第20話 甘いものをくださいな―2




『……』


 長の金色の瞳が、一瞬鋭く光った気がした。光の加減かもしれない。

 クチはまるで聞こえなかったかのように、しばらくパンのかけらを上品にかじっていた。しかしメリエールが上体を乗り出しているのをちらりと見上げると、ため息をつく。


『ない。残念ながら』

「本当に?」

『その法の探求については、人間そなたらのほうが熱心であろうが?』


 口調はさり気なかったが、どこか忌むような響きを孕んでいる。


 短い命の仕組みを解き明かそうとする人間は、長命の彼らにとっては滑稽なのだろうか。


『器が朽ちれば魂は空へとのぼり、またどこかの花の種に宿る。妖精は――いや、生命のすべてがその流れに逆らえぬ。貴様は、その流れから外れたのだ』


 長の宣告に、ほかの妖精たちも気の毒そうにちらちらとエッドを盗み見ている。

 無邪気そうに見えても、誰もがその“仕組み”を承知しているのだ。


「……そう、か」


 あらためて自分がはみ出し者であるという事実を突きつけられ、エッドは閉口した。


「待ってください! 彼の状態については、私にも責任があるのです」


 聖術師がさらに身を乗り出したので、その肩に腰かけていた妖精があわてて飛び立った。それを気にも留めず、彼女はまっすぐなまなざしを長に向ける。


「命を奪われる一撃を受けた際、彼はそのまま死を受け入れました。けれど私が蘇生魔術で、魂を呼び戻したのです」

『ほう? それがどうして、このようなモノになったのだ』


 興味を惹かれたのか、クチはパンを頬張ったままメリエールを見上げた。


「彼は、“勇者”――人間の中でも、高い魔力を備える者なのです」

『ああ……なるほど。異なる純な願いの衝突か。それにしても、きれいに割れたもんだの。普通の“求める者”どもは、もっと魂が薄くなる。それに臭い』

「俺とちがって、水浴びをしないんじゃないかな」


 得意げに腕を組んだエッドを見て、クチは低く笑った。

 メリエールは軽口を咎めるように睨んだあと、咳払いして訴えを続ける。


「ですので、少し特殊な状況なのです。肉体も朽ちませんし、今のところは魔物の凶暴性も見られませんが――長さまのお知恵で、もっと良い状態へと移行できないでしょうか」

『ふむ……』


 若い妖精が運んできた新たなパンを受け取りながら、長は思案するように目を閉じる。


『……半端者よ。貴様、何者かの魔力干渉を受けておるだろう』

「干渉?」


 長の質問に思わず身体を点検したエッドだったが、ふとまだ寝ているかもしれない友の姿を思い出した。


「ああ。亡者として目覚めた時から、俺の魔力は友人が制御してるらしい」

「そ、そうなの!?」


 驚きの声を上げたのは聖術師だった。その後すぐにじろじろと身体を眺められ、エッドは気恥ずかしい思いに駆られる。


「な、なんだ」

「本当だわ……。完全にあなたの魔力の陰になっているけど、高度な闇術の気配を感じる。知らなかった」

「君の“その顔”を見たくないから、あいつは言わなかったんじゃないのか」


 鼻の頭にわずかに浮かんだしわを指摘すると、メリエールはさらにその数を増やして反論する。


「私が怒っているのは、闇術にたいしてじゃありません! 四六時中あなたの魔力を抑えこむなんて、いくらログレスでも無茶だわ。言ってくれれば、私だって――!」


 勢いのあった言葉は、最後には行き場を失ったようだった。

 エッドが首を傾げていると、長が大きな羽を広げてふわりとメリエールの前に浮きあがる。


『その闇の友とやらの判断は正しい。そなたのような清き百合には、辛い領分よ』

「でも――!」

『どちらが善という話ではない。花にも、日陰を好む種があるというだけ』


 慈しむような言いかたに、メリエールは悔しそうにうつむいた。


 術師でないエッドには、くわしい仕組みは分からない。

 しかしひとつの分野の術を会得すると、ほかの術系統を修めるのが不可能になるというのは一般的にも有名な話である。


「……私にできることは、ひとつもないのでしょうか」

『健気よのう。その清らかさに救われる者もおろうて』


