第79話 優しき者の願いごと



 銀の髪を風に遊ばせ、聖術師クレアは語り続ける。



「戦後にとり込んだ不運な魂には、そうしてくり返し“記憶”を見せるの。自分で言うのもなんですが、いつの時代も私たち聖術師というのは……その……」

「……真面目で親切、か?」


 エッドがぼそりと口を出すと、クレアは困ったように微笑んだ。


「ええ、そういうことです。ジリオは“同志”を増やしながら、ライルベルのように感受性が高い人間を呼び寄せて魔物を狩り続けた。長く封印されることもあったようですね」

「でも、クレアは影響されなかったんでしょ? やっぱ、すごいね!」

「私はあの洞窟で、この剣の恐ろしさを“身をもって”知っているから」


 尊敬のまなざしを浮かべるアレイアに、クレアは小さく肩をすくめる。


「この剣に殺された聖術師は意外にも、私がはじめてなのよ。ジリオたちは、私を殺すつもりはなかった……ライルベルはあの洞窟で、よほど精神を乱していたのでしょうね」


 その口調に、責めるような昏さはない。エッドは感心しながらも、どこか一抹のもどかしさのようなものを感じていた。


「だから説得をはね除けて、奥のほうでじっとしていたの。記憶の共有も、一部分だけに留めたわ」

「やっぱり! 全部の記憶を、勝手に見られるわけじゃないんだね?」


 アレイアが興奮して言うと、元仲間の聖術師はうなずいた。

 しかしすぐに、その端正な顔がかげる。


「最初はもちろん、ジリオたちに怨恨の無意味さを説いてまわりました。けれど……私の声は、届かなかった」


 肩を落として呟くクレアに、エッドは新たな質問を投げる。


「身体の主――メリエールの魂は、どうなってる?」

「彼女は……その、よく頑張っています」


 曖昧な答えにするどい眼光を送ると、クレアは考え込むように続けた。


「ごめんなさい、表現がむずかしいの。彼女は、聖術師たちの魂たちとずっと――そう、対話しているわ」

「対話?」

「ええ。私が試みたような説得じゃなくて……彼らの話を、一心に聴いてあげているの。戦争中の生活や、家族のことなどをね。それに、自分のことも話していました」


 だから“対話”と表現したのだろう。エッドが何か心に引っかかるものを感じていると、クレアが続けた。


「私は、隙を見て彼女に警告しました。彼らに近づきすぎると、完全にとり込まれてしまうと。けれど彼女は――メリエールは、こう言ったのです」


 ふっと優しく笑み、クレアは言葉を継ぐ。



「“どこが傷ついているのかは、近くで見ないと分からないわ”」

「……!」



 亡者の腕を、鳥肌が走る。

 その言い方はまるで、想い人そのものであった。


 やはり、メリエールは“いる”のだ――手を伸ばせば届くほど、すぐ近くに。


「う……ッ!」

「クレア!?」


 短くうめいたクレアが、額を押さえてよろめく。駆け寄ろうとしたアレイアに手をかざし、聖術師は元仲間を穏やかに拒んだ。


「……お喋りしすぎた、みたいです……」

「ねえ! あなたを解放するには、どうすればいいの!? 霊体を苦痛なしで浄化できるのは、あなたたち聖術師だけなのに――!」


 悲痛なその問いに、クレアは諦めたような弱々しい笑みを見せる。


「相変わらず、優しい“犬鬼”さんね。……でもあなたも一人の闇術師を名乗るなら、霊体に対する有効な攻撃手段を知っているはずよ」

「……っ! で、でも、あたしたちのは――!」

「いいの。容赦なく――滅してください」

「!」


 その言葉は、間違いなくエッドにも向けられていた。緑の目の奥に、細い人影が見えたような気がする。


 エッドは黙って、再戦にそなえ剣を構え直した。


「クレアっ!」


 聖術師の長い睫毛が伏せられようとした瞬間、すがるような声が荒野に響く。


「ごめんなさい! あの洞窟で、あたしはなにもできなかった。逃げようとして、無様に背中を斬られて――あいつの奴隷に、成り下がって……!」


 少女の心からの懺悔を耳にし、クレアは慈悲深く指を組んだ。


「なにも謝ることはないわ。あなたに非はない。すべて、私の責任です」


 メリエールがいつも行なっているものとは少し違うが、あれが彼女の祈りなのだろう。


「私はこれでも、あの勇者とは長く組んできました。パーティーの中で彼を諌められるとしたら、私だけだった。なのに、洞窟ではあのような凶行に走らせてしまった……」

「そんなの、クレアのせいじゃないよ! みんな止めたのに、あいつが――」

「分かっています。でも、それを止めるのが私の役割だったのよ」


 どこかで聞いたような言葉だ、とエッドは記憶を辿る。



 “そして――それを蘇生するのが、私の仕事だったんです”


