第43話 宝石犬鬼ものがたり―2


「この能力も、故郷じゃちょっとは“役に立って”たよ」



 魔物混じりの少女は、昇る朝日に目を細めて話しはじめた。


「言葉を喋るより早く盗みの技術を仕込まれ、文字を習うんじゃなくて貴重品の特徴を教わった。あたしの家族は、みんな現役だよ。捕まってなきゃだけど」

「……そうか」

「でも、あたしは嫌だったんだ。ちゃんと自分で稼いで、食べれるようになりたくて……」

「それで、ルテビアに行ったのか」


 アレイアは林檎に額をこつんとぶつけ、肩を落とした。


「うん。海都に出たあたしは、そこではじめて目の紅い闇術師たちを見かけたんだ。で、どうやら闇術ってのを勉強すれば、ああいう目の色になれるらしいってわかった」


 遠い昔のことに想いを馳せているのか、闇術師の少女はずっと空を見上げている。


「ウェルスじゃ、この大陸よりも闇術師たちの地位は高いんだ。出自も隠せて、おまけに豊かな生活ができるならって、ね……単純な田舎娘だよ」

「自分の目がそんなに嫌いなのか?」


 滑らかな林檎の表面に映りこんだ自分の目を睨み、アレイアはうなるように答えた。


「むこうじゃ、割とすぐ分かっちゃうんだ。目が金色なら、“魔物の子”だってね。昔みたいに表立って迫害されてるってわけじゃないけど……分かるでしょ」

「なるほどな……」


 どこの大陸も、栄えた都を牛耳るのはやはりヒトだ。


 圧倒的な数に、集団性。個々が優れた少数の存在など、その大海に浮かぶ流木のようなものである。華やかな王都の路地裏に逃げるように入っていく、歪な背中を何度も見てきた。


 以前はあまり、深く考えたことのない光景。

 しかし、今は――。


「うん。けど字を読むのもギリギリだったあたしが、魔術を勉強できる場所なんてなくてさ。酒場の下働きでもらった薄給でなんとか買った教本を、毎日必死に読んだよ」

「すごいな。杖は? 大体は、剣よりも高いだろ」

「これは、精霊の住む森から死ぬ気で折ってきた枝を削って作ったの」


 腰に下げた小さな杖を丁寧に撫でるアレイアの表情には、愛しさと苦労が混じっている。苦い思い出もたくさん詰まった品なのだろう。


「あいつからそれなりの給料をもらっても、これだけは買い換える気がしなくて。“みすぼらしい木の枝”でも、あたしにとっては――自分が何者かを示してくれる、大事な杖なんだ」

「いいんじゃないか? そういうのは、自分で決めることだろ」


 昨夜学んだことを思い出しながら、エッドは力強くうなずいた。

 多少元気づけられたのか、少女はしゃくしゃくと林檎をかじりはじめる。


「うーん、おいし! そういや、しばらく水も飲んでなかったなあ」

「あいつと何があったか、訊いてもいいか?」

「!」


 びくりと肩を強張らせた少女を見て、エッドは問うのが早すぎたかと焦る。

 しかしアレイアは深呼吸すると、観念したように口を開いた。


「あんたが出て行ったあと、ログレスに訊かれたんだ。あたしの、その……素敵な血のこと」

「多分、俺以上に不躾な訊きかたをしたんじゃないか?」

「まあね。でもそんなの気にならないくらい、あたし緊張しちゃって……」


 明るい色に彩られた爪が、じゃりっと林檎に食い込む。

 わずかに震えている手をもう片方で押さえながら、アレイアは長い息を吐いた。


「……ログレスは、あたしが勇者パーティーの一員にしてはあんまり闇術に長けてないことと、杖を奪った動きで気づいたみたい」


 エッドは素直に同情した。隠していた素性をいきなり想い人に暴かれるというのは、決して楽しい気分ではないだろう。


「あと、犬鬼語を使ったこととかも」

「ああ――あれか、“スニヴ”」

「うん。とっさのことだったから……。知識量も含めて、ほんとログレスはすごいね。あんたが寝込んでた間、何度か手合わせしてもらったけど――軽い術ひとつでも、洗練されてるっていうかさ」


