第97話 残る君が、幸せなら―2



「本当はね、どこかで気づいていたんだ。今の自分はそれこそ、魔物のような存在だって。でも、見えない拳を口に押し込まれていたみたいだった。それが君のおかげで消えてなくなったよ。ありがとう、メリエールさん」


「どうやら、もうここに我輩の目的はないようだ。いざ行かん、神の地へ! さらばだ、メリエールよ!」


「天界で見かけたら、必ず声をかけるのですよ? あなたがその後送った人生について、あれこれ聞かせてもらうんですからね。では、ごきげんよう」



 またひとつ昇っていった魂の輝きを見上げ、メリエールは息をついた。


「ふう……」


 しばらく前に落としたため息とは違い、それは満ち足りたものだった。


 剣に宿りし魂たちは、ネオリンを先頭に次々と天上へ旅立つことを選択している。ジリオはなにやら別のことに気を取られているのか、今のところ気づいている様子はないらしい。


「……」


 しかし、ひとつだけ気になることがあった。

 疑問点を整理しようとしていたメリエールに、聞き慣れた声がかかる。


「やれやれ。あちらの中も、ずいぶん静かになったものじゃ」

「ウィノさん。それに――デモルト先生!?」

「……そんなに驚くことかよ」


 徳の高い法衣に身を包んだ老聖術師と、不機嫌そうな顔をした聖槍術師が並んで部屋を訪れていた。

 その組み合わせも意外だったが、驚いたのは別の理由である。


「今まで、ここに来るのはおひとりずつでしたから……」

「ふぉふぉ。このデモルトは、どうやらわしの孫らしくての」

「えっ!?」


 予想外の事実に、メリエールは並んだ顔を見比べる。

 たしかに言われてみれば、豪気な眉の形がそっくりだった。


「“粗野な槍使い”に拳闘を習っているとお前さんから聞いたあと、わしはどこか不思議な気持ちになったのじゃよ。そやつを知っているかもしれん、と」

「どうして……?」


 ウィノは少し気恥ずかしそうに髭を撫で、白い天井を仰ぐ。


「まあ、魂の繋がりというものじゃろうな。気がつくと、この男が目の前におった。鎧の肩当てに刻まれた家紋を見て、血族であることを確信したのじゃ」


 小さな目に見つめられ、となりに立つ大男は野太い声を出した。


「オレも、お前から“頑固な聖術師”の話を聞くまで、戦で死んだじいさんの存在なんて忘れてたぜ。ぼんやりとしか覚えてねえけどな」

「当たり前じゃろ。見送りの時、おぬしはまだ尻の青い赤ん坊で――」

「やめろよ、じいさん! こいつぁ一応、オレの稽古弟子なんだぞ」


 慌てふためくデモルトに、思わずメリエールは小さく吹き出した。


「ふふっ!」

「……師匠を笑うたぁ、いい度胸だな」

「ご、ごめんなさい! でも、お二人が会えてよかったです。……あ」


 素直に言ったものの、二人の再会場所が呪われた剣の中であるということを思い出しメリエールは口をつぐんだ。


 ウィノはたくましい孫を見上げ、いつもの深い声で言った。


「ふむ。やはりお前さんもそう思うか。孫とのんびり暮らすには、この空間はちと味気ないものよの」

「ウィノさん……?」


 いつもは入室するなりどっこらしょと腰を下ろす老聖術師が、今日は部屋の中央に立ったままでいることにメリエールは気づいた。



「メリエールよ。――我らも、逝くことにした」

「ええっ!?」



 部屋に来るなり構えるよう命じる“師匠”も、今日は腕組みをしたままである。


「んだよ、うるせーな。お前、オレたち全員を送っちまうために色々やってたんだろうが」

「え、えっと……!」

「今さら隠さんでもよい。囚われた小娘の企てなど、最初からわかっておったわ。……まあそれと知りながら、話に耳を貸してしもうたんじゃがな」


 歯の抜けた口を開けて大声で笑い、ウィノ老は孫の太い背を叩く。「いてえな」と呟くも、デモルトは大木のようにそこから動かなかった。


「わしは比較的早くに、あの剣に住み着いたうちの一人じゃ。最後の最後まで、ジリオールの志を支えるつもりでおった。しかし、どうやらわしも――“次”へ進みたくなってしもうたらしくての」

