第77話 月下の剣戟、めざめる仲間



 完全に陽が落ちると、荒野を支配したのは群青色の夜だった。


 頭上に広がる夜空はエッドの故郷で見るよりも闇が濃く、瞬きはじめた星々もどこか明るい。


 青白い光を放つ月は、完全なる円の姿をしていた。


「天は我らにお味方したようだな――月の力が満ちてくる!」

「……っ!」


 その歓声の真偽はわからないが、受けとめた剣の重圧にエッドは歯を食いしばった。

 とても勇者ライルベルが操っていた細剣と同じものとは思えない。


「ハッ!」


 突きを繰りだす際、律儀に――馬鹿正直にとも言う――かけ声をはさむ癖がある。だというのに、そのあまりの速度にエッドは防戦の一手だった。

 相手の呼吸と足運びの音に鋭敏な耳を集中させ、避けるか受け流すかで応戦するのが精一杯だ。


 そもそも相手の力量がどうあれ、エッドにとっては不利な戦いそのものである。


「どうした、やはり女は――仲間は斬れぬか!」

「隠すつもりはないから言うが、ご名答だ」


 エッドの素直な申し立てに、仲間の姿をした“聖者連合”は剣を退いてひらりと後方に跳ぶ。色白の細い腰をとり囲む長い絹帯が、音もなく舞った。


「分かるぞ。我らの中でも、この娘ほど美しい者はいない」

「だろ。だから、傷ひとつ負わせるつもりはない」


 人間の身体を気遣う魔物を、はじめて目にしたに違いない。

 “聖者連合”は一瞬考えたような顔になるが、すぐに冷徹な表情に戻ると言った。


「剣士の身体つきではないが、軽度の基礎鍛錬を積んでいるのだろう。細き身で、よくついてくる」

「……うちはたとえ術師でも、最低限の体力強化をお願いしていたからな」


 術師だからと言って身体を怠けさせていると、いざという時に動けなくなる。パーティー結成時は少々の腹筋で音をあげていた術師たちも、毎日の積み重ねのおかげで実に健康的な身体をもつようになったものだ。

 実際友の研究によると、身体を鍛えることは魔力の底上げにも繋がるものらしい。


「……」


 そして解散した今でも、その習慣を続けてくれている――彼女の生真面目さに感心すると同時に、エッドは単純な嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。


「それに、魔力の流れも滑らかだ。毎日の祈りを欠かさなかったのであろう」

「ああ。契約に囚われる時でさえ、そのあたりを気にしてたしな」

「ふむ。――では、試しにひとつ」

「!」


 その言葉を皮切りに、聖宝が淡く光を帯びはじめる。

 あの剣は、杖がわりでもあるのだ。


『光神の指先にふれよ――“聖なる雷光ホーリー・サンダー”』


 剣先から放たれた白き雷が、吸い寄せられるようにエッドへと駆けてくる。

 義手を胸にかかげて飛び退いたエッドだったが、なんの前触れもなく眼前に四角い漆黒の空間がひらいた。


 同時に、叩きつけるような詠唱が荒野に響く。


耽溺たんできに沈め――“闇の免罪符ダーク・インダルジェンス”!』


 神の雷光はその空間の中に音もなく飛びこむ。ほどなくして、エッドの遥か後方で凄まじい衝撃音が響いた。


 すばやく目を走らせると、たしかに落雷の跡が見える。


「助かったぞ、アレイア」

「え? い、いや、ただ受け流しただけだよ。本当は相対魔術で受けるのが一番いいんだけど、あたしじゃそんなに速くは――」


 ぶんぶんと三つ編みをふる謙虚な闇術師に、エッドははっきりと言った。


「いいや、助かったんだ。それにどんな術だろうが、上手くやったらふんぞり返るのが“術師”ってもんだぞ。君の師匠を見習うんだな」

「……そ、そうなのかな」


 かつてのパーティーでは、褒められた経験が少なかったのだろう。わずかに頬を上気させる少女に、エッドは大きくうなずく。


「ほう? そちらの“犬鬼”は、闇術の心得があると。これはいっそう、不可思議な組みあわせよ。心をもつ亡者に、ヒトの術を学びし魔物とはな」

「……あたしはたしかに“宝石犬鬼”の血が流れてるけど、人間でもあるよ。認めてくれないだろうけど」

「では、無益な口をきくな」


 冷たくそう言い捨て、“聖者連合”はふたたび剣を構える。

 純粋な魔物だけではなく、魔物の血を有する者や闇術師自体も嫌悪の対象らしい。


 エッドはそっと思念で仲間に意見を求めた。


(最近では見ないほどの“潔癖”さんだな。ずいぶんと古い人間なのか?)

(うん、だと思う。あいつ、さっき“魔導”って言ってたでしょ? 魔法と魔術が完全に別体系とされる前の呼びかたなんだ。伝達術もよく知らないみたいだし……少なくとも、二百年は前の人だと思う)


 アレイアの知見に感心したエッドだったが、ふと先刻のやりとりを思い出して訊いた。


(でも、とり込んだ魂の知識や記憶を共有できるんだろ。メルの――いや、先にクレアの魂をとり込んだ時点で、現代の知識は集まるんじゃないのか?)

(それは、あたしも不思議に思ってる。でも仮説はあるの。もしかしたら――)


「不意打ちはせぬが……何時までも待つとは言っておらぬぞ、不埒者。行くぞッ!」


 咎めるような声とともに、白刃がエッドの前に躍り出る。


「そりゃ失礼した――なっ!」


 回避に徹するというのは、言うほど楽ではない。

 くわえて、こちらは義手以外にかすり傷ひとつ負うわけにはいかないのだ。エッドは思念を遮断し、全神経を集中して相手の動きを読んだ。


「っ!?」


 滑らかな下段からの突きが、不自然なところで止まる。


「な、なんだ……? くっ、勝手に、でて、くるな……!」


 震える手で剣腕を握り、“聖者連合”は顔を歪めた。


「き、きさまっ……!」


 赤土に刃を突き立て、柄にすがるようにして身体を折る。

 一瞬、倒れこむかのようにぐらりと揺れたその人物に、思わずエッドは叫んだ。


「メル!」

「……。ごめんなさい。“あの人”じゃないんです」


 身体はわずかに震えているが、その静かな口調にはどこか芯がある。

 ゆっくりと上げた顔に宿った表情は、穏やかなものだった。


 慈愛に満ちた――けれど、どこか寂しそうな笑顔。



「来てくれたんですね。アリー」



 ゆったりとした深い声音でそう呼ばれる。


 敵の変貌ぶりに面食らったエッドのとなりで、仲間の少女がかすれた声で呟いた。



「……クレア?」



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