第20話 甘いものをくださいな―1
「美味しい! 完熟したいちじくを、そのまま閉じこめたみたい」
「そりゃ良かった」
『ねーぇ! こっちにもつけて、つけてっ! いーっぱい!』
「はいはい。待ってね、順番よ」
谷での昼食は、実ににぎやかだった。
芝生に腰をおろしたエッドは、その和やかな光景に灰色の頬を緩ませる。スプーンに乗せたジャムを妖精たちにとり分けてやっているメリエールも、とても嬉しそうだ。
「ああ、このお芋! こんなに甘いなんて、蒸したおかげでしょうか。それとも、地域の特色なのかしら」
「さあな。でも、この時期はたくさんとれるらしい。帰ったら、また買おう」
「賛成です。ソテーしても美味しそうだし、煮こんでシチューにしても――」
エッドの真剣な顔を見、彼女はハッとして申し訳なさそうに言った。
「あ……ごめんなさい。食べ物の話ばかり。あなたは、もう食べられないのに」
エッドは、“真剣”に想像していたこと――家の炊事場に立ち、夕飯を作るメリエール――を急いでうち消し、疑問に答えた。
「うん? いや、食べれないわけじゃないぞ」
現実の彼女は、不思議そうな顔で首を傾げる。
「そうなんですか? 食べていないので、てっきりそうなのかと」
「まあな。まず腹が減らないんだ。それに、食べ物の風味を感じない。舌ざわりや記憶で、甘いか辛いかくらいは見当がつくけど」
「……そう、ですか」
食事を愛する彼女の目は、暗い光をたたえている。エッドはあわてて言った。
「大丈夫さ! 俺は、美味しそうに食べる君を見ているだけで満腹だよ」
「わ――私、そんなにばくばく食べてませんっ! もう」
乙女の意地にかけて抗議するメリエールだが、その手はしっかりと次のサンドイッチを確保している。
この細い身体のどこに吸収されていくのかエッドには理解できなかったが、彼女の胸のすくような食べっぷりは見ていて好ましい。
たとえば王宮の淑女は食事を少し皿に残すのが高貴とされているが、田舎育ちのエッドには好きになれない風習だった。
死んでいたって、食べ物は大事にしたいと思う。
「妖精は、普段はなにを食べているの?」
『えー? 色々だよぉ。花の蜜を吸うのもおいしいしー、鳥が運んでくる珍しい木の実を分けてもらうこともあるかなぁ』
口のまわりについたジャムを舐めとり、桃色の妖精が元気よく答える。
予想と違わぬ可愛らしい生態だったのだろう。メリエールはうっとりとそんな彼らを見つめている。手にしたサンドイッチの端が、べつの妖精に千切られていくのにも気づいていない。
「なあ、どうしてこの谷はこんなに花だらけなんだ?」
こっそりとやってきた次の妖精をするどい眼光で退けながら、エッドは訊いた。
『ヒトはみんなそう言うよねぇ。たくさん咲いてるんだから、いいだろぉ?』
「まあ、もちろん悪くはないが」
たしかに、たくさんの花が咲いていること自体は結構なことだ。エッドは鼻の頭を掻いて、問いかたを変える。
「季節も地域も異なる花が、いっせいに咲いてるのが不思議なんだよ」
『うぅーん? そっかなぁ。咲きたいから、咲いてるんだと思うけどぉ』
「枯れたりしないのか?」
『“枯れる”って、なーに?』
無邪気な瞳で見つめられ、エッドは答えを悟った。
どうやら驚いたことに、一度咲いた花々は枯れないらしい。季節はうつろいでも、この谷の景色は変わらないのだ。
まるで――“未練”を抱いて彷徨う、虚しい亡者のように。
『幼子に難しい問いかけをするでない。解など、自ら定義すれば良いであろう?』
「!」
威厳に満ちた、静かな声。思いに沈んでいたエッドはぎょっとし、すぐさま警戒態勢をとった。
