第88話 すこし昔の話をしよう



「負け……?」

「そう。わたしの負けだ。同志たちと剣を失った今、敗北を悟った」



 あまりにも唐突な宣言に、エッドは荒野にわずかに残った痩せ木のように立ち尽くした。仲間たちも言葉が浮かばないようだ。


「さあ。首を撥ねるがいい……と言っても、無理な願いか」

「あ、当たり前だろ!」

「では、どうやってわたしを滅するつもりだったのだ、亡者?」

「う!」


 まさか敵本人にそう訊かれると思っていなかったエッドは、言葉を詰まらせた。


「えーっと……」


 泳いだ目線が、自然と知恵者に流れ着く。


「……本当に、なにも考えていなかったのですか。貴方は」


 仲間とは思えないほど冷淡な光を浮かべ、紅い目がみるみるうちに細くなった。


「とっ、とりあえず気絶させるところまでは考えてたぞ! そしたら、“次の奴”が出てくるだろうって――」

「それでほかの者が表に出ている間に、その騎士が回復したらどうするのです?」

「……。ま、また倒す」

「エッド。あの……堂々巡りって言葉知ってる?」


 若き闇術師に気の毒そうな声を向けられ、エッドの自尊心が悲鳴をあげた。

 こちらに見込みがないと悟ったのか、ログレスが顎に手を遣って話を引きとる。


「不毛な戦いに終止符を打つには、さきほどその騎士が言ったように、“滅する”ための行為が必要になるでしょう」

「――話が通じる者がいて安心したぞ」


 皮肉めいた笑みを浮かべ、聖術騎士は腕組みをした。

 その様子をちらと見るも、闇術師は淡々と説明を続ける。


「高位闇術――“原点の鐘オリジンズベル”。かの術なら、霊体に対しての干渉を行うことができます」

「なら、それで――!」


 安堵の表情を浮かべたエッドに、友は声を低くして言い加える。


「……しかしその分類は、歴とした攻撃術。魂を裂く痛みは避けられず、さらにその送り先は――終わらぬ裁きの国、冥府です」

「!」


 自分でも知らない間に、エッドは顔を引きつらせていた。

 落ち着かない様子の若き闇術師も、おずおずと割って入る。


「しかもね……この術は、ヒトに対して使っていいものじゃないんだ」

「そうなのか」

「うん。複雑な術式だから、かなりの腕が要るっていうのもあるけど。やっぱり、同族の魂を粉々にするのは……」

「では貴様が使えば良いであろう、犬鬼娘? 我らはヒトであって、貴様と同族ではないのだから」


 ただの挑発か、それとも本気か――エッドが見定められずにいると、少女の師が静かに杖腕を上げる。


「どちらにしろ、我が弟子に扱える術ではありません」


 その声は珍しく、沸々とした危険な響きを孕んでいた。


「しかしそこまでお望みとあらば――すぐに冥府の門扉までご案内いたしますが?」

「ろっ、ログレス!? どうしちゃったの、落ち着いてよ」


 度肝を抜かれた様子の弟子に胴衣の袖を引っ張られ、ログレスはするどい眼光をおさめた。


「……冗談です」

「もう、びっくりした。それで、どうしようか? エッド」


 もちろん、友にそのような魔術を依頼するわけにもいかない。何より、想い人の魂を傷つける可能性もある。


「うーん、そうだな……」


 エッドは折れそうなほど頭を傾け、思い浮かんだ方法を垂れ流した。


「王都に行って、腕のいい聖術師に浄化を依頼するとか」

「その間に、騎士は元気をとり戻しますよ」

「ボジルに訊いてみるとか」

「精霊術は現世の自然力を借りる術だから、たぶん魂にまでは干渉できないと思うなあ」


 楽しい談義にでも聞こえたのだろうか、“宝珠”から思念が流れ出る。


(はーい、名案っ! ボクっちが、そいつの魂をバリバリかじっちゃうってのはどお?)

「……とり込んだ魂は、貴方を通じて僕の魔力に分散されます。それは遠慮願いたいですね。というか今後、食魂行為は禁じます」

(ええーっ!)


 外野からの意見が混じえても、やはり名案は浮かばなかった。


「……ぬるいな」

「ん? なにか言ったか」


 亡者の聴覚がひろった呟きに、エッドはふり向いて訊いた。

 相変わらず険しい顔をしている聖術騎士が、失望したように息を吐く。


「ぬるい、と言ったのだ。貴様らには、戦場に立つための覚悟が欠けている」


 ジリオはそう言い捨てると、広大な夜の荒野を見回した。


「……この荒野だった。ここで、わたしも戦った」

「!」


 聖術騎士は遠い昔に思いを馳せ、静かに話し続ける。


 回復をはかるための時間稼ぎであるという深読みもできるが、エッドを含めた全員が不思議とその声に耳を傾けていた。


「魔王軍の精鋭どもを集めた、“黒鉄連隊”。どこで会得したのか、当時の奴らの製鉄技術は人間のそれを遥かに超えていた」

「……?」


 夜風が渡る音のほかに耳を打ったのは、かすかな金属音。


「完全武装し、統率のとれた強靭な魔物の大軍隊――ひ弱な小国なら、堕とすのにひと月もかからぬ勢いだった」

「うっ……!?」


 突然エッドの耳が、おびただしい数の足音を拾う。


 飛び交う悲鳴と怒号を、剛毅な男の声が切り裂いた。



“突撃、突撃ッ! 絶対に荒野を抜けさせるな――!”



 大音響に顔をしかめていたエッドは、目を開けて言葉を失った。


「!?」


 荒野は一面、火の海に包まれていた。


 喉まで焼き尽くさんとする黒煙が立ち昇り、駆けていた数人の兵士を呑み込んでいく。

 おぞましい匂いを放つ黒い塊が、エッドの足元にいくつも横たわっていた。


「なん、だ……これは……!?」

「うぅっ――いや、こんなのっ……!」

「二人とも! どうしたのです」


 友の呼び声に、なんとかエッドは顔を覆った指の隙間で目を開ける。


「エッド……!」


 戦火のむこうで、なにかが煌めいた。

 恐怖に潤んだ、自分と同じ金色の瞳――。


「……どうやら魔物どもには、視えているらしいな」

「視える? 一体、何が――」

「貴様は幸運だということだ、闇術師よ。この場の身体に害はないゆえ、しばし黙っていろ」


 聖術騎士に杖を向けていた闇術師は逡巡を見せたが、隣で膝をついて震えはじめた弟子の介抱を優先した。


 炎がはなつ熱風に銀の髪をはためかせ、ジリオはゆっくりとエッドに手をかざす。



「邪魔はせん。代わりに、とくと視るがいい……本当の戦場というものをな」


  

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