第73話 相棒



 格調高い豪奢な音楽が、黒き“衣裳棚”からあふれ出る。


 刀剣を両手でささげ持ち、“青灰婦人”は旋律に乗って滑るように戦場へとおもむくと、目のない顔を敵へと向けた。

 まるで曲の一部かと思えるほど自然に鞘から刀身を抜くと、未練なく鞘を宙へ放る。


 黒と金の無数の蝶になって消えゆく鞘に、思わずエッドは見惚れた。


(……愚者の舞踏は見飽きました。幕引きにいたしましょう)


 今や指をすべて失い、棍棒のようになった手をふり上げて女神が告げる。

 やや位置が下がってはいるが“教典”をしっかりと開き、もう片方の手には杖を構えた闇術師――ログレスは、冷笑した。


「ええ。お望みどおりに」


 その声を合図に曲が盛りあがり、“青灰婦人”が先手を仕掛ける。

 長い刀剣の重さを感じさせない動きで斬り結ぶ姿に、剣士であるエッドは驚嘆の声をもらした。


「おお……!」

(“青灰婦人”は天界との大戦でも軍を率いて戦ったと言われる、れっきとした武闘家なの。“赤銅紳士”に娶られた今でも、腕は変わらないみたいだね)


 アレイアの思念を聞いても、ふくらんだドレス姿の婦人が武闘を繰りひろげる姿はまさに圧巻だった。

 剣士の構えから一気に白刃を突きだすこともあれば、相手の攻撃時には蝶のように舞い、その裾にさえ触れさせない。


(ええい、ひらひらと鬱陶しい……!)

「指を失くしたのは下策でしたね。不粋な棍棒が、麗しき蝶をとらえられるとでも?」

(く……!)


 闇術師が挑発するように嗤う。

 魔力が立ちのぼるその目が、人間離れした眼光を放っているのをエッドは見た。メリエールが森で見せた、“憑依状態”に近い。


「……」


 魔力の昂りに身を委ねた術師に、まわりの声は届かないだろう。傷の具合が心配ではあったが、エッドは大人しく剣を下げて仲間のそばに控えた。


(もっと……もっと、魔力ちからを寄越しなさいッ……!)

『っわ!?』


 女神のうなり声と同時に、本体である魔人の身体がびくりと震える。久々に丸い目が開いた。


 開口一番、小さな牙を見せて魔人ママルは愚痴をこぼす。


『あーもう、眠らされたり起こされたり、忙しいったら……。うわ、指なくなってるじゃん! やるねえ、闇術師!』


 魔人からの奇妙な賞賛を受け、ログレスは小さく肩をすくめた。そこに雷のような女神の怒号が飛ぶ。


(我が使徒としての責務を果たしなさい、魔人よ!)

『きゃー、こわいこわい。自分がドジったからって、ボクっちの魔力を貪るのもいい加減にしなよ、“おばさん”』

(なっ――!?)


 金の両眼を大きく開き、魔人は腕を見すえる。

 しかし女神が怯んだのは一瞬で、ふたたび威厳に満ちた声になると言った。


(崇高なる契約の管理者として、我が聖務に助力なさいと言っているのです)

『なにが崇高なもんか、この恥知らず。ボクっちはそこの闇術師に敗北し、主従を誓った。未練がましいのはあんただよ、“女神サマ”』

(……。いいでしょう)


 すっと冷えた女神の呟きに、エッドの背に冷たいものが走る。


 いや、背だけではない。闇術師と女神、そして魔人――そのすべてが闇の魔力を放出している影響で、荒野はいまや雪原のような冷気に包まれていた。


(では、冥府までお送りしてさしあげましょう――回復に千年を要するほど、八つ裂きにして!)

『お生憎様。まだ家に帰るつもりはないんでね!』


 消耗した女神の腕が、一段とふくれ上がる。

 その干渉に歯を食いしばって耐えながら、魔人は術師を見下ろして叫んだ。



『時間稼ぎはこれくらいでいいだろ――ログレス・レザーフォルト!』

「感謝します――偉大なる魔人よ」



 恭しく会釈した闇術師は、静かに顔を上げる。

 いつの間にか、“青灰婦人”の刀剣が分厚い光をまとっていた。


(馬鹿な……これが、人間の魔力などと……!?)


 黒と金が渦巻くその光には、周囲を蜃気楼のように捻じ曲げて映すほどの魔力が集約されている。

 しかしその剣の姿を観察できたのは一瞬のことで、エッドの目でも捉えられない疾さで悪魔の姿がかき消えた――


『いっけえええーっ!!』


 肉と空気を裂く音が魔人の咆哮と重なり、荒野に叩きつけられる。


 魔人と女神の腕は見事に両断され、刀剣を振り下ろしたままの“青灰婦人”を挟んで宙に散らばった。


(……っ、“解呪”を乗せた刃……! これでは、ふたたび取りつくこと叶いませんね……)

『へへーん、どうだっ! 人間の思考に干渉できるのは、お前だけじゃないっての! おしゃべりの合間に、こっそり打ち合わせしといたのさあ!』


 残った腕でどんと胸を叩き、魔人ママルは得意げに言いはなつ。

 地上では作戦につき合わされた闇術師が、眉を寄せて小さくうめいていた。 


「お陰で、数日は頭痛に悩まされそうです。……っ」

「ログ!」


 ぐらりと大きく傾いた友にエッドは駆け寄ったが、同時に魔人のするどい声が降りかかる。


『ぶっ倒れるにはまだ早いよ、人間! 防御するんだ、“おばさん”が最後の抵抗を見せるよ』

(ええ……! 最後、まで……勝負は分かりません、よ……!)


