第71話 冥府宮殿の大舞踏会



 北国へ転移したのかと思うほどの重い冷気が、赤き荒野に立ちこめる。


 亡者エッドの肌でも感じるこの寒さは、闇の魔力によるものだ。それほどに濃い力が、自分たちを惜しみなく包んでいる。


「“青灰婦人”が――!」


 “魔血水晶”を取りこんだ悪魔の様子が一変していた。


 ドレスが一段と豪奢になり、スカートにいたってはひと周りもふくらんでいる。月明かりのように輝く金刺繍が余すことなく走り、雲のように形を変え続けていた。

 女性の衣服の良し悪しは分からないエッドにも、今までとは異なる雰囲気をまとったのがわかる。


(“真夜中の宮廷着”だ! すごい、綺麗……!)

(あれが重装備なのか? なんか、動きにくそうだけど)

(自分を一番ステキに見せてくれるのが、最高の装備でしょ!)


 興奮した若き闇術師の声に、エッドは首を傾げる。

 まとう服によって魔力の流れまで変わるとは、相変わらず術師の世界はなんとも複雑だ。


「……」


 見まいとしていても、ふたたび開いた“衣裳棚”にエッドの目が吸い寄せられる。

 今度はなにも武器らしきものは飛び出してこない――かわりに、闇の向こうから軽快な旋律が流れはじめた。


「なんだ? この音楽……」

「冥王の楽団員ですよ。亡者あなたは、あまり聴き入らないほうがいいかもしれません」


 そんな無茶なと答える前に、“青灰婦人”が滑るようにすっと前に出る。

 重そうな裾を持ちあげて一礼すると、巻いた髪も優雅に揺れた。


 敵を前にして顔を伏せる悪魔に、“偽りの女神”は気分を害したように吐き捨てる。


(なんと驕奢、なんと破廉恥なのでしょう! 清廉さの欠けらも感じられません。私が粛清してさしあげましょう)

『ううっ……!? あ、これもう、やばいかも……。がんばってね……!』


 女神の支配が強まったのか、魔人ママルのまぶたが下がりはじめた。

 伝言を受け取ったログレスは小さくうなずき、杖を掲げる。


「眠っていて結構ですよ。……貴方の悲鳴は、聞き飽きました」


 魔人の目が固く閉じられたのを合図に、闇術師はささやく。


『“夢幻のブランル”』

「!」


 婦人を見たエッドは、思わず目を瞬いた――“青灰婦人”が六人になっているのである。


 長い足で調子よく宙を打ち踊りはじめると、残りの使者も同じ動きで追従した。

 あっという間に女神の腕をかこみ、春の花畑にあそぶ蝶のように舞う。


「幻影……なのか?」


 エッドの呟きに、婦人は技をもって答えを出した。

 淀みなく舞い続ける中、その細腕から熾烈な攻撃が繰り出される。多方向からの同時攻撃に、女神は鬱陶しそうに巨腕をふり回した。


(小癪なっ……!)


 しかし軽やかさでは悪魔に分があるらしく、すべてが空ぶりに終わる。

 腕を避けた一体がからかうように裾をあげると、ほかの婦人も合わせて腰をふった。楽団が奏でる舞曲も賞賛を送るかのように盛りあがり、敵を翻弄する。



“伝統的な拳闘の型ってね、演舞の動きをとり入れたものも多いんだって。今、エッドの背中を打ったやつもそれね”



 仲間の拳闘士がひげを撫でながら教えてくれたことを思い出し、エッドは感心した。

 婦人の攻撃は肩をたたいて呼び止めるかのように自然で、そして的確だ。

 一発の打撃はけして重くはないが、女神の士気を削いでいることは間違いない。

 

「速い曲がお好みでしょうか。では――」


 闇術師が指揮者のように杖をふると、曲調ががらりと変わる。


 婦人の幻影が消え去り、一体に戻った。

 もちろんその瞬間を見逃さなかった女神は、巨大な手のひらを広げて悪魔に迫る。


(……ッ!?)


 摘んだ花に隠れていた蜂に刺されたかのごとく、手がびくりと震えて離れる。

 そこには、ふんだんな裾を押さえて大きく足を振りあげた“青灰婦人”の姿があった。 


 長い足を包むヒールが変形し、今や細剣レイピアよりも尖っている。

 さらに亡者の目は、そこに無数の透明の棘が並んでいることもとらえた。


『“荊足のガヴォット”』


――疾い。


 強弱をつけた曲に乗って舞う“青灰婦人”は、いまや一般人には補足できないほどの疾さを誇っていた。

 足技のみの攻撃だったが、凶悪な棘をもつ靴が猛威をふるっている。あっという間に女神の腕は、ほうぼうから小さな血柱を噴き出させることとなった。


(クッ――野蛮な! これが“舞い”などと……!)