「次……?」


 さすがは親族というもので、孫は流れるように祖父の言葉を引きとった。


「天界に行きゃ、魂は生まれ変わる。オレたちは、いまの自分じゃなくなっちまうが――また“次”のオレたちになるはずだ。じいさんは、それが見たいんだとよ」


 孫の言葉に大きくうなずき、ウィノはシワだらけの頬を持ち上げた。


「うむ。今まで、自分のことはどうとも思わなんだが……。不思議と、孫までこの剣に留まっていると知れば、居ても立ってもおられんでな。危なっかしい孫の手を引くは、じじいの楽しみじゃて」


 厳格なあの老聖術師が、にこにことした笑顔を浮かべて大男を見上げている。

 メリエールはさすがに呆気にとられるしかなかった。


「……本音を言うとの。お前さんに語るうちに、すべてが懐かしくなったのじゃよ。生者であったころに体験した、喜びや苦悩がな」


 部屋にある唯一の窓。そのむこうには漆黒が広がるのみだったが、それを見つめるウィノの瞳は輝いている。



「この世に生を受け、己を磨き、失敗し。心を分けあえる伴侶を迎え、子供や孫に囲まれて……。そうした他愛ない人生の旅に、もう一度踏み出したいのじゃ」

「ウィノさん……」

「それに欲を言うなら――次は家族に囲まれ、温かい布団の上で果てたいものよ」



 悪戯っぽく言う老人に、声を詰まらせたメリエールはうなずく。

 もう枯れ果てたと思っていた涙が、また目の奥を熱していくのを感じた。


「ったく、この泣き虫が。辛気臭いカオすんじゃねえ」


 大股で歩いてきた聖槍術師が、やや乱暴に頭に手を置いた。


「で、デモルト先生っ!?」

「……足元が怪しいじいさんの杖になるのは、孫の役目だろ。そういうわけで、オレも逝く。悪いが、鍛錬は一人で続けてくれや――身体に意識が戻っても、サボんじゃねえぞ」

「……っ!」


 ぐしゃぐしゃと髪を乱されたからに違いない。

 頬を伝う液体を乱暴にぬぐい、メリエールはすっかり見慣れた強面を見据える。


 いつになく真剣な顔で、“師”は太い眉を寄せて言った。


「……ジリオのことを頼むぞ。あいつは、なんつーか……“重く”なりすぎた」

「“重く”……?」


 なんと伝えるべきか、師は迷っているように見える。

 今度は祖父が、不器用な孫の言葉を補った。


「現世を生きるお前さんが、聖術師として――ひとりの人間として、決断するのじゃ。それがどういうものであれわしらは嘆かぬし、お前さんを讃えるとしよう」

「……?」


 首を傾げてみせるも、老聖術師は静かな笑みを浮かべるだけであった。


「奮闘せよ、メリエールッ!」

「!」


 そう思った矢先に響き渡ったのは、細い喉から出たとは思えないほどの大声――どうやら声が大きいのは、一族の特徴らしい。



「恐れずに選べ。人生はいつも、其の者に相応しき役を与える」

「は――はいっ!」



 その激励に、思わずぴんと背筋を伸ばしてメリエールは答えた。

 満足そうにうなずくと、二つの魂は揃って手を挙げる。


「では、またの」

「じゃあ、またな」



――別れの挨拶すら、同じだとは。



 メリエールは急いで頭を下げ、瞳から湧き出る熱いものを隠した。


「はい――お二人とも、ありがとうございましたっ!」


 その声が届いたかどうかは、定かではない。



 深い一礼から顔をあげたメリエールが見たのは、連れ立って消えていく黄金の泡の筋だけだった。


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