第41話 あらたな依頼があります―2



 事態を呑み込めないエッドを置いて、モルズドはひとり話を進める。


「件の人物の特徴を述べますぞ。美しい銀色をした長い髪に、翡翠の瞳をもつ若い女性。大抵は聖術師の力を高める、白い衣服を身につけております」

「お、おい――?」

「人を安堵させる柔らかな物腰と、どんな相手であっても真摯に向きあう生真面目さを持っております。……まっすぐすぎて、足元の小石につまずくこともしばしば」


 トカゲの顔が、器用に悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 ニルヤから受けとった酒を大きな口にくいと流し込むと、長い舌を美味そうに揺らした。


「この“少し変わった村”では、唯一の聖気をもつ者。けれどそんなもの、我らにとっては毒でもなんでもないのです」

「……」

「高潔と親切、利他的な優しさを備えた若者を、誰が嫌いましょう? 彼女は――この村の、陽だまりのようなものです」


 ここまでメリエールに人望――ヒト以外から、だが――が集まっていた事実に驚き、エッドは小さく口を開けた。

 しかしまるで“言葉封じ”で抜きとられたかのように、声は出てこない。


「それに彼女としても、この村で大事な出来事があったようです」


 静かに輝く月を見上げ、村長は目を細くする。

 縦長の瞳孔は人間に不可能な収縮をしてみせるが、そこからはたしかな親愛があふれていた。


「最初は、まだ彼女も自覚できないほどの小さな芽。けれど“彼”と日々を過ごすうちに、その思いはたくさんの水と光を受け、まっすぐに伸び――今や、誰が見ても立派な大輪の花となりました」

「そ、それは……!」


 その詩人めいた例えが何を示しているかを悟り、エッドはもごもごと声を漏らした。

 ちらりと隣の女を見ると、もう止められないよとばかりに小さく肩をすくめられる。砕けて話す時は、いつもこうらしい。


「……。ひとつ、確認させてくれ」

「何ですかな?」


 村長の芝居に乗る覚悟を決めたエッドは、鱗に囲まれた目をじっと見た。


「その“彼”は――そんな陽だまりである彼女に、相応しい人物だと思うか?」


 野菜の酢漬けをひと呑みにしたあと、モルズドは嬉しそうに答える。

 

「おお、よくぞ聞いてくれました。それが、その“彼”というのがなかなか厄介でしてな」

「え……」

「ヒトから亡者に成った数奇な運命をもつ若者で、まだ自分が何者かと揺れております。その上、苦手とする聖気をまとった女性ひとを好いている。他人が聞けば、この池でクジラを待つほど無謀なことと同義でしょうなあ」


 メリエールを褒めちぎっていた時の優しい態度から一変し、村長は呆れたように細長い頭を左右にふった。エッドは言葉もなく、それを見つめる。


「しかしね、私は――“私ら”は、そうは思ってないんですよ」


 金色の瞳が、柔らかな光をたたえる。


「世渡り上手で気さくな“彼”ですが、心から想う人の前ではまるで不器用そのものです。愛を得たいがため力みすぎたり、格好つけようとして転んだり――まるで、無垢な少年のよう」

