第13話 舞台から飛びおりて―2
「兄貴ごめん! ちょいと事情が変わって――」
遠慮なく開かれた扉から駆け込んできたのは、法衣をたくしあげた仲間の少年だった。
「ん?」
その猫のように丸い瞳が侘しい部屋をすばやく横切り、ベッド上の男女にとまる。
「……ええっと。“お子様”には、刺激が強すぎやしないかい?」
どこかわざとらしい所作で両目を覆いながら、セプトールは首を傾げてみせる。
エッドは何のことだか分からなかったが、意味を理解して悲鳴をあげたのはメリエールだった。
「え、ええエッド! あ、あなた、ふくっ……!?」
「え? ――あ」
寒さを感じる器官が機能していないからだろうか。
エッドはやっと、自分が何ひとつ身にまとっていないという事実に気づいた。
「うわ! わっ、悪い!」
「わわ、悪いでは済みませんっ! 子供に、こんなところを見られて――!」
「うん、だいじょぶだいじょぶー。ぼく、なーんにもみてないよー」
頬を染め泣き出しそうな声で非難するメリエールから離れ、エッドはシーツを引き剥がして腰に巻きつけた。
亡者の力で引っ張ると簡単に破けてしまったが、ちょうどいい長さになったので良しとする。
「セプ! これはだな、別になんにも悪意はなくてだな!」
「うん。いや、兄貴の服はオレが用意するはずだったんだし、仕方ないよ。もう人間に戻ってるのは、びっくりしたけど」
いつの間にかベッドの横に立っている少年は、大人びたわけ知り顔でうなずいている。
それでも最後には、にやにやと子供らしく口の端をもち上げて言い足した。
「それに、こんなに綺麗な
「お前な……!」
「そ、そんなことはありませんっ! 不純なことは何も! 彼は私の元パーティー仲間で、リーダーだった“だけ”の人ですっ! いいですね!?」
聖術師は一気にまくし立てると、肩で息をした。
あまりの言い様に言葉を失ったエッドの脇で、セプトールは優雅に一礼して応じる。
「はいよ。もちろんでございますとも、麗しきご婦人」
「……。それでセプ、何かあったのか?」
「あ、そうだった。兄貴、悪いけどすぐにここを出なきゃなんないよ」
羽織っていた見習いの法衣を手早く脱ぎ捨てつつ、少年は急いでそう告げる。
「さっきのどんぐり頭が、もう起きちゃったんだよ。司祭たちはかなり出来上がってるけど、あの兄さんはオレたちに気づくかも」
「――もし。ランフアさま?」
「!」
ひかえめなノックの音が響きわたり、部屋の空気を凍りつかせる。
少年は足音も立てずにすばやく扉の前に駆けもどり、背をつけて押さえた。
(ったく、言ってるそばからこれだ。あの兄さん、意外と“使える”のかもね)
(お、お前の伝達術なのか? まったく、術師にならないのを学院が嘆くぞ)
エッドは軽く面食らいつつも、入り込んできたセプトールの思念に応答する。
身軽な姿に戻った少年は、小粋な角度に会釈してみせた。
(お褒めいただき、恐悦至極。でも今はとにかく、逃げてくれなくちゃ)
(分かった。それと……今からこの人を誘拐するけど、見ないふりをしてくれるか?)
「ランフアさま? 夜分に申し訳ありません。ぼくの見間違いかもしれないのですが――」
甲高い声の大きさに比例し、ノックが強くなっていく。
(え……逢い引きじゃなくって、誘拐だって!?)
エッドの犯行計画を耳にした少年は目を丸くしたが、それはきらきらと好奇心に輝いていた。
(へえ、すごい
(もし捕まったら、脅されてやったと言うんだ。ここまで本当に、世話になった)
エッドが真剣な顔をして念じると、少年は微笑んで小さな頭を左右にふる。
(心配ご無用さ。オレが、あんなトロそうな見習いに捕まるわけないだろ。それどころか――ちょっとばかし、盛りあげてやれるかもしれないよ)
(……ああ。任せるよ)
ベッドの脇に立っているメリエールは、扉とエッドを交互に見て迷っていたが、やがて元仲間に向かってするどくささやいた。
「エッド。窓は開いています」
「そうか。そりゃ好都合だ」
「私が時間を稼いでいるうちに、その子と――きゃっ!?」
すばやくベッドから飛び降りたエッドは、ふり向いてメリエールの膝裏と腰に手を差しこんで抱えあげた。立てかけてあった彼女の愛杖を手に取るのも忘れない。
「え、エッド!?」
腕の中で目を点にしているものの、聖術師は驚きが勝ったのか硬直している。
悲鳴を聞きつけたらしく、扉の外が騒がしくなった。
「ランフアさま! どうなさったのです!」
「“きゃあーっ! お止めになってーっ!”」
恐慌に満ちたその悲鳴に、エッドは部屋の中を見回してしまった。
(どこ見てるんだい? 役者なら、ここにいるだろ)
呆れたように自分を指差しているセプトールが、どう聞いても婦人としか思えない声でふたたび叫ぶ。
「“ああっ、どこにお連れになるつもりですの!? もうおしまいだわーっ!”」
「わっ、私、あんな話し方しませんっ!」
腕の中でメリエールが憤慨する。しかしエッドがシーツを踏みつけて窓に近寄るのを見、それに近い声で悲鳴をあげた。
「エッド!? 降ろして! こんなのだめです、聖堂があなたを見逃すはずがない」
「そうなりゃそれで、仕方ないだろ?」
エッドは渾身の笑顔を見せたが、その顔が彼女の不安をぬぐえたかは定かではない。
しかし今夜の舞台から飛びおりる時は――今だ。
「っと……」
大きく窓を開けると、魅惑的な夜風が歓迎の意を示すように吹きぬけた。その風に乗り、いまだ盛り上がりをみせる街の音が届く。
そう、今夜は祭りだ。
意中の人を拐うなどというちょっとした騒ぎも――“無礼講”なのである。
(あとはまかせて。幸運をね――“エッド”の兄貴)
棚の薬瓶を根こそぎ落として物音を演出する少年から、最後の思念が届く。
エッドはその勇姿を背に、冷たい窓枠に足をかけた。
「エッド! あなた、勇者ともあろう者が――!?」
「俺はもう、勇者さまじゃない。ヒトでなしの、“勇亡者”さまさ」
聖なるヒトと、ヒトならざる者。
ふたつの影は出立のファンファーレに見送られることもなく、騒がしい夜へと飛び込んでいった。
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