第78話 戦と使命と



「クレア……彼女が? たしかなのか」

「あたしを“アリー”なんて可愛く呼んでくれるのは、彼女だけだよ」



 エッドの訝しげな声に、アレイアは機械的にうなずいて答えた。

 困惑と興奮が入り混じった蜂蜜色の瞳だけが、爛々と輝いている。


「……。こう言っちゃ悪いが――」

「わかってる。罠かもしれないって言うんでしょ」


 少女は青ざめた顔でエッドの言葉を引きとる。エッドは肯定すると、油断なく“聖者連合”を見た。


 代表である騎士風の人物を押し退け、“彼女”は出現した。だがそれすらも計略の一部という可能性はある。

 知人を装い、獲物から接近してきたところをひと突き――単純だが、恐ろしく効果的だ。


「疑っているのね。では、こうしましょう」

「!」


 “聖者連合”は微笑み、ひび割れた地面にかがみ込んだ。そして迷いなく、“聖宝”を赤土の上に横たえる。たっぷり二歩退がると、両手を挙げて武装していないことを示した。


「これで丸腰です。この方の杖は、野営地にありますから」


 判断するのはむずかしい。たしかに、相手に戦意は無いように見える。


「……」


 いくつもの不意打ちに見舞われてきたエッドは結局、剣先を下ろしはしなかった。かわりに湧いた疑問を投げる。


「君たちは、“聖宝”にとり憑いているんじゃないのか?」

「……。そう言われると、悪霊になった気分になりますね」

「あ、いや――」


 悲しげな笑顔に、思わずエッドは弁解を口にしようとする。しかし目の前の人物は、静かに銀の頭をふった。


「良いのです。私たちは、この世にとってはたしかに“悪霊”なのですから」

「そ――そんなことないっ!」


 身を乗り出したアレイアが放った声に、場の視線が集まる。


「エッド。やっぱり、彼女はクレアだよ。あたしが保証する。少しだけ、話をきいてもいいかな」

「……わかった。君を信じる」


 真っ直ぐなその言葉に、エッドはうなずくしかなかった。本当の“クレア”を知っているのはこの少女だけだ。

 それに“本物”が出てきたのだとしたら、自分が水を差す場面ではないだろう。


「ありがとう、亡者さん。それと、先の質問ですが……残念ながら、私たちはもう“聖宝”だけに宿っているわけではありません。大部分がもう、このお嬢さんの身体に入り込んでいるのです」

「なっ――!」


 “聖者連合”――今はクレアと名乗るその人物は、悲しそうに翠玉の目を伏せた。


「ライルベルの精神は、剣に呼応していました。けれどそれは、早くに“限界”を迎えるであろうことも示しています」


 荒野のただなかで剣と会話していた勇者を思い出すと、いまだにエッドの背筋が冷たくなる。


「ジリオ――さきほど表に出ていた“聖術騎士”の名です――は、早い段階から次の犠牲者に目星をつけていたのです」

「それが……メルだってのか?」


 ふつふつと煮立つような怒りを、エッドは愛剣の柄にぶつける。それを感じとったのか、クレアは苦しそうな表情になって言った。


「はい。私たちの“容れ物”は剣の形をしていますので、生粋の聖術師が手にとる可能性は極めて低い。けれどそんな折、優れた聖術師が転がり込んできたのです――しかもみずからの意思を、固く封印して」

「あれは、そっちの“勇者”が――!」


 激しようとしたエッドは、隣の少女の心配そうな視線に気づいて黙った。

 クレアは危険を冒して、こちらに情報を提供してくれている。それを理解していても、どうにも心が反応してしまう。制御の花を失った影響だろうか。


「ええ。ライルベルは一度勧誘すると決めたら、不思議なほど成し遂げる男です。その彼の獲物と、“聖宝”が欲した人材がぴたりと重なったのは……奇妙で、不運としか言いようがありません」


