第80話 去りゆく理性



 想い人の表情が、見覚えのある険しさをとり戻している。



「く……。やっと退いたか……なんと強情な女よ」


 聖宝が地面に置かれているのを見ると、その整った顔がわずかに硬直した。


 剣を構えたままのエッドは、目で拾うように示す。


「……とれよ。“同志”たちが入ってるんだろ、ジリオどの」

「!」


 嘲りの声音を使ったわけではなかったが、聖術騎士ジリオは不快そうに眉を寄せた。


「亡者に呼ばれる名など無い。……ずいぶん、あの“新参者”と言葉を交わしたようだな」


 “聖者連合”に加担しないクレアのことを、疎ましく思っているのだろう。ジリオは小さく鼻を鳴らし、すばやく剣を拾った。

 慣れた手つきで、刃から土埃を払う。


「我らのことも聞いたのだろう? 大人しく斬られる覚悟はできたか」

「そちらの不運な歴史は学ばせてもらった」


 もっとも柔軟に攻撃に対処できる位置に愛剣を構え、エッドは宣戦布告する。


「けど、首を差し出す気にはならなかったよ」


 相対者はすっと翠玉の瞳を細め、殺気を立ち昇らせた。


「……ようやく剣の扱いを思い出したようだな」

「ああ。“お前”は倒す。次に出てくる奴も――その次もだ。メリエールが顔を出すまで、ずっと蹴散らしてやる!」


 牙を剥き出しにしている自分の顔は、間違いなく魔物のそれだろう。手足を、まるで熱い血流のように魔力が巡るのを感じる。


「エッド! “モリブルッドの花”が、もう……!」


 仲間の声に視線を落とすと、胸の穴から粉状になった水晶片がこぼれ落ちた。のぞき込めば、むこう側の景色さえ見えるかもしれない。


「ああ。もうログレスあいつの魔力制御を感じない。かわりに、本来の力はみなぎってくる感じだけどな」

「本来って――“亡者”の? それって、まずいんじゃ」


 アレイアの心配そうな声が、エッドの背に届く。

 それは一枚の壁を隔て聞こえてくるかのような、どこかぼんやりとしたものだった。


「まあな。なんていうか……攻撃的な気分だ」

「大丈夫なの、このまま戦って? メリエールを傷つけちゃったら……!」

「傷を負わずに終着する剣戟などなかろう、愚かな“犬鬼”め」


 冷然と口を挟み、ジリオは腰を落とした。


「こちらとしても、この娘の身体は痛めたくない。安心しろ、損傷を憂うのは貴様らのほうだ」

「くくっ――どっちが“悪者”なんだか、分からなくなってきたな!」


 自分でも知らぬ間に、エッドは砂埃をあげて駆け出していた。


 荒野の風景がうしろに吹き飛び、整った顔が近づいてくる――いや、自分が突っ込んでいるのだ。悲鳴のような少女の声も追いつかない。


「エッド! ちょっと、待っ――」

(――二人とも。聞こえますか)

「!」


 聞き慣れた低い声。

 しかし待ちわびたはずのその思念が脳内に響き渡ることさえ、どうしてかわずかな“鬱陶しさ”を感じる。


(ログレスっ! 気がついたの!?)

(ええ……。ポロクと、“紫色の助っ人”のお陰です)

(へへーん、どんなもんだい! このママル様の魔力操作ときたら、見惚れ)

(そ、それはよかったけど――今度は、こっちが大変で!)



――うるさい!

――よかった。



 魔物と人間、その二つの心が同時に思いを叫び、エッドは気分が悪くなった。


「ハァッ!」


 危うく“聖宝”の刃が生身の肩を貫きそうになるが、無理に身体をひねって旋回する。

 人間離れしたその動きにも、聖術騎士の目は遅れず追従してきた。


(エッドとメリエールが――えと、今はジリオって奴なんだけど――戦ってるの! そんで、エッドの水晶は割れちゃったから、魔物になっちゃって攻撃的な気分だって)

(落ち着きなさい……。とにかく現在、我が友は魔力制御下にないということですね?)

(うん、そうっ! 動きがめっちゃ疾い!)

(そこは訊いてませんわよ、“犬鬼”)


 呆れたように指摘する妖精の姿を、エッドはぼんやりと思い浮かべた。しかしハッとしたエッドは相対者の一閃を受け止めながら、仲間たちの声を払おうと大きく頭をふる。


(ではアレイア――急ぎ、その場を離れてください)

(えっ!?)

(そうしてくれ、アレイア!)


 今の声は、“自分”が発した思念なのだろうか?