 その昏い声を皮きりに、粉袋が爆発したような粉塵があたりを覆う――“瘴気”だ。


 エッドが急いで闇術師を支えると、友は額に汗を滲ませながらも呟く。


『……緩慢なる色彩に迷いし者よ、我が樹冠のもとに眠れ。退けよ――“停滞の壁スタグネイト・ウォール”』


 膝をつきながらも術を正確に展開させる仲間に、エッドは心中で舌を巻いた。

 弟子が展開したものと同じ銀色の半球は、屈んだ自分たちをぴったりと覆うほどの大きさしかない。


「狭苦しいけど、俺は文句ないぞ」

「……小さい分、強度を上げています……。しかし、本来は……外部の事象を“停滞”させるための、術です……。これほどの濃度に、つつまれ続ければ、どうなるか……」 


 銀の壁を、ぱちぱちと音を立てながら“瘴気”がとり囲む。


「なにも見えないな……」


 カビのような色のその粉塵は、あっという間に荒野の光景を遮断してしまった。

 野営地の状況が気にかかったエッドだったが、あちらは若き闇術師に任せるしかない。


 むしろ、隣にいる彼女の師に危機が迫っていた。


「……っ、はぁ、はっ……!」

「無理するな――つっても、任せきりだが。俺にできることはあるか?」

「そう……ですね……」


 切り傷と火傷に覆われた肩をかばうように座り直し、闇術師は長い息を吐く。

 顔色がいつにも増して悪かったが、その目にまだ諦めの色は浮かんでいない。


「単純な、手ですが……」

(――契約書だよ、あほ亡者! 今、お前にしかできないことだろ!)

「ママル!」


 どこか忙しそうな魔人の思念は、友にも届いているらしい。わずかにうなずくと、指示に補足を添える。


「貴方に……やって頂きたい、のは……契約書の、破壊です……」

「破壊? 破ったじゃないか」

「いえ……おそらく……まだ“有効”である、はずです……」


 大きく二つに割いた契約書を思い出したエッドだったが、ママルの出現などもあり、たしかにその行方までは認識していなかった。


(ボクっちの依り代でもあるんだよ、あの紙は。紙片のひとつまで完全に破壊しなきゃ、この“おばさん”の愛ある束縛からは逃れられ――ないっ!)

「ママル! まだ戦ってるのか!?」

(まったく、しつこいったらありゃしない。でも、こっちはボクっちがなんとかする――お前は“瘴気”の中でも平気だから、早くそこから出て探せ!)


 魔人の思念が途切れると同時に、離れたところで魔法が放たれる轟音が響きわたる。

 エッドは剣の柄に手をかけながら、急いで仲間に確認した。


「目的は分かった。けど、破壊の方法は? 小さく割いたってダメなんだろ」

「皮肉、ですが……あの“聖宝”を、使いましょう……」

「あの剣を!?」


 野営地の箱に押し込んできた忌々しい剣を思い出し、エッドは驚愕した。

 大きく咳き込んだあと、ログレスは野営地のある方角を見る。


「貴方の義手なら、扱えるはずです……。聖気の塊である、かの剣なら……おそらく……」

「そうか! 闇の力が詰まった契約書の破壊には、うってつけなのか」

「そういう……こと、です……」


 肩で息をしながらも、闇術師は懐から見覚えのある道具をとり出す。

 持ち主の血が付着し、その宝石はより赤く輝いていた。


「書簡を破壊、したら……僕がこの“宝珠”で、魔力体となったママルを……捕らえます……」

「分かった。確認するぞ。俺は契約書が落ちていないか探しつつ、まずは野営地を目指す。ポロクにお前の治癒を頼んでから、“聖宝”を――」

「いえ……」

 

 大きく息を吐いて痛みを逃し、ログレスは掠れた声で言う。


「僕のこと、は……あとに……。契約書の、破壊を……優先、してください……」

「何言ってんだ! そんな状態で――」

「妖精は……“瘴気”を、渡れません……。会えば、わかります……」


 迷った末、エッドは開きかけた口を閉じる。

 訊きたいことはまだあったが、最低限の訊くべきことなら頭に入った――時間との戦いは、もうはじまっている。


「……わかった。行ってくる」


 エッドは魔人の戦闘地点と野営地がある方角とを記憶に焼きつけ、飛び出す準備をする。


「……エッド」


 どこか考え込んだような声が耳を打つが、エッドは発言者を見ずに答えた。


「“余計”なことなら言うなよ。――そんなの、いっさい聞かないからな」

「……。自分は早々と、死んでおいて……勝手なもの、ですね……」

「なんとでも言え。小言は戻ったら聞いてやる」


 内臓が疼くような不安を押しこめ、エッドはにやりと笑ってみせる。

 せめて友に“心配されないこと”くらいが、この壁の中で自分にできる努力だ。



「……頼みましたよ。エッド」

「了解だ、相棒」



 しっかりと顔を上げ、エッドは水銀のような半球の中で背を伸ばす。


 なんなく術から抜け出ると、友にふり向くことなく“瘴気”の中へと進んでいった。

 


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