第45話 弟子ができました―1



「お、おまたせー……」



 遠慮がちな声とともに、廊下からおずおずとアレイアが顔を出した。


 ちらとエッドに投げてきた視線には、こちらの話がうまくいったのかをたしかめたがるような色があった。

 微笑んで小さくそれに応え、エッドは久々に木目が顔を出した食卓を手で示す。


「待ってたよ。どうぞ」

「えと……エッドも、食べれるんだよね? 一応作ったんだけど」

「もちろんだ、早く早く! 食えるとわかれば、不思議と腹が減った気がするんだよ」


 唇を舐めるエッドに少女は苦笑し、手際よく机上に食事を並べはじめる。

 長椅子に飛び込んだエッドは、色とりどりの品目に目を輝かせた。


「具だくさんのサンドイッチに、ベーコンと炒り卵に……これは? なんか変わった形だな」

「セルタの葉で巻いた豆ミンチだよ。ソースはちょっと辛めだから、お好みでね」

「……こちらの、茶色い三角形のものは?」

「あ、それはね――」


 明るい調子だったアレイアは、質問主が誰なのかを知って声を呑み込む。

 甘い香りの立つ一皿をじっと見つめているログレスに、やや戸惑った声で説明した。


「い……イッジャ・スパイスと砂糖で煮た林檎だよ」

「ほう? 術師に向いている一品と見えますが」

「う、うんっ。日持ちするし、あたしは長旅の時いつも作ってくんだ」


 会話が成立したことに胸を撫でおろしている少女をおいて、ログレスはひょいとその皿から甘味をすくい上げた。


「え!」


 そこから手をつけるとは思っていなかったのだろう、少女は目を丸くする。しかしエッドにとっては、何年と見慣れた光景である。


「気にするな、いつでも甘いものから食べるやつだから。王城の祝賀会でも乾杯より先に糖蜜パイにナイフを入れようとして、侍女さんに睨まれてたよな」

「……食べる順など、好みで良いでしょうに」

「まあな。それ、美味いか?」

「ええ。あの“粉っぽいパイ”より幾分かは」

「っ!」


 エッドがさりげなく料理への感想を引き出してやると、少女はぼっと頬を上気させた。そっけない言い草だが、王城で出てきた食事より口に合うのは事実らしい。


 慌てて丸盆で顔を隠したアレイアは、長椅子を回り込んでエッドの隣に腰かけた。


「そっ……それなら、よかった。料理は酒場のおかみさんに、かなり仕込まれたから」

「んー、たしかにうまいっ! よし、食うぞ。今まで食い損ねたぶん、とり返す!」

「それは物理的に不可能では?」


 エッドに的確な指摘をしながらも、ログレスはいつもより多い分量をとり皿に放り込んでいく。よほど腹が減っていたのだろう。

 丸盆の端からちらりと顔を覗かせた少女は、その光景を目に焼きつけようとするかのごとく見入っていた。


「アレイア。エッドの前にある一品を確保してください」

「え、あ――うんっ! どうぞ」

「おはへなー、ほんなあふぇらなふても」

「亡者の言語は勉強不足でして」


 豆ミンチ巻きが盛られた皿を受け取りつつ、ログレスは口いっぱいに食事を詰め込んだ亡者に警戒の視線を送る。


 エッドはしばらく咀嚼してから、大きく喉を鳴らして飲み込んだ。


「ああ、食べるって幸せだな……。どこに行くのかわからないけど」

「あはは。こんなものでよかったら、いつでも作るよ」


 自然とそう口にした少女は、ハッとして向かいの男を見た――昨晩、自分から家を出たことを思い出したらしい。

 サンドイッチを貪っていた闇術師はその視線に気づき、顔を上げる。


「そういえば、貴女が使っている教本を拝見させてもらいましたが――」


 思わぬ切り口に、若き闇術師はたじろいだ。


「えっ。あ、あたしの本? そういや、渡してたけど……」


 エッドが退かした書物の山に長い手を伸ばし、ログレスは一冊の小ぶりな本をとり上げる。


「ムターン・ドッド著『初級闇術の手引き』――これは、いささか理論が古すぎます。およそ三十年前に打ち破られた手法ばかりです」

「えええっ!? うそぉ!」


 三つ編みを跳ね上げて叫ぶアレイアの顔は、青ざめていた。

 エッドは思わず、甘味をすくい上げていたスプーンをとり落とす。


「大丈夫か、アレイア?」

「だって、露天商のおじさんは、それが最新版だって……!」

「そのような場で売られている本は、手垢だけ削って整えた型落ち本ばかりです。教本は闇術師の支部か、学院経由で手に入れるのが確実ですよ」

「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす少女は、相当の打撃を受けているようだった。

 無理もない。生活苦のなか必死で工面した金で買った本が時代遅れの代物だったとなれば、落ち込みもするだろう。


 エッドは素直に同情し、その小さな肩をぽんと叩いた。


「大丈夫さ、そう気落ちするな。若いんだし、また勉強し直せばいいだろ?」

「……簡単に言うけど、これホント最悪だよ? 基礎理論からなんて、詠唱も覚え直さなきゃだし。でも……うん、そっか。なんかおかしいなとは思ってたんだよね。時々、魔力が上手く流れないとこがあったから」