 亡者の意識では、そのようなものを念じた覚えがない。


「……っ」


 エッドはまるで、別人が話しているかのような妙な感覚に眉を寄せた。

 

(ここにいると、君が危険だ。ログと合流してくれ)

「エッド!? で、でも――」


 困惑の声が背後から聞こえたが、その表情を確認する暇はない。エッドは槍のようにするどい三連撃を的確に受け流し、横に跳んだ。


「く……!」 


 今は、伝達思念を操っているのが“自分”だという感覚がある――どうも波があるらしい。


(君の師匠は、まだ満足に動けないはずだ。行って、助けてやってくれ)


 エッドの思念に答えたのは、子供のような甲高い声だ。


(ボクっちの魔力をたーんと分けてやったから、動けて当然なんだけどねえ。ほんと、ヒトってのは相変わらず脆いなあ)

(魔力だけで身体を保てるほど、ヒトは進化していませんのよ。仕方ないですわ)

(……。酷い言われ様ですが、否定はできませんね……)


 友の声には、まだ明らかな衰弱が残っている。その様子を感じ取ったのか、弟子である少女はぎこちなく言った。


(分かったよ。あたしは、ログレスのところへ向かう)

(頼んだぞ、アレイア。――クレアのことは、任せろ)

(……うん。エッドも、気をつけてね)


 軽やかな足音が、エッドの背後から遠ざかっていく。

 ジリオはちらとその背を目で追ったが、追撃はしなかった。


 食いつくとは思わないが、エッドは引きつけるための挑発をかける。


「いいのか? あっさり行かせて。彼女は、援軍を呼んでくるぞ」

「……むしろ、探す手間が省けるというもの。少し離れたところに、異様に高い魔力をもつ者どもが密集している。貴様の“お仲間”であろう?」


 想い人には似合わない嘲笑を浮かべ、ジリオはそう答える。


 そのまま低く腰を落とし、下段で“聖宝”を構えた。

 騎士らしい突き攻撃が多いが、先ほどから時折このような独特の型も見受けられる。


 エッドは剣士の好奇心から、素直に訊いた。


「変わった型だな。昔、流行ってたのか?」


 雅な腰布の流線が、静かに赤土を掠める。ジリオはちらとエッドを見て呟いた。


「……師を選べる時代ではなかった。わたしに本格的な剣を教えたのは、果ての小国からきたという一風変わった武人で――」

(――エッド。まだ、応答できる心はお持ちですか)


 律儀に経緯を語ってくれるジリオには申し訳ないが、エッドは密かに友の思念に応える。


(今は大丈夫だ、意識の波がある。……お前のほうこそ、無事か?)

(ええ、なんとか窮地は脱しました……。危うく、死んだ両親に相見えるところでしたよ)


 相変わらずの友の言い草に、エッドは心中で低く笑う。


「う……!」


 その状態は、長くは続かなかった。ふたたび戦いに身を投じろと、亡者の魔力が足元を炙るかのようにまとわりつく。


(すまん、魔力制御の水晶が破壊された。魔物の……“亡者”の本能が出はじめてる)

(気をしっかり持ちなさい。僕がそちらに着くまでは――)


 しかし、友の助言を最後まで聞いている時間はないらしい。

 ジリオの足先に力が集まっていくのを感じ、エッドは迎え撃つための姿勢に移行する。



(ログレス。もし……もし、俺が彼女を……)

(“余計”なことなら、言わないでください。一切、聞き入れるつもりはありません)



 似たようなかけ合いをしたのが、遠い昔のことのように思える。

 エッドは牙を覗かせて苦笑し、ひとり呟いた。


「……勝手だな。お互い」

「人に問うておいて、また裏で画策とは――どこまでも舐めてくれるッ!」


 怒声とともに、聖術騎士が細剣を手にエッドに襲いかかる。

 耳をつんざくような金属音が、薄暗い荒野に反響した。


 突きよりも重い斬撃。

 どうやらこちらの“型”が本命であるらしい。


「ぐっ……!」

「どうした? “この身体”のことなど忘れ、本気を出すのではなかったのか!」


 つき合わせた刃の間に、紛れもない火花が散る。

 今までの力試しのような斬り合いではなく、相対者は本気でこちらを排除するつもりらしい。


「ッつ……!」


 “聖宝”が放つ熱波のような聖気が、エッドの顔面を叩いた。そのむこうで、信じ難いほど強烈な鍔迫り合いを演じている想い人がうなる。


「早く、滅しろッ……この魔物が! 貴様らのせいで……我々は――!」

「!」


 ふたたびエッドの体内を、濃厚な魔力が満たしはじめる。


 身を搔きむしり、裂いた部分からその力を放出してしまいたいとさえ願うほどの――。



「……っ、その人に……! そんな顔を、させるなっ……!!」



 牙の間からそう漏らした瞬間、エッドは視界のすべてが紅く染まっていくのを見た。


 紅い空に、紅く燃える星々。

 轟々と滝が落ちるような爆音だけが、聴覚のすべてを支配する。


「貴様……!? その姿は」


 目の前の“人間”がそう言ったのか、“エッド”にははっきりと分からない。



 その声を聞いて吠えたのは――亡者そのものだった。

 

 

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