第40話 星明かりとタネ明かし―2
感慨に浸る時間も惜しいほど、疑問が頭にあふれている。
エッドは背をのばし、話題を変えた。
「それで? どこから訊いたらいいんだ」
「お好きにどうぞ、だよ。まだまだ夜は長いからねえ」
「そうだな。じゃあ――ニルヤのほかにも、魔物に関係のある人はいるのか? というよりヒト、でいいのかな」
生真面目に思われたのか、女は干し肉を噛むのをやめて微笑んだ。
「自分が何者か、他人が何者でないか。それは、各々の心が決めることだよ」
「あ、ああ……」
短い指を折って示し、ニルヤはうなずいた。
「そうさね。この村では、純粋な人間は四人だけだべな。あたしの旦那に、村長の奥さん。それから、あんたのお連れさんがた」
エッドは思わず暗い家々を見回す――灯りがなくとも“問題のない”面々が、窓際でこちらを観察しているような気がした。
「じゃあ、ほとんど人外の者だってのか!? そんな場所が――」
「国の手も入らず、こんなに平和に存在してるなんて不思議だろ?」
エッドの驚きを引きとってそう言い、女は続いて答える。
「みんな、訳ありで寄り集まった村だからね。親切な妖精たちの知恵を借りて、“人間避け”の対策はしてるんだよ。……たまーに、あんたみたいなえらく強い存在が、ひょいっと踏み越えちまうけどね」
ニルヤの悪戯っぽい笑顔に、エッドは鼻の頭を掻いた。
「俺ぐらいの魔物なんて、いくらでもいるだろ?」
「どっこい、そうじゃないんだべな。あん時ゃ近づく大きな気配を感じて、あたしと旦那が見張りに立たされたぐらいさ」
「あの時から分かってたのか!」
一年前。陽光が降りそそぐ畦道で出会ったニルヤが、貸し家の手配や“花束の谷”の情報を渡してくれたのだ。
その親切がなければ、今でも自分は新天地を求めてどこかの国を渡り歩いていたかもしれない。
「あたしら夫婦は、こういう目利きにゃ自信があってね。聖術師がいるのは気になったけど、とりあえずは受け入れてみようと決めたんだ。どう見ても、都会から逃げてきたって感じだったしねえ」
「……ありがとう。あの時は、本当に助かった」
あらためて頭を下げたエッドに、女はぶんぶんと太い手を振る。
「やめとくれよ! 小っ恥ずかしい」
感情が刺激されると魔物の特性が発現するらしく、その手は危険な銀色の尾を引いていた。エッドはさりげなく上体を反らせて離れる。
「魔物の血を引く者に、魔物の呪いを受けた流れ者。そして、そんな半端者を愛した奇特な人間たちが作った村――だからどんな理由を抱えていても、敵意がないなら手を貸してやる。村長が決めた、数少ない掟のひとつだべ」
「そうだったのか。今さらかもしれないが、ほかの掟はどんなものなんだ? 失礼をしてなきゃいいけど」
礼儀正しいエッドに、やはり自分の目に狂いはなかったと安堵したような笑みをこぼしてニルヤは答える。
「“ひとつ。角や尻尾が出しっぱなしになっている人を見かけたら、声をかける。ふたつ。炎や毒を吐き出す時は、よく左右を確認する。みっつ、お互いのちがいをよく見ること”」
「はは、いい掟だな。厳守するよ」
そう言ったエッドは、家を出てからはじめてまともに笑えたことに気づく。
「……」
家にいる“純粋な人間”たちは、もう寝てしまっただろうか?
