第92話 証明してください―2
「ママル。出てきてください」
主人の静かな声を聞くも、宝珠は星明かりをきらきらと反射しているだけだった。
「揺さぶってみるか?」
「あの魔人はもう、僕の使い魔なのですよ。そんな粗野な扱いは認めません」
意外な親愛を見せる友に、エッドは金色の目を丸くした。こちらも共闘を経たおかげで、友情のひとつでも芽生えたということだろうか。
「親愛なる魔人よ――もう一度だけ通告します。今すぐ、我々の要求に応えなさい」
(……ぐー。ぐー。本日の営業は、しゅーりょーしましたあ……)
明からさまな寝息を響かせる宝珠を見下ろし、ログレスは声を低くした。
『地の国を翔けし鷹よ。我の命に応え、その敏捷なる翼を――』
漂いはじめたその濃厚な魔力に、宝珠が慌てたように真紅の光を発する。
(ちょ、ちょっと! なんで冥府の“運び屋”なんか喚んじゃってるのさ!?)
「“不要な荷物”は持たぬ主義です。今すぐ“送って”しまおうかと」
(こ、この極悪主人ーっ!)
「……」
容赦ない友の行動に、エッドは引きつった笑みを浮かべた。どうやら両者の間に温かな絆が結ばれるのは、まだまだ遠い話らしい。
疲労が抜けきっていない顔で小さく息を落とすと、ログレスはふたたび使い魔に呼びかけた。
「では観念して、出てきてください」
(やだ。この中、結構快適なんだもん。それにボクっち、疲れちゃったし)
「その中からでもいいんだ。“緋色の術師”について、教えてくれないか?」
エッドの声に、宝珠はゆっくりと明滅している。魔人の思考そのものを表しているのかもしれない。
(あーあ……やっぱ、そのことか)
毎度のごとくあしらわれるかと身構えたエッドだったが、返ってきた声は意外なほど真剣なものだった。
(……あんまり詳しくは言えない。ボクっちが長らく抱えてる、重要な“案件”なんでね)
「案件? 冥府より下された命ということですか」
主人の問いに、しぶしぶながらも使い魔は答える。
(んー、まあそんなとこ。これを解決しなきゃ、ボクっちは大手をふって故郷に帰れないってわけ)
「お喋りな魔人にしては、妙に渋るじゃないか。話してくれれば俺たちだって、現代の知識を貸してやれるかもしれないぞ」
少し驚いた顔をしている友にかまわず、エッドはそう提案した。
なぜだか、この件については早く情報を得たほうが良い――そう直感が訴えるのだ。
“宝珠”が一度、目を逸らすほどに強く発光する。
(――魔人を相手に、軽々しく“協力”なんて申し出るもんじゃないよ、亡者)
「借りれる手はなんでも借りとくもんだぞ、魔人さま。たとえ、腐った手でもな」
(……はぁ)
諦めたような小さなため息をつき、ママルは言葉を選びながら言った。
(“緋色の夜明け”。聞いたこともないだろうけど、この組織について調べてみなよ。現存する文献に載ってるかは、わかんないけどね)
「“緋色の夜明け”?」
(おい、外であまりその言葉を口にするなよ――名は力を束ね、蜘蛛の糸を震わす)
魔人の小難しい言い回しにエッドは首を傾げるが、主人にはきちんと伝わったらしい。神妙な顔をしてうなずいている。
「エッド……この件は、しばらく僕に預けておいてください。村の古い文献や、学術院の大書庫を当たってみます」
「いいのか? 色々忙しいだろうに」
驚いてエッドが言うと、ログレスは面白がるように呟く。
「……貴方が古代ニーム語と、モン・ゥク文字について堪能なのであれば、お任せしますが」
「よろしくお願いします、レザーフォルト先生っ!」
迷いなく頭を下げたエッドに、親友は小さく肩をすくめる。
(ふーん……お前たちの知の書架か。ニームに比べりゃたいしたことないんだろうけど、そん時はボクっちも連れてけよ。ご主人サマ)
「勤勉な使い魔を持って、嬉しいかぎりですね」
皮肉をぶつけあう二人だが、エッドにとっては心強い知恵者たちである。
「感謝するよ、ママル。今は、ゆっくり休んでくれ」
(そーさせてもらおっかな……ふあーぁ)
魔人でも疲弊はするのだろう。静かになった宝珠を懐に戻すと、ログレスは楽しげに話し込んでいる女たちを見遣った。
「……エッド。貴方が憂慮するのも、理解はできますが」
「ん?」
首を傾げたエッドを見ずに、友は静かに忠告する。
「今は単純な“亡者”らしく――喜びに浮かれるのも、良いのではありませんか」
「ログ……」
彼女たちから身を隠せるほど積み上がった背後の木箱を見上げ、ログレスは腕を組む。その声音は、平常のものに戻っていた。
「そもそも、どうしてこんな物陰に立っているのです。亡者の本能ですか?」
エッドは頬を掻き、困り果てた声を落とす。
「あ、いや……いざとなると、どんな顔したら良いのかわからなくてさ。腕を改造したのを知ったら彼女、怒るだろうし」
「……。その件については、全員が共犯です。存分に怒られるしかありませんね」
「う……!」
絶望を滲ませた機械的な声で告げる友に、エッドはうなだれた。
しかしこの男の指摘どおり、いつまでも姿を消しているわけにもいかない。
エッドは軽く頬を叩き、気合いを入れた。
「よし、行くか。早く村に帰って、彼女を休ませてやらなきゃだしな!」
「お言葉ですが、ほかにも休みたい者はいますよ」
「はは、もちろんだ。みんな、心ゆくまで――」
星明かりで満たされた野営地に戻ったエッドの胸に、子供のような声が響く。
“まだ だよ”
「!」
同時に、焦った声が耳に飛び込んでくる。
「あ、あんたたちっ! どこ行ってたのさ。ちょっと来てよ、メルが――!」
「どうした!?」
「とにかく、こっち!」
蜂蜜色の瞳を潤ませた闇術師の少女について、エッドたちは野営地の奥へと駆け出す。
相変わらず痩せ木に縛られたままの勇者の姿が見えた気がしたが、エッドはかまわず通過した。
「メル! なにかあったのか」
携行用の明かりに火を入れていた聖術師はふり向き、揃った顔を見回して目を丸くした。
「まあ、アレイアったら。そんなに焦らなくても良かったのに」
「だ、だって! あんた、時間がないからすぐに皆を集めろって――」
小麦色の頭を上下させて息をついた少女に、メリエールは優しく笑いかけた。
「そうだけれど。一緒にお茶を飲む時間くらいあるわ」
一心に集まる視線に、困ったように想い人はふたたび微笑んだ。
蒼い顔をしている弟子の背後で、彼女の師が低い声をあげる。
「……。まるで、それ以上は時間がないような言い方をしますね」
「――ええ。勿体ぶることではないから、結論から言います」
エッドの心中を映したように、冷えた風が野営地を吹き抜ける。夜風に乱された銀の髪を耳にかけ、メリエールは静かに告げた。
「助けに来てくれたのに、ごめんなさい――私は、一緒に帰れません」
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