第45話 弟子ができました―2



「あたしにとっての、闇術……?」

「ええ。ただ瞳の色を変えることのできる、便利な術ですか」

「そ――そんなのじゃないっ!!」


 ログレスが放った問いに、アレイアはすばやく立ち上がって反論した。


「たしかに最初は、そういう動機もあったってのは否定しないけど……でも、今は違う! 闇術を学ぶのが、あたしは好きなんだ」


 どこか満足そうにほくそ笑む友人の表情に、少女は気づいただろうか。

 エッドは黙って、長椅子から小さな反論者を見上げる。


「闇術の原理を知った時、感動したの。この世すべての闇には理があり、こちらが手をのばせば惜しみなく知識を与えてくれること。光のうしろに闇がなければ――」

「――生ける者も死せる者も、心休める場もなし。……基礎理論『陰影の理』の、一章三四節ですね」


 若き術師は息を整え、少し落ち着いた様子になって語る。


「それに……はじめて闇術が使えた時、本当にびっくりした。高い酒瓶に命中して粉々にしちゃったけど、飛びあがるくらい嬉しくて。下手くそで、ちっちゃな“闇の波刃ダーク・スラッシャー”だったけど……こんなあたしでも、できるんだって」

「ええ。それくらい、誰にでもできることです」


 その冷静な声に、大事な思い出に浸っていたアレイアは殴られたような顔になる。

 口を尖らせ、斜に構えた声になって言った。


「わ、悪かったね。“それくらい”のことではしゃいで!」

「理論を解し適切な詠唱を行えば、ある程度の魔力をもつ存在なら闇術の行使が可能です。精霊の加護を受けねば成せない“魔法術”とは、根本的に異なります」

「お前、魔法は全然ダメだもんな」

「……精霊どもとは、どうも気が合わないみたいですので」


 茶化すエッドに睨みを利かせたあと、友は小さな咳払いをして続ける。


「つまり、出自や才能などがまったく関係のない分野なのですよ。学びを乞う者には、幅広く門扉が開かれています」

「……」

「しかし道はやがて、細く険しくなる」


 紅い瞳に厳しい光を宿し、ログレスは後輩を見る。

 若者がその視線を正面から受け止めているのを見て、エッドは感心した。


「ある時点で、常人の理解は及ばなくなるでしょう。強力な術には相応の反動がともない、使用者にも危険がふりかかります。“紅き目”の開眼を果たす前に、ほとんどの者が別の分野へと去るか――あるいは、精神の破滅へと進みます」

