第41話 あらたな依頼があります―1



「――そういうわけで、メルはいない。この大陸にすらな」



 月が水面の端に消えるころ、エッドはようやく話を終える。


「そうだったのかい……。辛かったね」


 重々しくうなずき、ニルヤは空になった語り手のジョッキに酒を注いだ。


 まっすぐなその同情は、下手な慰めよりもエッドの心を揺さぶった。手に力が入らず、芝生の上にジョッキを降ろして亡者は呟く。


「だから“勇者”なんて、今の俺には一番似合わない肩書きなんだ。大事な人をあっさり拐われて。自分の無力さに苛立って、仲間に当たって……。挙句こんなところで酒を煽るくらいしかできない、ただの“亡者”にはな」

「おやおや、自棄になるんじゃないよ。酒は、自分の心を見つめるには役に立つもんさ」


 なだめるような女の声に、エッドは渦巻く液体のほの暗い底を睨みつける。


「ああ。あらためて話してみて、よく分かったよ――俺は弱いってことがさ」

「……」


 呆れているのかもしれない。

 しかし黙りこんだ女に構わず、エッドは言い捨てる。


「けど、それに気づいたとこでどうなるってんだ? 彼女がいなきゃ、俺が棺桶の中から“起きあがった”意味なんてない」

「……そうかね?」

「ああ、そうだ! それにとり戻したからって、彼女は幸せになるのか? 聖堂から隠れて、小さな村に閉じ込めて。なら、いっそ」


 それより先の言葉は、口にするべきではない――心の隅で誰かが、全力で訴えかける。


 悲痛な叫びをねじ伏せたのは、目をそらし続けていた不安の影。


「“人間あっち”の世界で、生きたほうが――!」

「そこまでだよ」

「!」


 うなりにも似た低い声に、エッドははっと目を見開いた。


 風を切る音もなく、首筋にぴたりと当てられた刃――その持ち主であるニルヤは、金色の目に厳しい光を浮かべている。


「たしかにあんたは、あたしが思ってるほど強くないみたいだね」

「……」


 そんな嘲りの言葉が耳を打っても、激昂する気力さえ湧いてこない。

 本物の亡者のように虚ろな瞳で、エッドはのろのろと女に顔を向けた。喉の皮が、刃に浅く沈む。


「なんなら、そのままこっちに倒れてくるかい? 考えない頭なんて、いらないだろ」


 首を飛ばされたら、さすがの亡者も無事ではいられないだろう。それでも動くようなら、目の前の泉に投げ入れてもらってもかまわない。


「……それも、いいかもな」


 そうだ――自分は、いつでも“それ”を選ぶことができる。


 亡者だが、この身体は幸か不幸かまだ意思をもっている。

 未練を追って苦難の道を進まずとも、今すぐ楽になる方法をこの場で選ぶこともできるのだ。


「しっかりしな。好きでもない男と一緒にいることが、あの娘の幸せに繋がるわけないだろ?」

「……けど、それは俺のそばにいたって同じだろ。“亡者”に、人間を幸せにする力なんて――っぐ!」


 突如襲ってきた衝撃に、エッドは身構える暇もなく芝生に倒れこんだ。


 横ざまになった風景に、本当に首が飛んでしまったのかと錯覚する――しかし殴られたのは、どうやら頬のようだ。



「これは、“人間”のあたしからだ! 魔物と一緒になったからって、不幸になるなんて決めつけないどくれ」



 肉付きのよい拳を痛そうに振り、ニルヤは倒れたままのエッドを見下ろした。


「それから、これは“魔物”のあたしから――ほら」

「……悪い」


 柔らかな皮膚に戻った右手を差し出す。

 易々とエッドを助け起こしながら、女は話し続けた。


「自分の弱さをよく知る魔物が一番賢く、そして厄介だ。あんたもそう在りな」

「……!」


 なかば無理やり座らされたエッドは、その言葉にもう一度頬を張られた気分になった。


「俺の、弱さ……」


 深く心に刻まれた言葉の意味を考えようとした瞬間、眼下にある水面がゆらりとふくらむ。


「そうです! ここが踏んばり時ですぞ、エッド殿!」

「うわっ!? そ――村長!」


 水しぶきをあげて泉から姿を現したのは、村長であるモルズドだった。


「その身体……」


 楽々と岸に上がった彼の身体は、びっしりと青い鱗に覆われている。

 トカゲのような太い尻尾で芝生を打ち、逞しい腕を組んで村長はエッドを見下ろした。


「若い時分に、“水蜥蜴ウォータ・リザード”に噛まれましてな。以来、少しばかり泳ぐのが得意な身体になりました」

「お……おう……」


 トカゲの腰に水泳用の下穿きをきちんと身につけた姿を見上げ、エッドはぎこちなくうなずくしかなかった。

 大きく横に裂けた口、開閉できる鼻孔――どこをとっても立派な魔物でしかなかった。それでも人の良さそうな垂れ目だけが、エッドが知る村長その人であることを物語っている。


「この姿を見せた時、人間である妻は驚きつつも嬉しそうに言ったものです――“よかった。これで新鮮なお魚をたくさん食べられますね”とね。今でも、村の漁は私の仕事なんですよ」

「へ、へえ……それで、いつもこの泉に?」

「はっはっは。この泉にはたいした魚はいませんよ。たまには、水の中で昼寝をしたくなるものなのです」


 海藻のようにはりついていた白髪を撫でつけ、村長はずらりと並んだ牙を見せて笑った。


 新しい酒の大瓶を用意しながらも、ニルヤは呆れた声を向ける。


「水ん中で聞き耳を立てちゃいけないって掟も追加しなくちゃねえ、村長?」

「厳しいね、ニルヤ。村長として、困った村人を助けるのは当然なのだよ」


 自分が村人として数に入っていることに気づき、エッドはどきりとした。

 そんな心中を知ってか知らずか、胡座をかいた村長は金色の瞳を輝かす。


「さて、あらためて。我が村が誇る“勇者”さまに、“依頼クエスト”をお願いしたいのです」

「く、依頼だって?」


 思ってもみなかった提案に、エッドは訊き返した。

 久しく聞いてない言葉だ。



「ええ。我が村の人気者――メリエール・ランフア殿が、どこぞの不埒者に連れ去られたようなのです。その奪還を、お願いしたい」


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