 柔らかな語りの裏に、言わんとすることが感じとれたのだろう。メリエールは諦めたようにうなずき、エッドに視線を投げた。


 会話の主導権を返還されたエッドは、あわてて記憶をさかのぼる。


「えーと……で、なんで魔力制御のことを訊いたんだ?」

『なに、そのことなら多少の助けはしてやれるかもしれんと思っての』


 空になったジャム瓶の上に優雅に舞いおりた長は、長い脚を組んで続けた。


『貴様の友は、ずいぶんと魔力制御に長けていると見える。だが百合の言うとおり、永劫には続かぬだろう』

「……そうだな。本人も、疲れるから近々別の手を考えるって言ってたし」

「疲弊のほかにも懸念はあるわ。ログが不調の時や、術の継続ができないほど意識が混濁した場合、制御が不完全になる可能性があります」


 メリエールの的確な指摘を、エッドは素直に肯定する。

 たしかに、“未練”がいつ叶うのかもわからない状況だ。それまであの友に負担をかけ続けるのは、本望ではない。


『魔力をその花弁に蓄積し、他者に供給できるという珍しい花がある。“モリブルッドの花”と呼ばれる種だ』

「あるのか!? そんなもの」

『世界で唯一、この花畑にしか咲かぬ。実に不思議な縁だ……なにかの定めかもしれんの』


 感慨深そうなクチを横目に、エッドは広大な花畑を見渡した。妖精たちの手助けがなければ、その奇跡の花を探し出すのは不可能だろう。


『花に闇の友の魔力を注いでおき、貴様が持ち歩くのだ。さすれば、お互いに身が軽くなるだろうて』

「長く保つのか? 花が駄目になったら、また貰いにきても?」

『この谷の花は、手折っても枯れぬ。しかし、急くでない……まだ、やるとは言っておらん』


 小さな手のひらをかざして制止され、エッドは犬のように黙った。メリエールももう一度姿勢を正し、祈るように指を組んで長を見つめている。


『我らにとっても貴重な花だ。それなりのものと引き換えとなるが、どうだ』

「ああ。パンでもお菓子でも、なんでも持ってきてやるよ!」


 うきうきしながら、エッドは軽快に請け負う。バスケットひとつでこの数の妖精が満腹になるのだ。あらかじめパン屋に頼んでおけば、十分な量も用意できるだろう。


『えーっ! なんでもいいのぉ?』


 うまい話だけ聞いていたのだろう。ぽっこりと腹を膨らませた妖精たちが、次々に起きあがって踊りはじめた。


「ああ。そりゃまあ、王宮の砂糖菓子なんかは無理だけど」

『げーっ! そんなのいらなーいっ。もっと、あまーいものがいいっ!』

『そーだそーだ! ぜんぜん足んないぞーっ』


 甲高い賛同の声がそこかしこから挙がり、亡者の耳には痛いくらいだった。

 そんな様子を見て嬉しいのか、クチもどこか明るい声で申し出る。


『手近なものでこと足りるとも。では、交換成立ということで良いか?』

「ああ。手に入ったら、明日にでも持ってくるよ」


 エッドの提案に、長は豊かな髪を揺らして頭をふった。



『なに、わざわざ着飾るには及ばぬよ――今、貰っておこう』

「え?」



 にた、と大きな口を吊り上げて微笑む妖精。


 その顔を見た瞬間、エッドの背筋に警戒の雷が走った。

 反射的に剣に手をかけるも、突風に顔を叩かれてよろめく。


「なっ――!?」


 ただの突風ではない。

 継続的に頬を殴打しているのは、無数の花びらだった。


 竜巻のような花吹雪の中でエッドが耳にしたのは、短い悲鳴。


「エッド!」


 声が消えると同時に、嘘のように花吹雪がおさまる。


 身体中に貼りついた花弁をふり切ってエッドが見回すと、花畑は何事もなかったかのような穏やかさに包まれていた。


 しかし、そこに想い人の姿はない。


「メリエール!」

『あっ。そうそう! “あの子”は妖精のことたくさん知りたいみたいだったから、とっておきのことおしえてあげるっ!』


 花の波間に佇むエッドの耳元で、桃色の妖精は無邪気にささやいた。



『ぼくらのいちばんの好物はね――人間の、あまーいお肉なんだよっ!』



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