反射的に利き手が剣の柄に飛ぶが、その指にそっと誰かが触れてきたのでさらに驚かされることとなる。
『落ち着くが良い。“花運び”の亡者よ』
「……いつの間に」
エッドの腰あたりに、ほかの妖精とは異なる輝きが浮かんでいた。
満ちた月のような柔らかい白金色に輝くその身体は、周りの仲間たちよりも少し大きい。まとっているものも、露出の少ないきちんとした衣服に見える。
蜂蜜のように豊かな金色の髪は腰まで流れ、同じ色の瞳がじっとエッドを見つめていた。
『クチさまだぁ! でてくるなんて、めっずらしー!』
「クチさま? え、えっと……貴方たちの王様なのかしら」
あわてて飲み物を置き、姿勢を正しながらメリエールが近くの妖精に訊いた。
水色の妖精は歓迎の意を示しているのか、不思議な踊りを披露しながら答える。
『クチさまは、クチさま。みんなのクチさまだよーっ!』
『ふふ、許せよ。妖精に統治制度はないのだ。我も、この若芽たちより少々長生きしているだけのこと。まあ、そなたたちの言葉であれば“長”という立場にはなろうが』
エッドの指にかけていた小さな手を退けながら、クチは寛大に微笑んだ。
思惑に耽っていたものの、自分も油断しきっていたわけではない――侮れない存在である。
『ふむ。やはり時折ふらりとやってくる“求める者”とは違い、貴様は多少のアタマが残っているようだな』
「……そりゃ嬉しいね」
「エッド。失礼ですよ」
珍しくむっつりと言い返したエッドに、メリエールの警告が飛ぶ。そんなやりとりを見て、クチは金色の瞳を面白そうに細めた。
『おや、拗ねもするのか。見目に反して、愛らしいではないか』
『クチさまー。この甘い沼、おいしーよぉ!』
『うむ。……おお、ヒトどもの腕も上がったものだ。どれ、もう一口おくれ』
『“じゅんばん”ね! 次はミミムがまってるからぁ』
『むぅ』
さっと遠ざけられたスプーンを名残惜しく見つめながら、クチはエッドに向き直った。
『んん、なかなかだ。ラベレンの花弁を数枚入れておるな、これは』
「……」
指についたジャムを長い舌で舐めとるその姿は、エッドたちの国を治める人物とはほど遠い。警戒を緩めながら、エッドは浮かせていた腰をおろした。
『なに、花たちがあまりに色めき立つのでな。さすがの我も、興味を惹かれたのだ』
「お騒がせして、申し訳ありません」
『ふふ! かまわぬよ、若き百合の子よ。そなたらは花を踏まぬよう計らってくれたし、若芽たちも珍しい蜜の味を喜んでいる。歓迎しよう』
好ましい花に例えられたのが嬉しかったのか、メリエールは感激した顔になっている。どうも自分との扱いに差があることを感じながらも、エッドは努めて明るい声で尋ねた。
「ラケア村の人たちに聞いたんだが。長生きしている物知り妖精ってのは、貴方のことか?」
『さてな。もっとも永く時を歩んでいるのは、この母なる谷であろう』
のんびりとしたクチの言いぶりには、どこかこちらの懐の深さを計っているような響きがあった。エッドはそり立つ岩肌を見上げ、気楽に言う。
「そうだろうな。しかし……まあ、谷とはちょっと話が合わなさそうだ」
『ふっふ! 言いよる。なにか我に訊きたいことでもあるのか、“求める者”よ』
「ああ。その“求める者”――つまり、亡者についてだ」
昼食も、残りわずかとなっている――この気まぐれそうな妖精たちなら、いつ飛び去っていってもおかしくない。
メリエールが緊張した面もちで見つめているのを感じつつ、エッドは単刀直入に問う。
「亡者から、人間に戻る方法はあるか?」
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