第40話 星明かりとタネ明かし―1



 ラケア村の中央には、小さな泉を囲んだ広場がある。


 その水鏡に映り込んでいるのは見事な星空――そして、腑に落ちない顔をした亡者である。


「待たせたね。あんたにぴったりの酒と、つまみを持ってきたよ」

「……ありがとう」


 軽やかな足取りで戻ってきたニルヤが、遠慮なくエッドの隣に腰を下ろす。

 どさりと置いた大きなバスケットから次々に登場する皿に、エッドは苦笑した。


「そんなに食べれるかな。さっきまで、食べ方も忘れてたくらいなのに」

「なあに、じきに思い出すべさ。おばちゃん家の晩酌セットを残したもんは、いないからねえ」


 自信たっぷりの女は、大きな鉄製のジョッキに並々と泡だつ液体をそそぐ。

 エッドにぐいと手渡すと、同じ飲み物を作って夜空にかかげた。


「穏やかな夜と、“真の”出会いに感謝を」

「……感謝を」

「かんぱーい!」


 真面目な顔は一瞬で吹き飛び、ニルヤは杯を思い切りエッドへ差し出した。

 戸惑ったエッドだったが、敵意のない乾杯を断る理由もない。


「ああ。乾杯!」



 それに亡者であれ、今夜の自分はどうやら――“呑みたい”気分らしい。



「……ぷっは!! うまいっ!」

「おや、いい呑みっぷりだねえ」


 口の周りについた泡を手の甲でぬぐい、杯を傾けて一滴も残らず喉へ流し込む。

 心地よい魔力が身体を巡り、じんわりと活力をもたらすのを感じた。


「“亡者”に酒を出すなんてはじめてだけんど、口に合ったようで良かったよ」

「ああほんと、なんていうか……沁みるよ。酔うのか、これ?」

「やだね。魔物は酒ごときで酔ったりしねえべ。安心して、どんどんやりな」


 言いながら、ニルヤはすでに次の大瓶を引き寄せた。しかし女はバスケットをがさごそとかき回した後、太い眉を上げた。


「あらら。あたしったら、栓抜きを忘れてきちまったよ。最初の瓶を家で開けた時かねえ」

「じゃあ、その辺の尖った石で――」


 腰を浮かせたエッドだったが、無駄な提案をしてしまったことにすぐに気づいた。

 子供達のために整えられた一面の芝生には、小石ひとつ転がってはいない。


 ニルヤは大瓶を豊かな胸の前にささげ持つと、気楽に告げた。



「ああ、いいよいいよ。こうすりゃ早い」

「!?」



 すぱん、という軽快な音が闇夜に響く。


 次にエッドが見たのは、芝生に転がった栓の姿だった。

 栓だけではない――茶色い瓶の飲み口が指の関節ひとつ分ほど、綺麗に切り落とされている。


 危うくジョッキを落としそうになりながら、エッドは目を見開いた。


「おばちゃん、その手――!?」


 ニルヤの太い右手は、まぎれもない鈍色に輝いていた。

 小指にむかい鋭利になった分厚い刃で、大瓶の栓を切り飛ばしたのだろう。

 そう考えることはできても、よく見知った人物の手が急に刃物に変わったという現実は、簡単に飲み込めるものではない


「お目にかけれて、ちょうど良かったべな。あたしは、“斧鹿アックスディア”の特性を受け継いだ女なのさ」


 角の代わりに、斧のような危険な刃物を冠に戴いた魔物である。


 巨体ながら身のこなしは軽く、怒らせると厄介だ。脳内の魔物図鑑から情報を引っ張りだしてきたエッドだが、それが目の前の女とぴたりと結びつくわけがなかった。


 エッドの心中を読みとったのか、ニルヤは可笑しそうに丸い肩を揺らす。


「まぁた、そんな顔して。男前が台無しだよ」

「わ、悪い……。でも特性を受け継ぐって、どういう意味なんだ?」

「ま。簡単に言やぁ、いくらか魔物の血を引いてるってことさね」


 干し肉の包みを開こうとしているその手は、いつのまにか普通の肌に戻っている。

 手品のような早業に、エッドは思わず目を擦った。


「あたしのご先祖様が、“斧鹿”を食べ過ぎちまったみたいでね。何代かおきに、こういう特徴を持った子が生まれるんだ。魔物の血を入れすぎたんだべな」


 魔物は本来、人間の食用にはならない。

 大抵は味が悪いというのもあるが、それ以上に失念できない理由があるからだ。


「……“乱れ”ってやつか」

 

 強い魔物、あるいは同じ魔物を継続して食べてしまうと“乱れる”――精神に異常をきたしたり、魔物と同じ特徴が身体に発現する――と言われており、いくつもの実例が存在している。


「だから、あたしもあんたのお仲間ってわけだよ。亡者のエッドさん。あ、呼び捨てでもいいかい?」

「いいよ、もちろん。俺も、気軽に呼んでもいいか?」

「あんれま、光栄だね。勇者様に呼ばれるほど、上品な名じゃないけどねえ」


 ぽっと頬を赤らめるさまは、人間の中年女性と何ひとつ変わらない。

 エッドはジョッキに注がれていく液体が弾ける音を聞きながら、肩をすくめた。


「知ってるのか。でも止してくれ、もう“勇者”なんていう大げさな肩書きは背負ってないんだ。ただの――ちょっとばかし、元気な亡者さ」

「そうかね? でも、死んだくらいじゃ人間なかなか変わんないだろ」


 こぼれる手前まで器用に酒を注ぎ、ニルヤは訳知り顔で話す。“駆け出し”の魔物である自分には、わからない苦労もあるのだろう。


「……そうかもな。俺は、なにも変わってないよ。馬鹿してばっかりだ」

「そいつは、魔物だって人間だって同じだねえ」



 気楽な女の笑い声が、月夜に吸い込まれていった。


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