 斬り結ぶうちに離れてしまった野営地をちらと見、クレアは目を細める。木に縛りつけられた元仲間のことを考えているのだろう。


「契約書の魔力もあり、彼女の意思は薄れていました。“聖者連合”は、ライルベルの意識に介入して少しずつ彼女を剣に触れさせ……魂たちを移したのです」

「だから、剣と離れていても動けたのか」


 野営地で背中を襲撃される前、メリエールと“聖宝”の間には物理的な距離があった。

 エッドが背中の契約書を剥がそうと奮闘しているあいだに、彼女の身体を使って“聖者連合”は剣を回収したのだろう。


 思考に沈んだエッドにかわり、若き闇術師が口を開く。


「ねえ、クレア。あなたは……“聖者連合”ってのに入らなかったの?」

「……剣にとり込まれた際、ジリオは私の魂にある“記憶”を見せてくれました」


 満月を見上げるその顔は、よく知る仲間のそれとはまったく違って見える。


 何年もの苦役に耐えてきたような、重みのある表情。


「凄惨――そんな言葉では表せない、悲しい記憶でした。当時の魔物たちには“魔王”と呼ばれる統率者がいて、人間と同じく強固な軍を編成していたのです」

「“ウェリアン人魔大戦”、だよね」


 学院の講義で聞いたことがある大戦名だ。こんな時、漆黒の友なら呆れつつも細かに説明してくれるのだが――とエッドは情けない思いに苛まれた。


 それを見越してか、クレアは丁寧に語る。


「ええ。魔王軍の拠点として見定められたウェルス大陸を守らんがため、大勢の人が身を投じた戦争です。他大陸とは友好関係になく、援軍は見込めませんでした」


 どこか感慨深いまなざしで荒野を見渡し、クレアはこちらに向きなおる。


「国民は老いも若きも軍に徴兵され――さらには生命線である聖術師たちにも剣を取らせました。それほどまでに、苦戦していたようです」


 治癒の担い手を前線に出すなど、今となっては愚策と呼ばれても仕方がない。

 しかし当時は、エッドの想像をはるかに超える苦しい状況だったのだろう。


「圧倒的な魔力と、製鉄による武力を誇る魔王軍。そんな強者を前に、ひ弱な人間ができること。それはこの世で最も強いといわれる――“魂”の魔力を利用することでした」

「!」


 足元に横たわる剣の冷たい光を見下ろし、クレアは小さく息を吐く。


「戦いにたおれた者たちの遺灰を用いた武器を作り、今は禁忌とされる術で魂を刀身にとり込む。そうして生まれたこの武器に、正式な呼称はないわ」

「どうして……」

「なぜなら、これもただの“一本”に過ぎないから。闇術師や魔法術師の魂を込めた杖に、剣士の魂で塗り固めた鎧――。名もない悲しき武具たちは、そうして量産されていった」


 量産などという言葉でまとめるには、あまりにも過酷な制作過程。

 エッドは険しい表情になり、仲間の少女は目元を赤くしていた。


「皮肉にも犠牲者が多くなるにつれ、人間軍の戦力は上がっていきました。死者と生者の数が入れかわる頃、ついに大陸一の勇者の剣が魔王の喉笛に届き……争いは終わりました」


 まさに伝説のような活躍。同じ“勇者”の称号を名乗るのが憚られるほどだ。

 エッドがひそかに心中でため息をついていると、歴史を語り終えたクレアは元仲間に顔を向けた。


「ジリオは、私にその“記憶”を見せて言いました――お前も聖術師なら、この聖戦に身を投じろ、と」

「えっ!? でも、もう戦争は……」

「もちろん、終戦のことは知っています」


 怯えたように訊くアレイアに、クレアは静かに答える。


「けれど“彼ら”の中では、終わっていない戦いなのです。武器の作り手が下した命令は、“魔物を滅すること”……。戦争が終わってもジリオたちの魂は、戦場から離れることを許されなかった」

「そんな……!」


 エッドの脳裏に、水晶板越しに若き勇者が呟いていた言葉が蘇る。



『そう……使命……魔物を、全部殺すんだ……ぜんぶ……』 


 

 あの時よりも少し冷えた荒野の風が、エッドたちと聖術師の間を駆ける。


 しかしその刹那には、途方もないような時が横たわっている気がした。


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