第95話 あなたの話を聞かせて
やっと静かになった小部屋の隅で、背を壁に預けてずるずるとメリエールは座り込んだ。
疲労を感じないはずの身体が、妙に重い気がする。
「ふう……」
一体、何人の聖術師と顔見知りになったのだろう。
代わる代わる説得に赴く彼らの主張は、その性格と同じく実にさまざまであった。
「当然だけど……色々な考えがあるのね」
魔物に傷つけられ、復讐に燃える者。
魔物という存在そのものを嫌悪する者。
世界平和のための犠牲だと声高に言う者――。
その言葉に偽りはないのだろう。だからといって、素直に賛同することもできない。
「まるで水と油ね……。忙しいのは良いことだけれど、埒があかないわ」
魔物の脅威を説く聖術師たちと、それに反論する自分。
各々の時代の価値観は、そう簡単に書き換えられるわけではないと痛感させられていた。
「あ……」
ふと“書き換え”という単語が、熱された思考の網に引っかかる。
「そうよ――私も、同じことをしてるだけなのかも」
魔物をむやみに殺すべきではないというのが、今でも揺るぎない自分の意見だ。
しかし魔物に対するわだかまりを抱える者にとっては、それは絶対の正解ではない。
結局どちらも、自分が知っている感情をぶつけあっているだけなのだ。
「打ち合うだけでは駄目だわ……。同じ側に、立ってみなくちゃ」
水と油を別の容器にいれ、同じ棚に並べることはできる。
混ぜる以外にも、共に歩む方法が必ずあるはずだ。
*
「ネオリン。あなたは、いつの時代を生きた人なの?」
「えっ?」
代わり映えのない武勇伝を披露しようとしていた少女は、メリエールの問いに隻眼を瞬かせた。
「ボク? そんなこと訊いてどうすんの」
「良いでしょう? たまには、亡くなる瞬間のこと以外を話しましょうよ」
細い腕を組んで首を傾げたネオリンだったが、深く考えるのは苦手らしい。
やがて、子供らしい素直さで語りはじめた。
「ジリオが言うには、ボクは八十年くらい前の人なんだって。歴史はちょっと苦手だから、よくわかんないけど……」
「出身はどこ?」
「ライズ大陸の、端っこの村。ちょー寒いとこで、なーんにもないの」
つまらなそうに言う少女に、メリエールは前のめりになって訊いた。
「も、もしかして……太古の昔から、人が渡れるほど分厚い氷が海を覆っているっていう!?」
「え、“
「たしかそちらでは……粉状にして、甘い蜜をかけて食べたりも?」
「子供のおやつだね。ボクは、もう飽きちゃったけど」
残っている目を懐かしそうに細め、幼き聖術師は呟いた。
「でも、なんだろ……そんなの、ずっと忘れてた気がするな。ああ、久しぶりにあの氷が食べたくなっちゃった! どうしてくれるのさ、メルっち?」
「あ――ご、ごめんなさいっ!」
慌ててメリエールが頭を下げると聖術師は――少女は、けらけらと笑った。
それをきっかけに、メリエールは剣からの来訪者と深く言葉を交わすようになっていった。
主に相手の時代やそれぞれの生活――とくに、楽しかったことや生きがいを――について語ってもらうのである。
「戦に出るころには、孫が八人もおっての。どの子も、わしに似て豪気な顔つきをしておったわい。かと言えば女子は女房に似て、とびきり美人ばかりじゃった」
「素敵ですね! 奥様とは、どのような馴れ初めで?」
「ぬ、気恥ずかしいことを聞くのう……。聖術師にしては、淑やかさに欠けると言われんか?」
嗜めるようなまなざしを向けてくる老聖術師ウィノに、メリエールはにっこりと笑んでみせる。
「私、こう見えて結構“
「……やれやれ。とんだ尋問部屋に送り込まれたものじゃわい」
少なくなった白髪を掻き、ウィノはため息をつく。
しかし皺が刻まれた顔を天井に向けると、過ぎ去り日の思い出を静かに語った。
「妻と出会ったのは、わしが十七の頃でな。忘れもせんよ。パロミという、美しい水の都で――」
さらに――対話が成立しなさそうな強敵には、身体を張って挑むこともあった。
「……ほんとにいいのかよ、メリリール」
「名前を間違えてるのはよくありませんが――身体は、いつでも準備できています。さあ、かかってきてください!」
メリエールは握った拳を胸の前に構えていた。かつての仲間から教えてもらった型である。
「かかってこいって、言われてもな……」
正直、目の前の巨漢が本気で踏み込んできたらどうしようかと戦々恐々だったが――とにかく、拳闘の格好だけは勇敢にも保っている。