「ほかの本も購入しましたか?」


 淹れ直してくれたハーブティーで喉を潤し、ログレスはそう少女に問う。泣き出しそうな顔をしているアレイアは、力なく肘かけに身を預けて答えた。


「うん。給料が増えてからは、いろいろ……。『闇の窓辺』と、『赤と黒の狂宴』、『魔力に魅入られし者たち』とか」

「悪くない選択です。ですが、この本が提唱する理論では応用が効きません」

「……だよね。違う流派の本かと思うくらい、噛み合わなかったもん。あたしが下手くそなんだと思ってた……」


 アレイアは、最初に購入した本に信頼を置いたのだ。それが間違いだとは夢にも思わなかったため、その後の学びに齟齬を感じながらも無理に進めた――。


「全部、ムダだったってことか……笑えるね」

「笑っている場合ではありませんよ」

「は、はいっ!」


 説教されるとでも思ったのか、少女は皮肉めいた笑みをさっとしまって姿勢を直した。


「学んだ理論は少々古いですが、すべてが間違っているわけではありません。書きこみを見るに、貴女の着眼点は悪くない――この付箋も、疑問を感じる部分に付けてあるのでしょう?」

「う、うん……」

「なんでほかの闇術師に訊かなかったんだ? ルテビアには、たくさんいるんだろ」


 当然の疑問を挟んだエッドに、少女はうつむいて顔を赤らめた。


「だって、あの人たちはみんな学校――あっちでは、習学院っていうんだけど――を出てるし……。そうじゃない術師とは、あんまり関わらないっていうか」


 その様子で、エッドは事情を察した。

 どうやらむこうの闇術師たちは地位と同じく、鼻も高くなっているらしい。こちらとはずいぶんと立場が異なるようだ。


「だから、あたしみたいな独学なんてって……」

「……学びの場がどこであろうと、力さえ養えれば同じではありませんか? 周りの者と歩調を揃えて学ぶことに、意義はありません」

「そ、そうだけどさあ」


 ちらと顔を上げた少女の瞳には、はっきりと疑念が表れていた。

 エッドは友のために、補足を言い足してやる。


「アレイア。ログレスは、学術院には通ってないよ」

「え――う、うそでしょっ!?」

「入院試験と卒院試験に“同時”に受かったら、教える必要なんてないだろ?」


 そう苦笑したエッドの脳裏に、若かりし日の場面が蘇る。



“聞いたぞ、ログ――卒院試験に受かったって!? お前、まだ学院生になってもないじゃないか”

“入院試験も、ちゃんと通りましたよ”

“そうじゃなくて! どうすんだ、下宿先だってもう決めたってのに”


 エッドが苦労して獲得した学院生証を見せに行くと、若き日のこの男は卒院証を手に、平然と廊下に立っていたものだ。


 背後の演習場でたくさんの教術師たちが騒然と討論している声を、今でもよく覚えている。


“いえ、通うことには通いますよ。ここの蔵書量だけは、尊敬に値しますからね”

“それって、学生って言えるのか?”

“エッドも、さっさと卒業してきてください。『勇者』はさすがに、学院生では成れません”

“だな。よーし、見てろよ! 一年で卒院してみせるぞ”

“……そんなにかかるんですか?”

“お前なあ……”



 懐かしい思い出に、エッドは場の空気を忘れてひとり微笑む。


「や、やっぱすごいね、あんた……。でも、あたしは凡人だし。こ、“犬鬼コボルド”だし。やっぱ、闇術なんか向いてないのかなって」


 そんな暗い呟きに、エッドはとなりで落ち込んでいる少女に意識を戻した。


「“犬鬼”だと、何か不都合があるのですか?」

「そ、それは……」

「さきほども言いましたが、貴女の学びの姿勢は悪くありません」


 静かにそう話すログレスが開いている本を、エッドも観察した。


 何度も読み返し、擦り切れたページ。随所に挟まれた、色褪せた手作りの付箋――その根元には、細かな字でびっしりと書き込みがされてある。

 エッドに内容は理解できないが、きっと勉強熱心な子なのだろう。


 大闇術師は紅い瞳で、居心地悪そうにしている若者を射た。



「……ひとつ問いましょう。貴女にとって、闇術とはどんなものですか?」


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