第96話 そそっかしい奴でな



「メリエールよ。近頃、そなたは同志たちの懐柔に勤しんでおるようだな」



――来た。


 顔の筋肉ひとつ動かさないよう努めながら、メリエールは来訪者を迎える。

 今日の客人は、あちら側の大将――聖術騎士ジリオールだ。


「まあ、懐柔だなんて。ただ、楽しくお喋りをしているだけです」

「どうだかな」


 髪の毛と同じ明るい鳶色の瞳が、警戒するように細くなる。


「最近、皆の顔に覇気が足りん気がするのだ。そなた、なにを吹き込んだ?」

「いいえ、なにも。私はただ、みんなの家族のことや当時の暮らしぶりについて話を聴かせてもらっただけ」

「ふむ……」


 懐疑の表情を浮かべたままの騎士に、メリエールは無邪気――そう見えるといいのだが――な微笑みを送った。


「私たちはこれから長い間、“同志”となるのでしょう? お互いのことを深く知るのは、とても意義あることだと思います」

「む……それには異存はないが。皆からも、そなたが魔物どもの保護を声高に訴えているという報告は受けておらぬしな」

「では今日は、あなたも“お喋り”に付き合ってくれるのね?」


 メリエールの提案に、ジリオは一瞬面食らったような顔になる。しかしすぐに鈍色の鎧に覆われた腕を組み、厳しい声で言った。


「……なぜわたしが。そんな暇はない」

「あら。暇しかないはずでしょう、今は。この荒野の魔物はあらかた“勇者さま”が滅してしまったんだもの」


 冗談めいた言い方をしたメリエールだったが、心中ではおぞましい気持ちが湧きあがっている。


 広漠たる赤土に延々と連なった、魔物の屍――。


 ライルベルの身体をほとんど乗っ取るような形で、“聖宝”の刃は連日魔物の首を撥ね続けたのだ。今ごろは難を逃れた空の魔物、“屍体漁り”たちのご馳走になっているだろう。