来た方角にふり向くも、奥まった位置にあるその建物を見ることはできなかった。
しかし、帰路につくには――まだ早い。
「二つ目の質問だ。俺の仲間たちは、どこまで知ってる?」
「ログレス先生だけだよ。村の秘密を知ってるのはね」
林檎を豪快にかじりながら、ニルヤはさらりと答える。
元勇者であることが露見している時点で予想はしていたものの、エッドは口を尖らせた。
「あの秘密主義者め……。というか、“先生”だって?」
「ああ、どうかあの人を責めないでおくれよ。あたしらが口止めを頼んだんだ。とくに聖職者のメリエールさんには、しばらく言ってほしくないってね」
申し訳なさそうに指をつき合わせ、ニルヤはエッドをちらと見る。
「ログレス先生は、すぐにあたしらが隠してる魔力に気づいたよ。ありゃ、たまげたなあ。今まで、人間のほうから気づいたことはなかったのにねえ」
「俺たちをまとめて追い出そうとはしなかったのか?」
「そんなそんな、恐れ多い!」
ぶるりと身を震わせた村人は、人気のない広場の真ん中だというのに小声になる。
「あんたがたみたいな力ある集団を、どうしてか弱いあたしたちが追い出せる? そりゃみんなちょっと魔物と“ご縁がある”身体だけど、しっかり戦える者はいないんだ。ふつうの農民と変わんねえべさ」
「そうなのか」
エッドの理解を示した顔に、ニルヤはどこかほっとした表情になって言い足す。
「それもあの人は分かっていなさったから、あたしらとちょいと“取引”をしたんだよ」
「取引?」
「そうさ。村の秘密と安全を守るかわりに、自分たちを外界から匿ってくれってね。あたしらとしても、力ある術師さまが滞在してくれるのは願ったりだった」
「外の人間でもか?」
エッドの率直な質問に、女はえくぼを覗かせる。
「そりゃ、悪いお人じゃないのはすぐ分かったからね。“誰かさん”が穴を開けちまった結界も、すぐさま直してくれたし。魔力ある取引ってのは、双方が守ることで力が増すもんなのさ」
「……それでこの一年、村に追っ手が来なかったのか」
ひそかに隠れ
こんな辺境の村には聖堂や王都からの目も向かないのだろう、そう安直に考えていたのが恥ずかしい。
「それから先生は、魔物や魔力に関する知識も教えてくれた」
「へえ、あいつが……」
「あんまり家から出て来なさらないけど――あたしたちは、あの人のことが大好きだよ。野菜なんかじゃ、お礼にならないくらいさ」
そのニコニコとした丸顔に、エッドのささくれ立っていた心が和む。
人嫌いのログレスが――彼の程度でだが――“頻繁”に村に出ていく理由や、腕いっぱいに持ち帰ってくる野菜の送り主たちの意図が分かった。
「メリエールは? わりと、魔物の気配には敏感な体質なんだけど」
「もちろん、あたしたちが異質の存在であることはなんとなく分かったと思うよ。けど、追求されなかったねえ」
「彼女が? 変だな……」
魔物の気配を察知することにかけては、彼女は索敵を得意とする弓師といい勝負だった。
不思議な顔をしているエッドに、ニルヤは丁寧に答える。
「そう、変になってたのさ。平和な隠れ家を失いたくないとか、親切にしてくれる連中を疑いたくないとか、いろいろ思ってたみたいだけんど――あの
「えっ!?」
はじめて訊いた情報に慌て、エッドはジョッキから泡をこぼす。
その様子を見たニルヤは、野菜の酢漬けを口に放り込みながらくすくすと笑った。
「心配しなさんな。みんな、生きてる間に一度はかかる“病”だからねえ」
「……!」
今までとは違う、秘密めいた少女のような笑み――。
優れた聖術師をも蝕む病気について考えを巡らせていたエッドは、その“病名”に思い当たりやっと肩の力を抜いた。
「ああ、うん……そりゃ、困ったもんだな」
「そうかい? 少なくとも、あたしにはあの娘は幸せそうに見えたよ。どこかの誰かさんが、奮闘してたんだろうねえ」
血も通っていない頬が熱を持っているように感じ、エッドはうつむく。気恥ずかしさをまぎらわすために呟いた。
「結局、なにも知らなかったのは俺だけか。情けないな」
ニルヤは責めるわけでもなく、あっさりと言い切る。
「あんたは、村の誰よりも強い魔力を放ってるからねえ。月のすぐそばにある星は、見えなくなるもんさ」
「……」
水面に映り込んだ、無様な亡者の顔。それを見ないようにしながら、エッドは手で探り当てたつまみを頬張った。野菜の酢漬けの刺激が心地よい。
「美味いだろ。……ところで、あたしからも質問していいかい?」
「え? ああ、もちろんだ」
「そんなかわいい娘さんを、ここ数日見かけてなくなってね。メリエールさんは、もう行っちまったのかい?」
こちらを気遣った言い方だが、その中に含まれた寂しさを感じてエッドは胸が苦しくなった。
その想いを押し流すように杯を傾け、一気に飲み干す。
「……。彼女は――」
話し出すと、言葉が身体の穴や傷からあふれだすようだった。
余計な質問で遮ることも、大げさな合いの手を挟むこともない。
女はただ、頭上の月のように静かに聞いてくれる。
それが今のエッドには、何よりもありがたいのだった。
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