第53話 赤き荒野と黒い鳥さん―2
語りかけるような静かな詠唱を聞いた途端、“屍体漁り”はエッドの腕でだらりと力を失った。
「……」
やがて長い首を持ち上げ、魔物は小さな目でじっとログレスを見つめはじめる。従順に指示を待つ魔物を見た弟子が、感嘆の息を落とした。
「はあ、なんて綺麗な術式構成。興味はあるけど、あたしには絶対無理だよ」
「頼むから、俺で練習しないでくれよ? その詠唱を聞くと、なんか腹の底がムズムズするんだ……」
「へえ! やっぱ従いたくなるの? すごい、どんな感じ? 意識は、どの程度あるの」
無邪気な顔で迫ってくる若き闇術師から半歩後退すると、一瞬の隙をついて“屍体漁り”がエッドの手から飛び出した。
「あっ――!」
しかし魔鳥は空中で一度大きく羽ばたき、音もなく“主人”の肩へと舞い降りる。
野鳥よりも発達した長い鉤爪は胴衣に穴を開けることもなく、優しく人間の肩を掴んでいた。
ログレスは顔のすぐとなりにある、鋭利なくちばしを臆せず撫でた。
「良い子ですね。少々、血生臭いですが」
「……。その術って、もしかしてあたしにも効くのかな?」
「羨ましそうな顔するなよ。何させられるか、わかったもんじゃないぞ」
エッドが少女にそう忠告すると、耳ざとい友は顔をしかめて反論した。
「不遜な物言いが目立ちますね、亡者。もう一度使役術をかけて、礼儀を学んでいただきましょうか?」
「純然たる主従関係には反対じゃなかったのか、ログレス先生?」
「理想と現実は、しばしば噛み合わないものです」
嘆くようにため息をついた友からさりげなく距離をとり、エッドはぎこちなく微笑んだ。
「さ、さあ続きだ! それで、その鳥に何をさせるんだ?」
「またこの“
闇術師が腰の鞄からとり出したのは、懐かしい道具だった。
亡者になったその日、シュアーナの森で活躍した音声伝達の魔具である。
「丸くなったんだな。それに、片方は……鏡?」
エッドの記憶では小ぶりな首飾りのような水晶であったはずだが、現在は明らかに形状が変化していた。
「ええ。“優秀な道具屋”に頼んで、さらなる進化を遂げたのですよ。首飾り型の水晶で映したものが、こちらの鏡面に投影されるのです」
「おお! そりゃすごい」
薄く引き伸ばされた“対水晶”は、言われなければただの手鏡に見えるだろう。
不思議な輝きを放つ水晶板をとり囲んでいる銀細工には、波打つような繊細な意匠が凝らされている。
しげしげと覗き込んだエッドの横で、アレイアがふふんと鼻を鳴らした。
「エッドには理解できないだろうなあ、この道具の崇高さは! あたしもちょっとだけ手伝ったんだよ。ペッゴの腕って、本当にすごいんだから!」
「え。“腕”を見たのか?」
「そ、その腕じゃなくって……いやまあ、そっちも見たんだけど……うん、それは聞かないほうがいいかも……」
なぜか小声になっていく道具屋の助手を深追いせず、エッドは友に向き直った。
「よし。じゃあさっそくやってくれ、ログ」
「承知しました」
闇術師は“屍体漁り”のクチバシに“対水晶”に連なる紐を噛ませ、つぶらな目の上に手をかざして集中した。
短く指示をささやくと、魔鳥は音も立てずに主人の肩から飛び立つ。しっかりと羽ばたきながら、迷いなく拠点がある丘へと飛行していった。
「あの木に引っ掛けるつもりなのかな?」
「たぶんな」
「背も高いし、見晴らしもよさそうだね――っひゃ!?」
「!」
期待に上気していた少女の顔が、小さな悲鳴と共に蒼く染まる。
悲鳴の原因は、エッドにもすぐ理解できた。
丘の向こうから吹き出す、可視できそうなほどの邪悪な気配――
「あっ! “屍体漁り”が!」
目を凝らさずとも確認できたのは、まっすぐに空へと放たれた眩い光線。
それは木にたどり着いたばかりの魔物の胴体を的確に打ち抜き、黒い羽ばたきを奪う。乾いた枝が絡み合う木上に魔鳥が墜落する鈍い音が、エッドの耳に届いた。
「ログ! どうなったんだ」
「……。やられました」
そう呟いた友は、日除けにもなるフードを深く引き下げてうつむく。
しばらく黙り込んでいたが、鏡型の“対水晶”を手にとり覗いた。
「……あの魔物には、申し訳ないことをしました。けれど、仕事はやり遂げてくれたようです」
「ログレス……」
心配そうに言った弟子に、ログレスは顔を上げてしっかりとうなずく。
「弔いは、あとにしましょう」
滅多に仕損じないこの男だが、いざ失敗をすると妙に落ち込む癖があった。
それがいつの間にか、こうして思考を浮上させる術を学んでいる――またしても“時の流れ”を感じたエッドだったが、今回は感慨深い思いのほうが強かった。
弟子をとらせたのは、やはり間違いではなかったようだ。
「さっきの光線って、“
「ええ。狙いも的確な上、あの高出力です。“優れた聖術師”があの丘の拠点にいるのは間違いないでしょう」
「……彼女だってのか?」
回りくどい友の言葉に、エッドは自然と低い声になる。
想い人が、危害を加える前の魔物を狙撃したことなどなかった。
しかし心の隅では、すでに理解していた――聖術を少し学んだ程度で放てる技ではない。
「……映りましたよ。真相をたしかめましょう」
大闇術師の言葉に、エッドとアレイアは額をぶつけそうな勢いで水晶の板を覗き込んだ。
滑らかな板の表面が、淡く発光している。やがて冬のガラス窓の向こうを見ているかのような、ぼんやりとした景色が浮かび上がった。
しかし、製作者が期待していたであろう道具への喝采は起こらない。
「……」
エッドは、声もなく四角い水晶板に見入る。
じっと“こちら”を見上げているのは、光の残滓を手にまとったまま立ち尽くすひとりの女。
虚ろな昏き光を翠玉の瞳に宿した、メリエール・ランフアの姿だった。
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