「あの勇者の身体も、ずいぶん酷使してしまった。たしかに、少し休ませる時間は必要か」

「よかった! 何もないところだけど、どうぞ座って」

「……わたしが生きたのは、戦の時世だぞ。面白みはないと思うが」


 そう言いつつも、聖術騎士は味気ない床に胡座をかく。


 不思議と、この青年は自分に甘い節がある――メリエールはそれに気づいていることに小さな罪悪感を感じつつ、向かいに腰をおろした。





「わたしもかつては、そなたと同じく治癒専門の聖術師だった」

「……戦のために徴兵され、前線の兵が足りなくなって剣を取らされたのでしたね」


 二度目の来訪時に視せてもらった、騎士の悲しき“記憶”。

 赤と黒に彩られた生々しい戦場の光景は、この先も忘れることはないだろう。


「その……戦がはじまる前は、どんなお仕事を? やはり、聖堂に詰めていらしたのですか?」

「ああ。こちらでは、教会と言うのだが。十七まで修行し、奉仕と祈りに身を捧げた。冠婚葬祭の指揮を執れる“教導長”になったのは、二十の頃だ」


 ウェルス大陸における聖術師の階級は詳しく知らないが、なかなかの昇進ぶりだろうとメリエールは推察する。


「二十二になると、弟子をとらされた。澄んだ緑色の瞳をした、世間知らずな見習い少年だったよ。名を――リディオット・ランフアという」

「ランフア……!」

「そう。おそらく、そなたの先祖であろう。珍しい名だからな」


 メリエールの心中で、かちりと歯車が噛み合ったような音がした。


「ご先祖、さま……」


 この騎士は、自分にかつての弟子の面影を見出していたのだ。

 思えば最初に顔を合わせた時も、どこか優しいまなざしが目についたものである。


 メリエールはやや緊張した面持ちで問う。

 打算のない、純粋な興味からであった。


「ど、どんな方だったんですか? 父も母も早くに逝ってしまい、ご先祖様のお話を耳にしたことがないのです」

「……そうであったな。そなたも幸運とは言えぬ半生を送ったようだが、あやつに似て大層まっすぐ育ったものだ」


 ふっと口の端を持ち上げて見せたその笑顔は優しく、メリエールは密かに驚く。そして、確信を強めた。


 戦で凍りついた心の中にも、温かな思い出は――たしかにまだ存在しているのだ。


「とにかく、そそっかしい奴でな」

「えっ……」


 腕組みをし、ジリオは呆れたように鎧の肩を上下させる。


「聖水の補充を頼めばその前に瓶を割り、草むしりを命じれば見事な水仙まで引っこ抜く有り様。満足にできた仕事といえば、料理と鶏の餌やりくらいであったよ」

「ま、まあ……」


 面白がるべきか落胆するべきか。なんとも言えない表情を浮かべているメリエールに、聖術騎士は小さくうなずいて言い添える。


「しかしまとった聖気の質と、祈りを捧げる熱心さは群を抜いていた。それゆえに、周りから妬まれることもあったが……」

「……。どの時代も、変わりませんね」


 敬虔な神徒である前に、聖術師も人間なのだ。

 親しげな仮面の下に渦巻く嫉妬の深さは、身を以て体験している。


「なに。周りの声など、本人はどこ吹く風でな。結局、わたしをも超える速さで力をつけていったよ」

「すごいです。ご先祖様!」


 心の底からそう言ったメリエールに、まるで孫を見るようなまなざしが届く。


「その仕草、まるで生き写しだな……」


 メリエールはどこか居心地の悪さを感じ、拳を解く。性別も違うのに、それほど似ているのだと思うと不思議だ。


「わたしが二十三で田舎の幼馴染みと婚姻を結んだ時も、奴は気合の入った祝詞を用意してくれた」

「……祭壇の前で、裾を踏んで転びませんでした?」

「ほう? よく知っているな。さては経験者か」


 はっきりとしたからかいの声音で言い当てられ、メリエールは苦笑した。


「……二十五になるころには、いよいよ祖国にも戦の気配が迫っていた」

「!」


 心地よい空気が、急激に冷えていく。聖術騎士の瞳から、光が潮のように引いていった。


「弟子はますます修練に力を入れはじめた――わたしと同じ戦場に立ちたいから、と言ってな」

「……」

「あとは、知ってのとおり……炎の海にのまれ、わたしの人生は幕を下ろした」


 結局、辛い思い出に流れ着いてしまった。

 メリエールは唇を噛む――やはりこの呪われし剣の長である彼の心を癒すのは、一筋縄ではいかないらしい。


 ジリオは過去に馳せていた意識を白い部屋に戻し、こちらを見据えて言う。


「そなたには、今は滅びし魔王軍の恐ろしさを説いても理解できまい。しかし魔王を信奉していた部下たちは、今も各地で厄災を引き起こしていると聞く」

「……はい」


 思い出話からいつもの“説得”に移行してしまったことに気づいたメリエールだったが、騎士の真剣な目には抗えなかった。

 先祖から受け継いだ“弟子”の血が、そうさせるのかもしれない。


「生命が生きていける大地は限られている。わたしはそれを、人間のために確保したいのだ」

「……魔物だって、生きています。彼らが生きる地は、どこに?」

「そんなものはない。同じ大地を欲するなら、どちらかが退くまで斬り結ぶのみ」


 激しい憎悪の感情が、騎士の瞳を鈍く光らせる。


「我が“使命”は、魔物を滅すること――。それを成すまで、決して折れぬぞ」

「……」


 騎士の野望を挫く言葉も、思い止まるように説くための言葉も、まるで思い浮かばない。

 胡座をといて立ち上がったジリオを見上げ、メリエールは途方に暮れた。


「……。弟子も、はじめて“亡者”に遭遇した際はそのような顔をしていた。しかしあれらはもう、ヒトの姿を成した化物なのだ。滅するのに罪悪を感じる必要はない」


 逞しい背を向け、騎士は歩き去りながら静かに告げた。



「……そなたも、先祖の働きに恥じぬよう努めるのだな」


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