「……うん」


 顔を強張らせた少女は、そのままエッドのとなりにすとんと腰をおろした。


「怖いこと言ってるけどな。こいつもわりと頑張ってきたんだぞ、アレイア」

「おや、今頃気づいたんですか」


 この友は何でも易々とこなしてしまうので、一般的な苦労がどこに生じているのか分かりづらい。

 しかし闇術を極めるには、素質ある者でさえ並大抵ではない努力が必要であることをエッドは知っている。


 絵本や流行りの遊びを楽しむ時間をすべて学術書にささげ、ほかの子供たちが胸おどる夢に抱かれている時間に、幾千の詠唱を練習する――それほどの努力が必要なのだ。


「貴女の学びが今後、報われるかは分かりません。しかし今手放せば、これまでの知識が塵と化すのはたしかです」

「……」

「決めかねるようでしたら、手伝いますが? ――“闇提灯ダークランタン”」


 友が言うと同時に、いつの間にか構えていた杖の先に紫色の炎が宿る。

 ぎょっとしたエッドの隣で、少女は迷う間もなく姿を消した。


「やめてっ!!」


 エッドには、ログレスに突っ込むようにして褐色の影が現れたように見えた。

 しかし年季の入った黒い本は弧を描いて友の手から飛び出し、机の横に姿を現したアレイアの胸にしっかりと抱かれている。


 その本を見下ろし、少女は自分でも意外そうな声を上げた。


「あ……」

「それが、貴女の解です」


 擦り切れた本の角の握りしめ、アレイアは蜂蜜色の瞳を潤ませた。


「やっぱ、捨てらんないよっ……! この本も、闇術も……!」

「その見事な“原石採りジェムストーン・マイン”の技術も、今後活かせる場があるでしょう」

「えっ――だ、だってこんなの、ただの盗人の……ていうかこの技、名前あんの?」


 色々と戸惑っている少女に、ログレスは淡々と説明を続ける。


「“原石採り”は、そこの筋肉剣士が練習して習得できる技ではありません。“宝石犬鬼”に伝わる、伝統的な採掘技法です」

「失礼な。せめて亡者剣士って呼べよ」

「えと……採掘を楽にする技とかってこと?」

「おそらくは。詳しくは、あの緑色の背表紙の本を参照してください」


 友の視線の先には、危うい均衡で積み上がっている本の山がある。自分に関する文献を探してくれたのが嬉しかったのか、アレイアはしばらく言葉を忘れていた。


 エッドは最後のサンドイッチをつまみあげて長椅子の背に沈み、気楽に言った。


「つまりな、お嬢さん。親愛なるログレス先輩は、“まあ頑張れ、応援するぞ”って言ってあげたいんだよ」

「……陳腐な言いまわしのほうが功を奏するなら、そうしますが?」

「なんだよ、言ってやらないくせに。いつまで俺の通訳が必要なんだか」

「昔から、頼んだ覚えなどありません」


「あの……ほんと?」


 その小さな声に、エッドは不服そうな顔で腕組みをしている友から視線を外した。

 質問者の少女はうつむいており、いつもよりいっそう小さく映る。


「それ、本当? あたし――このまま頑張っても、いいの?」

「……僕が許可するべき事項ではありません。貴女が、みずから選択するのです」


 先輩の言葉に、若き闇術師は顔を上げた。

 その拍子に蜂蜜色の瞳から大粒の涙がこぼれ、擦り切れた本へと落ちる。


「う、うんっ……! やってみる――あたしの、やりたいように。ありがとう」

「……。浮かれている暇など――」


 心からの謝礼の言葉に、いつものようにログレスはするどい返しを浴びせようと口を開きかける。それを察したエッドは、大きな咳払いを割り込ませた。



「あー、よかったなアレイア! こんなに優秀な“師匠”は、なかなかいないぞ?」

「……は?」

「えっ、師匠? ログレスが――あたしに、闇術を?」



 ぱっと口を押さえて感激した様子になった少女は、急に食卓の皿が寂しくなったことに気づいたらしい。

 空いた皿を急いで掻き集め、勢いよく立ち上がって宣言した。


「あの……あ、あたし、もっと作ってくるよ! 今はこれくらいしかできないし」

「待ちなさい。僕は――」

「俺は術はさっぱりだけど、“原石採り”の技を磨くなら手伝うぞ。使い方次第で、十分戦闘にも活用できそうだしな」

「嬉しい! ありがとね、エッド! ログレス――ううん、“お師匠さま”っ!」


 にっこりと最上級の笑顔を見せ、少女は足どりも軽く調理場へと消える。


 その背を呆然と見送ってしまった友は、エッドに恨みがましそうな視線を向けた。


「……僕が弟子をとらないことは、知っているでしょう」

「まあな。けど、教えることにも新たな“学び”があると思うぞ」


 言ったのは適当である。しかし見習い剣士の監督役を務めたこともあるエッドの言葉は、意外にも友の心に響いたようだった。


「……考えておきます。いずれにせよ」

「ああ。まずは、この戦いが終わってから――だな」

「ええ」


 最後に残っていた甘味の皿に手を伸ばしたエッドよりも早く、友はさっと皿を引き寄せる。

 見せつけるように最後のひと欠けらをすくうと、迷いなく口へ放り込んだ。


 仕方なく飲み物で一息つこうとしたエッドは、ふと顔を上げる。


「そういやアレイアは、お前に笑われたって凹んでたぞ」

「僕が? ……ああ、昨晩のことですか」


 おそらく少女を奈落の底へ突き落とした時と同じ笑みを浮かべ、闇術師は答える。


「学術的に、とても珍しいことですからね。希少な“宝石犬鬼”の混血児など、聞いたことがありません。その伝統や文化、生活習慣――そういったものが、彼女から窺い知れるやもしれないのですよ? これが、期待せずにいられますか」

「……だと思った」

「ええ。……まさか、そんなことが理由で出て行ったのですか?」


 神妙な顔をしている幼馴染に、エッドは重々しくうなずいた。


「おっしゃる通りですよ、大闇術師さま。年頃の婦女というのは、“そんなこと”で明け方まで泣き腫らしてしまうものなんです」

「面妖な……理解しかねます。まあ彼女も貴方も、村の外へ出ていないのは結界の管理をしていれば分かるので良いのですが」


 素っ気なくそう言い、ログレスは湯気の立つポットに手を伸ばす。

 相変わらずの友の様子に、エッドは苦笑するしかなかった。


「……お互い、修行が足りないな。いろいろと」


 湯気のむこう側で、むずかしい顔になって友は首を傾げる。しかし気を取り直し、真面目な声になってエッドに問うた。


「それで。夜風に当たって、なにか妙案でも思いつきましたか」

「ん? ああ、まあな」

「……本当に、思いついたのですか?」


 面食らったような友の顔に、エッドはニッと牙を見せて笑む。



「思いついちゃったんだよな、それが」


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