第94話 癒し手たちは容赦ない



「メリエールよ。起きるのだ」



 以前に自分を認識してから、どのくらい経ったのだろう。

 やけに鮮明に語りかけてくる声に、メリエールは久々に顔を上げた。


「婦人の部屋に断りなく立ち入る無礼を許してくれ。急いでいたのでな」


 見たこともない古い型の鎧を身につけた男が部屋の隅に立っているのを見、メリエールは仰天した。


「あ――貴方は!? どうやって、ここに……!」

「我が名は聖術騎士、ジリオール・エボン。ジリオでいい」


 聖術騎士――ここが時間という概念を持たない空間でなければ、頭を強打した経験があるか訊き返していただろう。それほどに古い役職である。


「ウェルスの大戦でご活躍なさったという、聖術を扱う騎士さまですか」

「ほう。忍耐強いばかりか、神の信徒としての学びも研鑽していると見える」

「い、いえ! そんな……」


 歴史の英雄から惜しみない賞賛を送られ、メリエールは恐縮する。

 みずみずしい鳶色の髪をした騎士は自分よりも少し若い。しかしその瞳には、形容しがたい苦悩が蓄積されているように見えた。


「魔人の支配による重圧下で、よくぞひとり耐え抜いたものだ。常人であればすぐに気がふれ、主に魂をくれてやったことだろう。そのほうが楽ゆえな」

「……。ジリオさまは、どうしてこちらに……?」


 いく分か狭くなった小部屋を見回しながら、聖術騎士は朗々とした声で答える。


「どうか楽に話してくれ、友のようにな。“我々”は、今日からそなたの同志となるのだから」

「同志?」


 疑問符しか浮かばなかったが、どうやら敵意はないらしい。

 メリエールは深呼吸し、久々の会話に声を弾ませた。


「わかりまし――ええ、わかったわ。ジリオ、貴方は一人ではないのね?」

「応とも。わたしのような騎士はほかにはいないが、余すことなくそなたと同じ者だ」

「聖術師ということ?」

「そうだ」


 聖堂からの使者だろうか。しかしその聖堂と縁を切ったことを思い出し、メリエールは一人苦笑した。


「私は聖堂から除名されています。どうやってここに来たかのかわからないけれど、救助しても昇給の足しはならないと……」

「くだらん。そのような些末なことに割く時間を、我々は誰一人として持たぬ」

「……では、何が目的の集団なの?」


 硬質な音を立ててたくましい腕を組むと、ジリオは誇らしげに告げる。


「魔物の掃討だ。この世の、すべての大地からな」

「!」


 壮大な――そして無謀とも言える企てに、メリエールは絶句する。

 予想していたのか何か勘違いをしているのか、ジリオは大きくうなずいて続けた。


「我々は、とある細剣に宿りし崇高な魂の集団なのだ」

「……あ、あの“遺物”の!? エッドを刺した」


 思わず言うと、聖術騎士の目が冷ややかな光を帯びる。


「……思い過ごしであればと思っていたのだが。“あれ”は、そなたの連れなのか?」

「彼はたしかに亡者ですが、歴とした私の仲間です。……これで、早々と話はご破談ですね? 私は、あなた方のお嫌いな“魔物”の仲間なんだもの」


 銀の髪をふって顔を背けたメリエールに、呆れた――そしてどこか、面白がるような――呟きが届く。



「まったく……“あの子”と同じで、激すると手に負えんな。やはりこういう気質は、“受け継がれる”ものやもしれぬ」



 まぎれもない慈愛の向こうに垣間見たのは、一抹の寂しさ。


「……」


 メリエールは、己の人の良さを呪った。撥ねつけなければならない要求だと理解しているのに、事情を聞くだけなら――と見えない圧力が顔を騎士へと向き直らせる。


「……ここはご覧のとおり、味気ない場所です。精神を保つためにも、話だけなら聞いてもいいわ」

「おお、それは良い心がけだ。我らも、頻繁に入り込むのは骨が折れるのでな。また折を見て、同志を寄越そう。ではな」

「……ええ」


 待っている、とは口にしない。


 しかしメリエールは、騎士が去った後もその場をじっと見つめている自分に気づかなかった。





 聖術師たちの来訪は、メリエールの予想よりも遥かに頻繁なものだった。


「お邪魔するよーっ! メルっち、元気ぃ?」


 わずかに残った感覚でいえば、毎日――あるいは数時間おきに、である。とても“骨が折れる”ようには見えなかったが、いつも客人は単身であった。


「ネオリン。……元気に見えますか? この部屋は、相変わらずよ」


 訪れたのは少女とも呼べる、かなり若い聖術師である。


 現代であれば、まだ聖堂の外で術を行使する許可さえ下りないだろう。可愛らしい顔つきだが、のばした前髪で隠している右目は白濁していた。魔物にやられたものなのだという。


