第90話 騎士さまは選べない
(……?)
現代の荒野に引き戻されるのを待っていたエッドは、相変わらず鼻をつく煙の匂いに顔をしかめた。
ふたたび視界を支配したのは、火の粉が舞う戦場である。
しかし、仲間の少女と記憶の案内人の姿はない。
(え? お――俺、置いていかれたのか!?)
記憶の中に放置される経験などはじめてである。エッドは焦って周りを見渡した。
荒野での戦は続いているが、激戦地点は移動したようだった。離れたところで爆炎の柱が吹きあげ、魔法と魔術――この時代では、まだ“魔導”と呼ばれている――が交錯する激しい光が炸裂している。
(……! まだ生きてる)
エッドの前の血溜まりに横たわる、一人の若き騎士。その肩はまだわずかに上下している。
途切れ途切れだが、細い呼吸音も聞きとれた。
「やぁやぁ! やぁっと見つけましたよォ。聖術騎士ジリオールさん」
戦場には不釣り合いな猫撫で声が響き、新たな人物が姿を現す。
エッドの背後から歩いてきたらしい――記憶とはいえ、まったく気配を感じなかった――その男は、遠慮なく血の水を跳ねあげてジリオの傍に屈みこんだ。
「……だ……れ、だ……」
「ンんー? おやぁ、もう目がほとんど機能していませんかぁ。激闘でしたものねェ」
感心したように手袋を打つその人物は、どう見ても兵士ではなかった。
胴衣を着ているので術師なのだろうが、その色はエッドが目にしたことのない緋色。血のような赤黒さではなく、どこか人工的な鮮やかさを感じさせる色だった。この時代の術師が好んだ装備なのだろうか。
「香、の……にお、い……」
「やだなァ、警戒しちゃって。一応、正式に共闘させていただいてる者ですよォ。ここに来る前も、ちゃァんと負傷兵を救ってきたんですからねェ」
丸めた背をこちらに向けている術師の表情は窺い知れない。
しかし過去のジリオと同じく、エッドもその人物に対し好感は持てそうになかった。
「まァ……アナタは助かりそうもないですけどねぇ。ご愁傷様です」
「……な、ら……はやく……ほかの、もの、を……」
「おおぅ! さすが名高き聖術騎士! 懇願もせず、もう他人の心配とはっ! でもねェ――」
腕を広げ曇天を仰いだ術師は、突如冷めた声になって言う。
「あっし――そういうの、嫌いなんですよ」
(……!)
実体を持たないはずの肌を、一気に悪寒が駆け抜ける。
術師が放つ言葉にしがたい気迫に、エッドは圧倒された。
聖術や闇術の気質とも違う、臓腑に絡むような重厚な魔力――
「おっと。こりゃァ失礼。個人の思想は置いといて、仕事仕事っとォ」
その異様な凄みを嘘のように引っ込め、術師はごそごそと懐を探る。とり出したものはエッドからは見えなかったが、なんとかそれを見上げたジリオは、焦点の合わない目を瞬かせた。
「き……さま……! そう、か……南、の……!」
「そう毛嫌いしないでくださいなァ。我々の“武具”がなきゃ、この大陸はとうに魔王軍の支配下に置かれてたんですよォ?」
愉しむかのような声に、エッドは眉を寄せる。
みずからの意思で景色を動かせないのがもどかしかった。
「そして、喜んでくださいよォ。アンタは、その新たな『核』に選ばれたんです!」
「か、く……?」
「騎士さまに敬意を表し、器は細剣型に仕立ててみましたぁ」
(――やめろ!)
この光景がどこへ向かうのかを悟ったエッドは叫んだが、なにも状況は変わらない。その間にも、胡散臭い声の説明は続いた。
「隊長さんであれば、知らないはずないですよねェ? これだけ人間軍が奮闘できているのは、この素晴らしい発明品のおかげだってこと。アンタの魂を、この核にとり込んで――」
「……わたし、の……たま、しい、は……やらん……!」
「えーっ!? ご冗談でしょォ!」
ジリオの頑とした拒絶に、術師はまたしても天を仰ぐ。
胴衣の袖が引っ張られて露見した褐色の腕に、エッドの目は釘づけになった。
(あれは……!)
