第21話 魂のありかを決めるのは―1



「……どういうことだ」

『はて。問題なく取引は済んだはずだがの』


 うなるようなエッドの声にも怯まず、妖精の長は小首を傾げた。


 脚を組んだままふわりと宙に浮き上がり、亡者よりも高い位置を陣取る。


『“モリブルッドの花”は、すこし奥地に咲いておるのでな。今、若い者が運んでおるゆえ、しばし待つがよい』

「メリエールを返せ」


 ゆらりと膝をついて立ち上がりながら、エッドは低く言い放つ。

 まるで玉座に君臨する王のごとく、小さな目を細めて睥睨しながらクチは答えた。


『たいそうな口を利くではないか、生まれたての“求める者”よ。取引した“品”をどう扱おうと、我らの勝手であろう?』


 長の言葉を合図に、エッドの周りを妖精たちがとり囲む。

 エッドは迷いなく愛剣を鞘から引き抜いた。


「俺は、彼女を差し出すなんて言ってない」

『我が、パンや菓子を望むと言うたか?』


 たしかに妖精の言う通りだったかもしれない。しかしエッドの頭は、もはや冷静に記憶を辿ろうとはしなかった。


「……っ」


 溶かされた鉄のような熱いものが思考を満たし、爆発しないように剣の柄を握りしめるだけで精一杯だ。


『忠告しておくが……あの百合よりも、ずっと希少な花をくれてやると言っているのだぞ。貴様らヒトが三度生まれ変わる間に、一本しか育たぬ花だ』

『そーだぞぉ! ずがたかーいっ!』

『なまいきだぞ、ハンパ者っ!』


 理性よりも、亡者の素直な本能がいち早く騒ぎはじめる。


 腰を落としてゆっくりといつもの構えへと移行し、エッドは長を見据えた。



「今の俺にとって――彼女よりも希少なものなんて、ない」



 飛び出しそうな脚を地面につなぎ留め、エッドはやっと言葉を絞りだした。


 今すぐ剣を振るい、この憎たらしい妖精どもを蹴散らしてやりたい――その本能にこうして抗っているのは、想い人が妖精を見つめるまなざしが脳裏にちらつくからだ。


『ほう? では、お前のその穢らわしい命はどうだ。この谷でたったひとり剣を構えたとて、我ら相手では幼子の遊戯と変わらぬぞ』


 突然、エッドは激しい耳鳴りに襲われる。

 妖精たちの羽が、今までとは明らかに違う音を奏ではじめていた。


 怒った蜂のような、危険な羽音――宝石のごとく色とりどりの瞳が、余すことなくエッドを射抜いている。


「俺の命? ……ああ、まだそれがあったな」

『そうであろう』


 やっと話が通じたことに満足したのか、クチは尊大に頷いて微笑む。


『辛くも一度、死の抱擁から逃れたのだ。女ひとりのために散らすほど、もう愚かではなかろうよ。女は谷で足を滑らせたとでも言い、花のみ受けとって帰るが良い』


 エッドも剣を地面に突きたて、顔を上げて穏やかに笑みを返した。


「いや。やっぱ、それはちがうかも――なっ!」


 エッドは地を蹴り、躾のなっていない狂犬のごとく飛び出した。


 人間には不可能な距離を一瞬で詰め、握りしめた拳を的確に妖精の顔めがけて突き出す。


『!』


 金色の瞳を見開いた長だが、すばやく手で空を切って唱えた。


『“葉脈の盾リーフ・シールド”!』


 クチの手のひらの前に、分厚い光の壁が築かれる。

 硬い地面に拳を突きたてたかのような衝撃にエッドの腕が軋んだが、かまわず力まかせに押し続けた。


 光に焼かれて亡者の皮膚が浮き上がるのを見、長は不快そうに目を細める。


『貴様……!』

『きゃーっ、クチさまっ! やめろ、このハンパやろぉーっ!』

『噛みついてやるっ!!』


 小さな牙をむき出しにして亡者に迫る若者たちを、クチはすばやく制する。


『手を出すでないッ! 花畑に穢れが広まってはかなわぬ。……おい、亡者』

「……」

『聞こえておるか?』


 光の壁ごとエッドを地面に押さえつけながら長は訊いたが、それはどこか遠い声に思えた。


「……っ!」


 エッドの視界は真っ赤に染まり、怒りと渇望だけが嵐のように渦巻いている。

 魔力の高まりによって研ぎ澄まされた牙が、唇を裂くのを感じた。



『聞け――今、貴様は“どこ”にいる?』



 長の声をやっと聞き取ったエッドは、憎悪の嵐に吹き飛びそうな理性をかき集めて訊き返した。


「……ど、こ……?」

『そう。貴様の魂の所在を尋ねているのだ。爪を振るうだけの低能な化け物には、もはや分からぬかもしれんがな』

「ぐっ……!」


 輝きと共に厚みを増した光の壁が、亡者の拳を押しもどす。

 その向こうに長の小さな顔が見えたが、エッドはその表情までは読めなかった。


 答えない亡者を見つめ、長はどこか冷めた声で告げる。


『つまらぬ。貴様の“未練”とは、小さな妖精ごときに打ち砕かれる程度のものか』

「……みれ、ん……?」


 その短い言葉が、エッドの意識を揺さぶった。


 とても大切な言葉だという確信が、煮え湯のような思考を冷やしていく。


「おれ、は――」


 胸に光る貝殻のボタン。

 華奢な身体をつつむ、白いブラウス。

 隣を歩くと鼻をくすぐる、彼女の甘く優しい香り。


 澄んだ泉を見つけてこぼした、子供のような笑顔。



「俺は――彼女が……!」



 そう口にした途端、エッドの視界が開けた。


 隣に突きたてたままの剣が目に入り、その柄に手を伸ばす。

 馴染んだ握り心地が、自分が何者であるかを思い出させた。


「俺は、もう“勇者”じゃない……。人間でも、ないが……」

『ほう? ならば、なんのためにヒトの道具を取る』

「彼女を、とり戻すためさ」


 気障な台詞だと思った。

 それでもエッドは、徐々に光の壁を押し上げながら膝を立てる。恐れをなした花々が、足元からあわてて撤退していくのが見えた。


「“未練”だからって、わけじゃない……! 俺はまだ、彼女と一緒にいたいんだ。そこが、俺の……魂の所在ってやつ、なんだろう……」

『そのような理由で、我らに刃を向けるというのか? 無謀にもほどがあるぞ』


 嘲るように響いたその声が、エッドの記憶から同じ言葉を釣りあげる。


 “もしくは、勇ましく元気で無謀な勇者”



「……それで良いんだ。俺は――“勇亡者”さまだからなっ!」



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