「んじゃ、今日もボクの武勇伝を語るよー! しっかり聞いててねっ!」

「お言葉だけど、もう覚えてしまったわ。あなたが村の外の森で、魔物に襲われたこと。そして勇敢にも聖術で追い払ったこと――その目を犠牲にしてね」

「そ? じゃあ、ボクたちの仲間になってくれるってことでいい?」


 無邪気な隻眼から目を逸らし、メリエールは心苦しそうに言った。


「それは……ごめんなさい」

「なんで? 魔物って、ヒドイでしょ。滅したくならない?」

「魔物の縄張りに入ったのは、あなたのほうかもしれないでしょう? 動物と同じで、手出ししなければ襲ってこない種族も――」

「そんなの、カンケーないじゃん。魔物は魔物なんだから」


 頬をふくらませ、ネオリンは駄々をこねるように言った。


「ねーえ! 退治しようよ、魔物っ! いなくなれば、みんな安全でしょーっ!」

「私の、と――友達も、魔物なのよ! なりたくて、なったんじゃないけれど……そんな理性ある存在も、滅せというの?」

「えっ……」


 大きく目を見開いたネオリンに、メリエールは真剣なまなざしを送る。

 しかし少女は、屈託のない笑顔を咲かせると言った。


「へーえ! “元”友達なら、簡単に討ち取れそうでいいねっ!」

「……」



 忍耐強さには自信があったメリエールにも、あまり歓迎できない客がいた。


「何度でも言うがの、お嬢さん。お主は、その亡者と闇術師どもに謀られておる」

「こちらも何度でも申し上げますが、ウィノさん。――彼らは皆、信頼できる数年来の仲間です」


 床に腰をおろして向かい合い、メリエールは老いた聖術師ウィノを睨む。

 最初こそ相手の眼光に怯んだものだが、老人の遠慮のない物言いが徐々に心に火をつけたのだ。


「そもそも、聖術師と闇術師が同じ戦さ場に立つとは嘆かわしい。わしが生きておったころは、完全に住み分けをしていたものじゃ。せっかく育てた聖気が穢れるでな」

「私たちは治癒と補助を、闇術師たちは攻撃と妨害を担うことで、理想的な術師構成が……」

「やかましいわいっ! あんな陰気な奴らなぞ、亡者ともども冥府にでも住めば――」


 独自の理論を展開する老人に、さすがに声が低くなる。


「……怒りますよ、私」

「怒ってから言わんでくれるかの」


 上体を仰け反らして固まるウィノに、メリエールはその後も辛抱強く共闘の重要性を説いたのだった。



 かと思えば、メリエールが遭遇したことのない系統の聖術師にも会った。


「デモルトさん。あの……お嫌だったら、無理に来なくても……」

「うるせーな。オレだって、来たくて来てんじゃねえ。お前がさっさと首をタテに振らねえからだろーが、メルルール」

「め、メリエールです! 何回言ったら覚えてくれるんですかっ!」

「オレは頭が悪いんだっ! 何回でも言え、そのうち覚えっからよ!」


 筋骨隆々の“聖槍術師”デモルトは太い眉毛を吊り上げ、そう怒鳴る。

 このような重圧をかけてくる人物を苦手としていたメリエールだったが、さすがに怒声にも慣れてきた。


「ふー……」


 相手の目をしっかりと見、大きな声で――良くも悪くも――素直に意見することが肝要なのだ。

 大きく息を吸い込み、メリエールは天井近くまである巨漢を見上げてありったけの声を張った。


「デモルトさんは! 世界中の魔物を掃討するなんてっ! 本気で出来ると、思ってるんですかーっ!?」

「聞こえてっよ、うるせえな! 室内なんだぞ、もっと普通に話せねえのか!」

「す、すみません……。では、もう一度聞きますが」

「ああ!? なんつったんだ? 声がちっせえよ、メルウェール!」



「……いいわ。とことんやるわよ、メル」



 こうして過去の聖術師たちとの奇妙な交流は、徐々に深まっていったのだった。



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