「……」

「ですが、我々も皆そのようなものでしたよ。立派な鱗や角をもっていてもね。若さとは得てして、淡い辛酸をなめることに変わりありませんでなあ」


 村長の長い舌が、可笑しそうにチロチロとのぞく。

 吹き出しそうな顔をしているニルヤを横目で睨み、エッドはジョッキをぐいと煽った。


「悪かったな。少年みたいなおっさんで」


 ふてくされたエッドを眺め、少し引き締めた声になった村長は話を続ける。


「環境や己の身の上を嘆いていては、こんな村は出来上がらなかったでしょう。ですから少なくとも我々だけは、その“彼”の未来を悲観することなど決してありません」

「モルズド……」

「不運なら、幸運を探せばいい。不条理には、それを上塗りする条理をみずからで築くだけ――そうやって泥の中を進み続ける者のみが、安寧を手にするのですよ」

「……。俺は」


 温かい激励にエッドが口を開いた瞬間、暗い家々や木立の陰から複数の気配が躍り出てきた。


「そーだっぺ! メルちゃんをとり返してくれよ、エッドさん!」

「そうだよ。あの娘がいなきゃ、なんだかもう寂しくってさ。また一緒に、お料理する約束もあるんだからね」

「うちの孫も、多少ちくちくしてもメリエールさんに抱かれるのが好きでなあ。あの子らに、彼女が行っちまったなんて言えやしないだろ?」


 登場と同時に勝手に話しはじめたのは、村でよく見かける面々――のはずである。エッドはもはや、どこから驚いたら良いのかもわからなかった。


「……全員、はじめましてじゃないんだよな? ええと、ドルンに……ポーラか」


 鋭利なくちばしをカチカチ鳴らしているのが、村一番の力持ちであるドルンだ。メリエールと仲の良いほっそりとした八百屋の女、ポーラもいる――彼女の腰から下は、光沢を放つ大蛇の身体をしていた。


「それから……?」


 二人の隣に浮かんでいる宝石のような丸い“物体”の声にも、聞き覚えがある。


「道具屋のペッゴだ! ログレス先生に渡した黒合金ブラックアロイの筒は、役に立ってるっぺか? あの人にも、また来てくれって伝えとくれよ!」


 道具屋の主人は、エッドの記憶にある人物の面影をかけらも残していない。


「ペッゴ? それが、本当の姿なのか」

「ぜーんぶヒトに化けるのは、骨が折れんだっぺよ? まあ、骨なんてねえけどなっ!」


 完全な球体である身体のどこに口があるのかは不明だが、ペッゴがにこにことしているらしいのはエッドにもわかった。


「悪いけど、話は聞かせてもらったよ。まさか、怖気づいてんじゃないだろうね?」


 ポーラはシューという危険な音をちらつかせ、高みからエッドを見下ろしてうなる。


「あんたが行かないなら、アタシだけでも行くよ。野菜の選り分けと、木登りだけが得意ってわけじゃないんだ」

「落ち着いてくだされ、マダム・ポーラ。心配なのは、みんな一緒ですぞ」

「村長は話がわかりにくいんだよ! ほら、腐ってもあんた勇者なんだろ? 好きな女を拐われてしょげるヒマなんかないんだ、意地を見せな!」


 普段は上品な物腰の美女は、いまや噛みつかんばかりの顔になってエッドを叱咤する。


 自分よりも数倍長いその牙を見上げ、エッドは静かな声で答えた。


「勇者である前に、俺はただの亡者だ」

「なっ……! もうそんなこと、あの娘は眼中にないよ! 聞かせてやりたいくらいさ。あの娘が、どんなにあんたを――」

「いや。甘い言葉は、彼女から直接聞くことにする」

「!」


 エッドの言葉に、蛇女は長いまつ毛を瞬かせた。

 勢揃いした異形の者たちを眺め、エッドはいまだ癖となっている深呼吸をする。


 胸の穴に、一陣の風が吹いた気がした。


「亡者であり、人間であり――やっぱり、まだ勇者でもある。“勇亡者”エッド・アーテル。それが、今の俺さ」

「ああ。あんたがそう決めたなら、そうだとも!」

 

 満足そうに口の端を持ちあげているニルヤは、どこか目を赤くしているように見えた。村長もうんうんと嬉しそうにうなずき、集まった面々も安堵の表情を浮かべている。


 代表として一歩前に出たモルズドは、丁寧に会釈して言った。


「では、“勇亡者”エッドさま。ラケア村の代表として、ふたたび申し上げます。聖術師メリエール・ランフアの奪還依頼――受けて頂けますかな? もちろん村としても、協力は惜しまないつもりです」


 王の御前でしか披露したことのない、片膝をついた姿勢をとりエッドは答える。



「このエッド、命に代えてもその任を遂げてみせましょう――ま、命はもうないから、骨に代えてもってとこか。とにかく、やれることはやってみるさ」

「なんだい、締まらないねえ」



 ニルヤの呆れた笑い声に賛同するように、茂みにいた虫たちが楽しげな曲を伴奏しはじめた。


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