「……。オレぁ槍を扱う聖槍術師だが、得物が手元になくてもお前よりは強ぇぞ」
「わかっています。なので、胸を借りるつもりで挑みます――これでも走り込みとか、日頃から色々やってたんですから」
「ほーお? その細っこい身体で、感心だな。術ばっかり“お勉強”してる奴らは、なんでもねえとこで死んじまったりするし……」
熊のような大男が、ゆっくりと腰を落として拳を突き出す。
そのしなやかさはまるで豹だ。迫り来る重圧に、メリエールは妙な喉の渇きを感じた。
――こわい。
いつも後方から術を行使していたため、こんなに近距離で相対するのははじめてだった。
しかも拳闘士に教えてもらったのは、暴漢などから身を守る最低限の護身術のみである。
実は素手で他人を攻撃したことは――傷つけたことはなかった。
「んじゃ――いくぜ!」
「……っ!?」
蜃気楼のように男の姿が掻き消えたと思った瞬間、もう間合いに踏み込まれていた。
満足な悲鳴を上げることもできない、まさに刹那の出来事。
「きゃっ!」
拳は寸止めされたがその風圧に額を打たれ、メリエールはあっけなく白い床に尻餅をついた。
「……きゃ、じゃねーよっ! からっきしじゃねえか! 当たったらどうすんだよ!?」
「だ、だれも拳闘が得意だなんて言ってません! 得意そうに見えますか!?」
「キレてんじゃねえよ!」
大声で互いを罵りあった後、乱れた髪を後ろに流してメリエールは言う。
「……ふう。でも、打ち込まなかったんですね。私、あんなに隙だらけだったのに」
「ったりめーだろ。そもそも、お前のはまだ“構え”とも言えやしねえ。俺の拳を打ち込んでほしけりゃ、構えくらいちゃんと出来るようになってから申し込めや」
ぱん、と拳を打ち鳴らしてデモルトは快活に笑う。
メリエールは立ち上がるのも忘れ、目を丸くした――笑顔を見るのははじめてだ。
気が緩んだメリエールは、さきほど心に浮かんだ想いを口にする。
「私……こんなに近くで、人と戦ったことがありませんでした」
「そりゃそうだろ。そういう術師なんだからよ」
「その……。やっぱり、殴られたり斬られたりするのは、痛い……ですよね」
デモルトは太い首をごきごきと回してうなる。
「あぁ? アホか、痛いに決まってんだろ。耐えることもできるし、避け方もわかってはくるが――血が出たとこは、やっぱり痛えな」
傷跡だらけの逞しい腕を見、メリエールは息を呑む。
この聖槍術師は、そうやって戦場を駆けてきたのだろう。聖術でも癒しきれないほどの深手を、幾度も負いながら――。
「……」
パーティーの先頭に立つ“彼”も、いつもこんな痛みを味わっていたのだろうか?
いや、むしろ身体的な痛みより――
「こ……恐く、ないんですか? 傷つくのも……傷つけてしまうことも」
「んなもん、恐ぇよ。どっちもな。……けどよ」
自分の背中をちらと見、巨漢は今までで一番小さな声で呟いた。
「自分の槍より後ろに立っている奴らがやられちまうことが、一番恐ぇんだ」
「……!」
「だからそれを防ぐためにオレはでっけえ盾になるし、相手を蹴散らす槍にもなる――どこを痛めようと、な」
“後ろに誰もいなかったら、俺も尻尾を巻いて逃げ出してたかもな。幸か不幸か……今回も、その時じゃなかったってことさ”
全身に傷を作り、あばら骨を折った夜にさえ“彼”は――エッドは、そう言って笑っていた。
聖術師はうつむき、膝の上で震える拳を握りしめる。
「どれだけの“痛み”を乗り越えたら……そんなに、強くなれるの……?」
「お、おい。なんだよ、今さら泣いてんのか!? これだから、女ってやつぁ――」
がしがしと頭を掻き、デモルトはどこか焦ったように言う。
目元を擦って顔を上げると、メリエールは決意を込めた声音で叫んだ。
「デモルトさん! 私に、稽古をつけてくださいっ!」
「は――はあぁ!? なんでオレが、てめえなんぞを――」
「ここで鍛えても、現実の身体は丈夫にならないかもしれませんが……精神の鍛錬には、もってこいです! 時間だけはたっぷりありますから!」
「ここに捕まってんだよな? お前……」
確認するように言った聖槍騎士に、メリエールは胸を張ってみせる。
「“契約”に従い、たしかに身体は引き渡しました。でも、
「……」
根負けしたのか、デモルトは広い肩をすくめた。
「――オレに習うってんなら覚悟決めろよ、“メリエール”」
「……! の、望むところです!」
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