術師が魔力を高めるために刺青を彫るのは珍しくない。しかし、気になったのはその模様である。
蓮の花と蝶、そして星々が絡みあった複雑な流線。美しくも毒々しいその造形には、どこか見覚えがある――
エッドが記憶を手繰る前に、苦しそうな声が荒野に響いた。
「わたし、は……じゅうぶん、戦った……。もう……逝か、せろ……」
「いやいやいやァ、ご謙遜を! まだ戦は続いてるんですよォ? 奥さんが待つ故郷を、焼き討ちされちゃってもいいんですかぁ?」
必死の説得を続ける怪しい術師に、聖術騎士は静かに告げる。
「……。もう、ふるさと、は……シェゼタ、村は……地図に、ない……」
「ありゃりゃ。知ってたんですか」
(!?)
悪びれず言う術師の背後で、エッドは立ち尽くした。
「……生存者、は……いない。……ここに来る、前に……きいた……」
「ふぅーむ。なのに、あんな鬼神のごとき戦いを繰り広げるとはねェ! あっし、感服いたしましたよォ」
術師はくねくねと身体を折って会釈らしき動作をし、見え透いた賞賛を送る。
「それにね――ますます、アンタを『使いたく』なりました」
「……! だ、から……わたし、はっ……!」
「アンタが大切にしてたのは、奥さんだけだったとでも? そンなはずないでしょぉ、お優しい騎士さま」
「!」
フードに覆われた頭が、荒野の彼方を見遣る。
緋色の布から鼻先が覗いたが、顔は見えなかった。
「まだアンタの可愛い部下たちが、あそこで頑張ってますよぉ。さっき、ちょいと見てきたんですがね……あんまり楽しい状況とは言えなかったですねェ」
「き、さまッ……!」
「なんで加勢しなかった、とでも? 止してくださいよ。あっしは本来、技術職なんですからねェ」
ひらひらと手をふり、術師はふたたび血溜まりを見下ろす。
「……アンタほどの騎士が『核』になれば、相当な武具ができる――そう、あっしは踏んでるんです。どうです、未来を切り拓く若者のために一肌脱いでやるってェのは?」
「……っ」
(よせ! くそっ――!)
牙を剥いてエッドはうなった。しかしどんなに大声を出そうが手をふり回そうが、脇に打ち立てられている焼け焦げた戦旗ひとつ揺らがない。
「恨めしいでしょう? 魔王軍が――いや、魔物が。国も故郷も、友も……そして今度は家族をも奪ったあいつらが、アンタはどうあっても憎いはずです」
「……まも……の……」
「そう、その眼に浮かぶ光ッ! このままだとアンタは戦場の塵と化すだけですが――あっしは、その魂を戦うための力に変えることができます!」
興奮を抑えきれないといった様子の術師は、緋色の胴衣の裾を血で重くしながらも叫ぶ。
「アンタは、剣――この世から魔物を駆逐するまで決して折れない、不朽の聖剣となるのですよぉッ!」
あの気味の悪い魔力が術師から吹き出し、エッドは思わず義手で顔を覆った。
記憶に過ぎないはずの存在が打ち出す力にしては、あまりにも重く、生々しい。
「……この……だ……」
「はい?」
血の海に波紋を作りながら、聖術騎士は術師を睨みつける。
その眼には、最後の光が燃え盛っていた。
「この……た、たかい……だけ、だ……! あいつ、らを……」
「あァ、はいはい。もちろん武具が出来たら、すぐに部下たちの元へ送り届けてさしあげますよォ。アンタが入った剣がありゃ、形勢逆転は間違いなしです!」
「なら……さっさと……やれ……!」
捨て吐くようなひと言を最後に、騎士は静かになる。
その顔を覗きこみ、術師は面白がるように言った。
「おっとと、気合い入れすぎて逝っちまわないでくださいよォ。こっちにも手順ってもんがあるんですからねェ。けど、その前に――」
緋色のフードが、ゆっくりと“こちら”を向く。
分厚い雲が立ち込める荒野ではその顔は判別できなかったが、エッドは異様なほど大きくつり上がった口元を見た。
「どこからか覗き見している、お行儀の悪い人がいますねェ。……ヒトかどうかは、よくわかんねェですが」
(!)
フードの暗がりにある目が、はっきりとエッドを見つめている。
音もなく腕を突き出すと、刺青の流線が淡く輝いた。
「そろそろ、お引きとり願いましょうかぁ――ここから先は、重要機密ってやつなんでねェ」
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