 アレイアが闇術を使用しているところはまだ見ていないので、エッドには彼女の実力など推し量れるはずもない。術師同士であれば、わずかな対峙でも十分なのだろう。


「この腕輪も、歳にしては選り好みすぎだって」

「え……それも血の影響なのか?」

「血というより性質かな。力のある宝石を身につけると、なんか安心するんだよね。給料、ほとんど飛んでったけど……。ディナスには“宝石犬鬼”がいないから、バレるわけないって油断してたよ」

「あいつ、魔物の知識は無尽蔵だからなあ……」


 エッドにしてみれば、日々遭遇する魔物たちの情報が得られたらそれでよかった。

 しかし友は使役術を磨くために常に学びを怠らず、高価な図鑑をほかの大陸から取り寄せるほど熱心なのである。


「それで? あいつ、君のことを知ってなにか言ったのか」

「ううん、なにも。でも――」


 前髪をくしゃくしゃと乱し、少女は小さな声で答えた。


「でも、わ――笑ったんだ!」

「え」

「絶対、滑稽に思われたんだよ! 鉱山にこもってるはずの魔物もどきが、難問である闇術を身につけようとしてるなんて!」


 出会った日に、地面で“す巻き”になって喚いていた時と同じような興奮を見せ、アレイアはまくし立てる。


「そんなの、自分でもダサいってよくわかってる! 勉強がしたいって言えば家族に笑われ、独学の闇術は勇者あいつに才能ないってバカにされて!」

「アレイア――」

「しかも、命を助けられたくらいですんなり惚れてさ! むこうは、純粋な“ヒト”なのに!」

「……それって、まずいことか?」


 エッドの静かな声に、少女はハッとして手で口を塞ぐ。

 鮮やかな格子柄のスカートの上に、林檎が転がった。


「あ……。ご、ごめんなさい」

「いや。まあ気持ちはわかるよ。お互い、苦労するよな」


 さっぱりとした肯定がどんなに落ち込んだ心を癒すか、エッドは昨晩体感したばかりである。


 しばらく鳥の声に耳を傾けて時間を置くと、予想どおり少女はぽつぽつと喋りはじめた。


「……あたしには、ちゃんとヒトの血も流れてる。それでも魔物の血を引いてるって聞いた人は、みんなどこか一線を置いちゃうんだ」

「ああ、それはあるな。俺なんか棺桶から出たとたん聖術浴びせられたり、聖気の塊みたいな剣でぶっ刺されたり斬られたり、なかなか愉快な魔物人生を送ってるぞ」


 穴の空いた胸に手を添え、エッドは感慨深く目を閉じてみせる。

 アレイアは小さくぷっと吹き出し、慌てて咳払いした。


「ごめん。……すごいや、よくそんな風に言えるね。でもさ、人間の頃からエッドは強いんでしょ。勇者になるくらいだもん」

「うーん。それも案外、成り行きもあってな」

「えっ、そうなの?」


 好奇心を浮かばせた少女をよそに、エッドは椅子から腰を上げた。

 どこかの家から、コトコトと朝餉の準備をはじめる心地よい音が響いてくる。今日からは自分も同じように食卓につくことができると思うと、エッドの足が疼いた。


「とある数奇な勇者の人生譚ってのもいいが――まず、やることがあるだろ?」

「えっ……」


 家の方角を指差したエッドに、野うさぎのように跳ね上がったアレイアは頭をふった。


「いや、ムリ無理!! あたしがどんな“仕事”をしてきたかも、知られたし」

「あいつも学院生だった時は、保管室から薬草やら干物やらをしこたまくすねてたぞ。気にすることないさ」

「そういう話じゃなくって――!」


 唖然とする少女に、エッドは両指で口の端を引っ張りながら言った。


「笑ったって言っても、こういう顔だろ。にやーって、嫌らしいやつ」

「う……うん。そうだけど。それって、馬鹿にしてるんでしょ?」


 腰に手を当て、エッドは不安そうな顔の少女を見下ろした。


「たった数日じゃ、あいつの乏しい表情は見分けられやしないだろうな。けど大丈夫だ。俺もちょっと話があるから、一緒に行こう」

「で、でも……。もし、ほんとに嫌われちゃってたらどうすんのさ?」


 当然の問いにも、エッドは己の脳に思案する暇を与えなかった。


 答えなら――もう出ている。



「そうなりゃそれで、これから好きになってもらうしかないだろ?」


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