第44話 謝罪は机の角とともに



 元気よく開け放たれた戸口に、対照的な雰囲気の男女が立っている。



「ただいま!」

「た、ただいま……」


 朝日が差しこむ居間にさっと目を走らせた亡者――エッドは、笑みの中にもどこか挑むようなまなざしを浮かべる。

 その背後では小柄な少女アレイアが、巣穴に戻りたいネズミのごとく不安そうに佇んでいた。


「……ああ。戻りましたか」


 遅れて答えた闇術師――ログレスが、昨晩エッドが目にした時と変わらない位置で顔を上げる。

 椅子の肘掛けには数冊の分厚い本が積まれ、テーブルには冷え切った茶器がそのまま放置されていた。思わずエッドは呆れた声を出す。


「お前、ひと晩中本を?」

「もう朝ですか……。時間の進行を緩める術があれば良いのですが」


 凝り固まったらしい肩を揉み、友は恨めしそうに呟いた。

 エッドの背後から三つ編みだけをのぞかせたアレイアが、どこか明るすぎる声で宣言する。


「そう、もう朝だよっ! お腹減っちゃったよね! あたし、なんか作ってくる!」

「アレイア? その前に――」

『さ、先にエッドの話を済ましといて! あたしやっぱ、まだムリ』


 泣き出しそうな小声で懇願され、エッドは頭を掻いた。

 しかし答える前に、少女はつむじ風のように部屋を駆け抜けてしまう。


 調理場へと消えるその背を仕方なく見送り、エッドは扉を閉めた。


「ま、楽しみにさせてもらうか。“俺の”も、忘れずに作ってくれると嬉しいけど」


 むかいの長椅子に腰をおろし、エッドは真っ直ぐに友を見た。


「……」


 紅い目の下にはうっすらと隈が浮かび、夜どおしの疲労を物語っている。ログレスはおりだけが残ったカップを見下ろしてため息をつき、ややかすれ気味の声で言った。


「その様子では……“有意義”な散歩になったようですね」

「まあな。聞いたよ、全部。この村のことや、素敵な住人たちについて」

「……。エ」


 友の言葉をさえぎり、エッドは膝に手をついてがばっと頭をふり下ろした。



「すまんっ!!」



 ごつんと派手な音が響き、テーブルの端から数冊の本が落下する。エッドは額を硬いテーブルに打ちつけたまま、間髪入れずに言った。


「色々、悪かった! 昨日の大人げない態度とか、お前の苦労も知らずに毎日呑気に暮らしてたこととか――なんか諸々、すみませんでしたっ!!」

「……」


 勢いばかりの雑な謝罪で、呆れてしまったのだろうか。

 反応を待ちながら、エッドは落ち着かない気持ちになる。考えてみれば、言い争いの後で面と向かって謝ることなど、大人になってから久しい。


「僕も……すみませんでした」

「え」


 予想外の言葉に、エッドは思わず顔を跳ねあげる。


「お前っ――今、謝ったのか? 素直に?」

「……いつも“気遣いに欠ける”と散々賞賛される僕でも、一般的な謝罪の言葉くらい心得ています」


 刺々しい言葉を返すころには、ログレスはいつもの憮然とした表情に戻っている。エッドはおとぎ話の幻獣を目撃した者のように目を見張りつつ、座り直した。


「あー……べつに、謝ることなんかないだろ。住人に頼まれたからとはいえ、村のことを全部黙ってたのは驚いたけどな」

「取引は取引ですので。秘密は結界を強固にし、価値ある沈黙は他者の目を逸らすのに有効です。無論――内の目も」


 相変わらずの小難しい回答だが、友が沈黙を選択した理由がエッドにはなんとなく理解できた。


「外の心配をせず、俺と彼女が快適に暮らせるようにしてくれたんだろ」

「……我が努力が実を結んだようで何よりです」


 エッドは鼻の頭を掻き、その面白がるような視線から逃れた。


「えっと……。お前の配慮のおかげで正直、この一年は俺にとって――彼女にとっても――良い休暇になったと思う。ずっと働き詰めだったからな」

「得たものはありましたか」

「逆さ。肩の荷を下ろしていったんだよ。すると、自然と大事なものだけが残った」


 彼女のお気に入りだった、暖炉の前にある肘かけ椅子をふと眺める。


 雪深い夜には、優しく爆ぜる炎が彼女の横顔を照らしていたものだ。



“学術書か、メル? 熱心だな。ほら、毛布”

“ありがとう、エッド。そんな疲れる本じゃなくて、ただの物語よ”

“へえ。面白いのか?”

“とっても! 頭に毒きのこを生やした女性が、森の奥で出会った獣人と恋に落ちる話なんです”

“ふ、ふーん……? それで、いい結末になるのか”

“まだ最後までは、読んでいないの。二人がどうなるか楽しみだけど――こわくて”



 少女のように頬を染めて語る、想い人の顔。

 エッドは今さら、その笑顔に寂しさが滲んでいることを思い出した。


 自分たちの、この奇妙な物語には――どんな結末が待っているのだろう。


「メリエールがいなくなって、俺は痛感したんだ。あらゆることを彼女と分かち合える幸せと、それができない不幸せをな」

「……そういうもの、ですか」


 自分にはむずかしいことだ、という顔をしている親友にエッドは苦笑する。


 いつか彼も――もしかすると、そう遠くない未来に――その気持ちを味わうことになるかもしれない。


「わかるさ。お前にだって」


 しかしすべてが“上手くいった”なら。

 そんな人間味あふれる彼の姿を、自分が目にすることはないかもしれない。 


「――絶対に、彼女をとり戻す。それからあらためて、俺の気持ちを伝えるよ。余さずにな」

「……エッド。それはつまり、貴方が――」


 言いかけた言葉を呑み込む友は、エッドから見ても珍しいものだった。

 しかし彼が口をつぐんだのは、自分の顔に浮かぶ決意を汲み取ってくれたからだろう。


「……わかりました。それまで、僕も力を尽くしましょう」

「お、心強いな。よろしく頼む」


 膝の上に本を開き、闇術師はふんと鼻を鳴らした。



「“起きあがり”からの礼など、受け取りたくはないですね」


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