第53話 赤き荒野と黒い鳥さん―1



 クーザン荒野はおおむね、エッドが思い描いていたとおりの場所だった。


 広大な荒れ野には色あせた植物が申し訳程度に残され、あとはひび割れた赤土が延々と続いている。

 背の低い樹木は時々見かけることができ、そこを拠点とする痩せた野生動物たちの姿が確認できた――が、魔物の姿や気配が皆無なのがうすら寒い。


「なーんにもないでしょ。ここで野営するなんて、野盗ぐらいだよ」

「遮蔽物が少ないな。戦闘はやり易いんじゃないか」

「こちらも奇襲できないとも言えますよ」


 各々が荒野に対し、所感を述べる。

 エッドは密偵から託された地図を広げ、朱で囲まれた一角に目を落とした。


「目標はこの辺りに拠点を作って、この数日間動いていないらしい」

「えーと……ちょっと大きな木があるね。あの辺りかな?」

「恐らくな。枝のつき方が、セプが描いた絵にそっくりだ。あいつ、絵も上手いんだな」


 紅い目を細めてエッドたちと同じ方角を睨んでいたログレスは、やがて諦めたように肩をすくめて呟いた。


「……人間の目がこれほど劣っている器官だとは、落胆しますね」


 エッドと魔物まじりの少女の視界には、すでに特徴的な曲がりかたをしている一本の木が捕捉されている。

 少し驚いた顔になり、アレイアが師を見上げた。


「あんなに“近く”の物も見えないなんて、不便じゃないの?」

「膝に置いた本が読めれば、問題ありませんよ」

「そもそもお前、普通の人間よりも視力が落ちてるぞ。せめて、本は明るいところで読むんだな」

「……亡者に、健康について諭される日が来るとは思いませんでした」


 顔をしかめた友から視線を外し、エッドは再び目標地点を観察する。


 ちょうど拠点は小高い丘の向こうにあるらしく、こちらからだと詳細が確認できない。

 いくつかの木箱らしき物体が周囲に散らばっているのを見る限り、何者かの野営地であることは間違いないのだが――


「この荒野の中では、あそこは間違いなく一等地だ。だが勇者たちはもう移動していて、アレイアの言う野盗が居ついている可能性もある。もう少し接近したいが……」

「やめといたほうがいいね。あいつ、勘はもの凄くいいんだ。これ以上近づいたら、気づかれて戦闘に突入しちゃうかも。作戦決行は、夜なんでしょ」


 アレイアはそう忠告したあと、警戒するように辺りを見回した。

 エッドは顎に手をやり、考えを絞る。


「うーん……また俺がコウモリになって、様子を探りに行くとか」

「えっ! それって、“姿変化ミラージュ”? すごい、見たいっ!」


 知的好奇心から鼻息を荒くした弟子に、ログレスは静かに頭をふった。


「手品ではありませんよ……。意外とあの術は魔力を消耗しますし、か弱い小動物の姿で“気のふれた武人”に接近するのは、如何なものかと思いますね」

「そうだな。聖宝の影響で、感覚がよりするどくなっている可能性もある。万一気づかれたら、即バッサリかもしれない」

「そっか……。まあ、あんたがコウモリ鍋にされちゃったらヤだもんね」


 そのような料理がウェルス大陸に流通しているのか気になったが、エッドは茶々を挟まずに続けた。想い人がこのすぐ先にいるかもしれないと思うと、身も入るというものだ。


「みずからが変化せずとも……現地の魔物に手伝ってもらえば良いのでは?」


 ログレスは空を見上げ、淡々と意見した。

 追って顔を上げたエッドが見たのは、いつの間にかぐるぐると頭上を旋回している黒い鳥たちの姿である。


 大きく不恰好な羽をばたつかせている割には、不気味なほど静かに飛んでいる。


「“屍体漁りデッドコンドル”じゃん。あんなに集まってるなんて、近くに死体でも捨てられてんのかな?」

「偶然にも、瑞々しい一体が貴女のすぐ目の前にありますよ」

「……あ」


 エッドと目が合った少女は、気まずそうに視線を逸らす。亡者は苦笑し、ふたたび黒い輪を見上げた。


「あれを使役する気か、ログ?」

「ええ。このまま我々の頭上で騒がれても厄介ですし、丁度良いかと。一羽、捕まえてきて頂けますか?」

「了解。“一瞬”で十分だ」

「元より、それ以上の時間はありません。いきますよ――」


 赤土と青空の境界がぐにゃりと溶け、混じりあう。


 エッドが目を瞬かせると、次に飛び込んできたのは黒い魔物たちの姿だった。


「!?」


 輪の真っ只中に突如現れた亡者に、“屍体漁り”たちはボタンのような目をさらに点にする。


 エッドは、手を上げて朗らかに言った。


「やあ。今からちょっとした仕事を手伝って欲しいんだけど、志願者はいるか?」


 同じ魔物であれ、やはり言葉は通じない。魔物たちは羽ばたきの音を強め、旋回をやめてエッドへの包囲網を縮めた。

 わざわざ懐に飛び込んできた獲物と、取引をかわす気はないらしい。


「だよな。じゃあ、悪いがそこの一番大きい君に頼む」

「ギャアッ! ギャアア!」

「ありがとう。協力、感謝する」


 危険な音を打ち鳴らす朱色のクチバシにエッドは笑いかけ――そしてなんの躊躇もなく、すばやく手を伸ばした。


「!」


 魔物はぎょっとしたが、矜持を見せて乱入者の腕に狙いを定める。

 無数に並んだ針のような歯が、灰色の腕を食いちぎろうと迫った。


「おっと――“おやつ”は、仕事のあとのほうが美味いぞ」

「ギャッ!?」


 人間離れした速さで腕が引っ込められ、魔物のクチバシは空を噛んだ。

 その間にエッドは反対の“手”を鞭のようにしならせ、獲物の首根を正確に捉える。



「よし。ちゃんと、な」



 満足そうに、エッドは空中でひとり呟く。

 服飾品には向いていないだろうごわついた羽毛をしっかりと掴み、目を固く閉じた。


(ログ、頼む)


 そう念じた瞬間、ふたたび身体が粘土のように捻れる心地が走る。“転移”の感覚にも、哀しいかな慣れたものである。


「わーっ! お見事!」

「鳥を捕まえるのは、亡者になる前から得意でしたね」


 乾いた地面を踏みしめると同時に、賞賛の声がエッドの耳を打つ。

 赤毛をふってわずかなめまいを追い払うと、エッドは暴れる魔物を手早く持ち直して鎮めた。


「誰かさんがよく追いかけられて、うちに逃げ込んできたもんでな」

「……昔話は止して、仕事をしましょう」


 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべているエッドを一瞥したあと、闇術師はすぐさま集中状態に移行する。


 猛暑の只中だというのに、重い冷気がエッドの足元を舐めた。



『汝が影に暫しの別れを告げよ。然すれば冷厳なる主人は、その身に安寧の寄り辺を与えん――追従せよ、“使役する友人コーザティヴ・フレンズ”』


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