、驚いてエッドとアレイアは聖術師を見た。


「ジリオは、聖宝が犯した罪をすべて“自分の業”としたの」

「!」

「力を増すため、優れた聖術師の魂はとり込むけれど――本当に離反したい者は、いつでもそう出来るようにとね」

「で、でも! それじゃ、“聖宝”を良く思ってないクレアなんかは、真っ先に剣から出て行くんじゃ――」


 自分で言って真実に気づいたのか、アレイアはそこで言葉を失った。


「そう。彼女は、そこで伸びている“勇者様”のことを気にかけていたのよ」

「嘘でしょ……!? あんな……あんな殺され方をしたのに」


 苦々しい、しかし戸惑った表情で少女は剣を見る。

 暗がりでうなだれている元リーダーは、意地でも目に入れたくないようだった。


「聖宝が放つ魔力に当てられて、自分に刃を向けたことはわかっている……そう言っていたわ。自分を斬ったことがきっかけで、彼はますます狂っていったとも」

「そんなわけない! クレアが責任を感じることなんて、ひとつも――!」


 悔しそうに声を荒げた闇術師に、メリエールは優しく告げた。


「ええ、わかっています。彼女とも、最後に話したの。尊敬できる……素敵な術師でした。彼女から預かった伝言があります」

「あ、あたしに?」


 穏やかさの中にも強い芯が通った、頼もしい笑み。

 以前とは逆で、今度はまるでクレア本人が語っているかのようだった。



「ジリオが阻んでいるから、もう私は“表”に出られない。だから、彼が目を覚ましたら伝えてください。“あなたは人を斬ったが、その魂までは斬っていない”、と……」


 

 その言葉を聞き、三つ編みとともに小さな頭がうなだれる。


「……ほんと、優しすぎるんだから。わかったよ。癪だけど、あとで伝えとく」

「ありがとう。アレイア」


 悲惨な勇者パーティーの話に決着がついたところで、場に沈黙が流れる。


「……」


 口を休めるのと同時に、各々が思考に沈んでいるようだった。


 昼間の熱気が嘘のような、涼しい夜風が野営地を吹き抜ける。

 目印となった木に茂った大きな葉が、衣擦れのような音を立てて揺れた。



「私は聖術師として――そして先人達の魂の願いを背負った者として、最後までこの件に付き合おうと決めました」



 流れ星のような銀の髪を夜風に遊ばせ、メリエールはふたたび語りはじめる。

 エッドは知らずに拳を握りしめ、想い人を見た。


「高位浄化聖術――“黄昏の願望トワイライト・デザイア”を使用し、ジリオの魂を強制的に天界へと送ります」


 エッドの頭に疑問符が浮かぶより早く、がしゃ、と金属質な物音が響きわたる。

 反射的にそちらへ目を向けると、細剣がその優美な姿を赤土の上に晒していた。


「なぜ……」


 しっかりと剣を保持していたはずの闇術師は、重要な武具をとり落としたことさえ気づいていない様子である。


「なぜそのような術を、貴女が……! 誰です、伝授した愚か者は!?」

「ろ、ログレス!?」


 明らかな狼狽を浮かべている師に、となりの弟子が仰天する。


 しかしその声には耳を貸さずに、ログレスは語り部を見た――いや、睨んでいた。

 この男がここまで激しい光を浮かべるのは珍しい。


「怒られる筋合いはないと思うわ、ログレス。貴方だって、今は学べるはずもない術をたくさん知っているでしょう?」

「まさか……独学であると? 呆れましたね……。敬虔な淑女が、大聖堂の禁術書庫に忍び込もうとは」


 咎めるような言葉にも、メリエールは一歩も退かない。


「自分の胸に手を当てて、同じ問いを立ててみたほうがいいわよ。それに、懺悔するようなことなどありません――その禁術書庫の責任者は、私なんですから」


 術師同士が散らす火花が一瞬闇夜を明るくするが、先に目を逸らしたのは闇術師であった。


「……。成功するとお思いですか」

「ええ。もちろん、試したことはないわ。でも、できると思う……幸い、復習の時間はたくさんありましたから」

「……そろそろ、術の詳細について訊いてもいいか?」


 エッドの問いに、闇の友はゆっくりと顔を向ける。

 明かりに照らし出されたその顔が蒼いのは、怪我と疲労のせいだけではないようだ。


「“黄昏の願望”――高位の聖術師にのみ扱える浄化術です。どんなに深く呪われた魂をも清める、強力な術……」


 紅い目を気まずそうに宙に泳がせ、大闇術師は呟いた。


「しかし昨今は、その習得難度と発動条件の非道さから“禁術”に指定され、知識としてのみ存在する術となったのです」

「非道な発動条件って……?」


 嫌な予感が内側からエッドの胃を強打するが、耳を塞ぐわけにもいかない。


 しばらくして、闇術師は固い声で告げた。



「術を行使する者が、文字どおり“すべて”の魔力を捧げるのです。これには、みずからの“魂”も含まれます。つまり……」



 ここから先は自分で告げろとばかりに、闇術師は聖術師を見遣る。

 メリエールは感謝するようにうなずき、エッドを見た。



「つまり、術を使えば――私は、死ぬということよ」


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