第81話 来たりし獣



「がっ、あああぁっ――!!」



 獣じみた咆哮が、“亡者”の喉からほとばしる。

 聖術騎士は本能でうしろに跳び、魔物から距離をとった。


「本性を現したか、魔物め……!」

「ぐっ……が、あぁッ……!!」


 亡者は剣を落とし、自身の両手を見下ろした。


 生身である指の先から赤黒い爪が鋭利に伸び、互いにぶつかってカチカチと音をたてている。腕には黒っぽい血管が無数に浮き上がっていた。

 役目を終えたはずのその道筋を使って流れるのは血潮ではなく、身を焦がすような膨大な魔力だ。


 瞳孔が、溶けそうなほどに熱い。

 映る景色の色は、すべてが紅と金に染まっていた。


「黄金の瞳……。ついに、完全なる亡者と化したようだな。ふん、軽口ばかりたたく“半端者”より――その姿のほうが、斬りやすいというものだ!」


 変異していくみずからの姿に見入っているように映ったのだろう。敵対者は迷いなく細剣をふりかざした。


「……何っ!?」


 近くで上がったその声に、亡者はゆっくりと灰色の顔を向ける。

 敵対者の刃を、いつの間にか奇妙な機械仕掛けの腕が握りしめていた。


「?」


 これは自分の腕なのだろうか――と短く思案したあと、亡者はこともなげに黒い手首を返す。


 刃の根元にいた細い“人間”が、軽々と宙に舞った。


「うっ――!」


 人間は驚愕した顔になったが、自分が剣ごと放り投げられたのだと気づくや否や、豹のように背を丸めて受け身をとる。

 それでも人間にしては高い距離から落下したことは変わらず、うめいて地にうずくまった。


「ぐぅっ……! く……これしき、元の身体、なら……!」

「……」


 地に打ち立てた剣にすがって立ち上がろうとしている人間から、亡者は“血”の匂いを敏感に嗅ぎとる。身体の傾きからして、どうやら足を負傷したらしい。


 亡者は牙の間から長い舌を這い出させ、唇を舐めた。



――“あれ”が、“ほしい”。



「アアッ!」

「!」


 求めるものに向かい、亡者は一直線に駆け出そうとした。

 しかしその最初の一歩で、なにか硬いものを踏みつけてしまう。思わず足元を見た。


「……?」


 横倒しになった鋼色の刃が、足裏にずぶりと食い込んでいた。

 それが先ほどまで自分が握っていた剣であることをふと思い出した亡者だったが、特別な感慨はない。


(……ッド! ……こえ……ますか……?)


 まただ。誰かの声が、勝手に頭の中に響いてくる。亡者は鼻先にシワを寄せ、羽虫を追い払うように頭をふった。するとすぐに声は聞こえなくなった。


「ガァ……」


 ついでに足の長い爪が履物を貫通しているのを発見し、荒々しくそれを爪で裂いた。“こんなもの”を足にまとわせていては邪魔だ。


「はぁっ……来い……! “亡者”っ……!」

「グアァッ!」


 いつの間にか剣を構え直している人間を見つけ、亡者はふたたび飛び出した。

 素足から伸びる爪が赤土を巻きあげ、獣のような足形を刻む。


「ハッ!」


 こんなに、この“人間”は動きが鈍かっただろうか?

 亡者の目には繰り出された剣筋だけではなく、その長い髪の一本一本が揺らめく様までが鮮明に映し出されている。


「!」


 しかし生身の腕で“その剣”を受けることに対し、本能が警告を発した。素直に従い、亡者は黒光りする手を刃に向かって突き出す。


「くっ、また――! 誰だ、獣にそのような“道具”を与えおった馬鹿職人はッ……!」

「グウゥ……」


 人間の言葉の意味はわからなかったが、亡者は学んでいた。

 こちらの“重い腕”ならば、嫌な感じのするあの剣を掴んでもかまわないのだ。掴んでしまえば、また容易く放り投げられる――


 上機嫌で剣を宙に放った亡者だが、それがあまりに軽すぎることに違和感を覚える。


「二度は受けん! 猿めッ!」

「?」


 見ると、人間は意外にもあっさりと剣を手放していた。尻尾のような腰布をなびかせ、地面近くに伏せている。


 こちらを睨みつける双眸は、不思議な色に輝いていた。


『来たれ、暁の信徒よ! 我が誓願を糧に――“偉大なる夜明けグレート・デイブレイク”!』


 人間が妙な言葉を叫ぶと同時に、手で触れた地面が裂ける。

 そこから溢れたのは、夜空まで届かんばかりの光だ。しかし、ただの光ではない。


 亡者は本能的に体をひねるが、光はあばら下の肉を削りとった。


「グアアッ――!!」


 飛び退いた亡者が悲鳴を上げている隙に、人間はまたしても素早く何かを呟いた。


『傷つきし者に、癒しの息吹を与えん――“救済ヒーリング”』


 淡く輝くみずからの手を、さきほど損傷させた足に押し当てている。


「……仕切り直しだ、亡者」


 光の筋を吸い込んだ夜空から、星のような光が落ちてくる。長細い尾を引いて落下してきたその物体が、自分が放り投げた剣だと亡者は気づいた。

 こちらを睨んだまま腕を上げた人間はその光を器用に掴みとり、切っ先を向ける。


 音もなく腰を上げた人間は、しっかりと両足で地を踏みしめて言った。


「我らは治癒の神秘をもって、何度でも立ち向かうぞ――貴様の腐った身は、削れゆくばかりだがな」


 亡者は不穏な音を鳴らして拳を握り、地を蹴った。


「ガアア!」

「……理性も失せたか」


 星明りに照らされ、露出した肋骨がやけにはっきりと浮かび上がる。


 魔力の一部がそこから流れ落ちた気がしたが、亡者は目の前の人間だけを見据えて荒野を駆けた。


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