 

 そうだ。

 亡者としてメリエールと邂逅を果たした時、たしかに彼女もそう言った。


 エッドは牙を唇に沈め、低い声でうなる。


聖術師きみたちってのは、いつも……!」


 アレイアは目の端を胴衣の袖で乱暴にぬぐい、元仲間を見据える。


「……分かったよ、クレア。手加減なしだからね。それが、あたしの今の“役割”なんでしょ」

「まあ。やっとあなたの“本気”が拝めるのね。手合わせをいつも断られて、寂しかったのよ?」


 不敵な笑みを浮かべるクレアに、生前の姿が重なったのだろう。アレイアは一歩退がりながら言った。


「だ、だって。クレアは熟練の聖術師だし……」

「ほら、また弱気になる。どんな術だって、誇り高く唱えなければ脆弱になってしまうのよ? たとえ失敗するとしても、文言を間違えたとしても――陽動くらいには、してみせなさいね」

「うそ……! そ、それ、ログレスにも言われたっ!」


 目を丸くして叫んだアレイアだったが、少女の元仲間も少し驚いた顔をしている。


 じっと若い顔を見つめた後、柔らかく笑んだ。


「……大事な人に出会えたのね。アリー」


 それが“クレア”自身の笑顔であることに、エッドは気づく。


「えっ!? い、いや、あいつはまだ、ただのお師匠様っていうか――!」


 あたふたと杖をふり回すアレイアは隙だらけだったが、エッドはさせるがままにしておいた。


「よかった。あなたに、帰るべき場所ができて。本当に、よかった……」

「……クレア……」


 生者への皮肉ではない、心からの安堵を受けた少女がふたたび涙ぐむ。


 格差社会である海都ルテビアに紛れこんだ一人の少女にとって、この心豊かな聖術師はどれほどの助けになったのだろう。


 エッドは見知らぬ冒険を共にした二人を思い描き、静かに笑んだ。


「最後に、亡者さん。いえ……エッドさん」

「ん?」


 突然名を呼ばれたのには驚いたが、エッドはクレアへと顔を向ける。

 そこにはなんとも言えない、複雑な表情を浮かべた美しい顔があった。


「ライルベルが貴方に行った数々の無礼について、私からも謝罪させてください」

「いや、そんな」

「そして、彼を打ち倒して下さったこと……感謝しています」

「! ……そうだ、その声。もしかして君は、“あの時”――?」


 義手への陽動に奮闘していた時に聞いた、見知らぬ声。

 その声を思い出しながら、エッドは聖術師を見つめた。


「ええ、私です。剣士の戦いに水を差すつもりじゃなかったのだけれど……時々、自分の“真面目で親切”なところが嫌になります」


 悪戯っぽく答えたあと、一息おいてクレアは魔物を見つめ返す。


「でも――彼を斬り捨てないでくれて、ありがとう。メリエールが言ったように、あなたはとても優しい勇者なのですね」


 どういたしまして、と優雅に腰を折る場面ではないだろう。

 しかしクレアの感謝とその奥にいる想い人の賞賛に、エッドは褪せた赤毛をがしがしと掻いた。


「……。メリエールは、とても大きな決断を下そうとしています」

「何?」


 その強張った声に、エッドの少ない内臓が奇妙に捻れる。


「私の口から告げることではないでしょう。でも、あなたは彼女と話す必要があります」

「俺が……?」

「ええ。彼女の仕事には、あなたが必要なの。……“邪魔”になるかもしれないけれど」

「どういう――」


 不可解な忠告にエッドが首を傾げる前に、聖術師は苦しそうに膝を折った。


「くぅ、あッ……!」

「クレア!」


 思わずエッドが呼んだ名を耳にし、クレアは許された最後の力で微笑む。



「……ありがとう。まずは、ジリオを鎮めて……。頑張ってください、ね……“勇亡者”さん」



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