 親指のつけ根に深い傷を負った女神は、忌々しそうに吐き棄てる。いちいち人の頭に思念を流さなくてもと毒づき、エッドはこめかみを押さえた。

 同じ声を聞いているはずの闇術師は、毛ほども集中を乱さずにいつもの無頓着さで告げる。


「左様ですか。では次は、“優雅”さに重きをおいて――」


 その声に従い、“黒の教典”の項が勝手にぱらりと進む。


 エッドにはただの年季が入った本にしか見えないが、あれは言うなれば魔力増幅器のようなものだと聞いた。闇術師が熱心に心を捧げた内容を有する書であれば、術師の力を大幅に高めてくれるのだ。


「あれ……なんか嫌なんだよなあ……」


 ちなみに教典の中になにが書かれているのかは、幼馴染のエッドでさえ知らない。仲間内でひそかに開こうとした際、書物に触れた者たちがどんな呪いを受けたかは忘れられない思い出である。


『“銀水仙のクーラント”』


 深い森を思わせるようなゆったりとした曲が流れはじめると、“青灰婦人”はふり上げていた足を静かに下ろした。

 豪奢なドレスの裾をなびかせて反転すると、どこからとり出したのか大きな扇子を胸の前に構える。


 払うように開いた扇子は、刃物のように黒光りしており――


(ぐ、あぁッ――!)


 実際、武器にちがいない代物だった。

 ぶあつい肉の塊である女神の腕に容赦なく襲いかかり、先ほどヒールで突いた穴を起点にしてさらに傷口を深くしていく。


「おお……!」


 前曲で見せた疾さはない――それなのに、相手の動きを先読みしているかのような足さばきだった。

 屈辱と痛みに跳ね狂う敵の先でつねに待ちかまえ、美しくない動きを嗜めるように悠然と扇子で肉を払う。


 削がれた肉塊がいやな音を立てて地に落ちると同時に、地響きのような思念が辺りを駆けぬけた。


(どこまでも不遜なぁッ……!)


 怒りに満ちた思念を拡散させる女神だったが、完全に防戦一方だった。さすがに腕一本で素早い悪魔をとらえるのは至難の技なのだろう。

 時折あの不思議な言語による詠唱が入るが、婦人はそれさえも微笑とともに回避していく。


(く……!)


 女神の白い腕は、紫色の血に染めあげられていった。乾いた赤土でさえ吸いきれないほどの大量の液体がしたたり落ち、荒野に気味が悪い色の池を作る。


(……成るほど。演武の使い手であることは、認めましょう……)

「降参するか? ママルをおいて出ていけば、俺たちは追わないぞ」

(戯言を……。しかし、それもひとつの手ではありましょう)


 劣勢が続き、弱気にでもなったのだろうか。女神の腕が思案するように揺れているのを見たエッドは、退却を期待した。

 潮目が変わったのを感じたのか、“青灰婦人”も攻撃の手を緩めている。


(非常に不愉快ですが――“腕”だけでは、蝿をも追い払えぬようです。お前たちの勧告、ありがたく受け入れましょう)

「!」


 状況を見極めていたログレスが小さく息を呑み、杖を突き出す。


「待ちなさ――」

(“ベーレ・ノウェ”――)

「くっ! そういうことか!」


 異様に長い爪先が、気を失っているママルの小さな胸に突きつけられている。

 女神の意図に気づいたエッドも、上体を低くしたまま飛びだした。


「させるかっ――!」


 自害の道連れにでもするつもりか、切り離して身軽になるつもりなのか――いずれにせよ、このままでは無残な光景が展開されるのは間違いない。身体を消滅させる目的とはいえ、故意に苦しませるのは友も本意ではないはずだ。


(……だから愚かなのですよ。お前たちは)


 女神の嘲笑を含んだ低いささやきが、エッドのうなじを逆なでする。

 同時に、巨大な指がすばやくこちらに向き直り――“炸裂”した。


「!?」


 攻撃魔法が放たれたわけではない――いや、おそらくはただの空言だったのだろう。血の尾を引きながら襲いくる“指先”にエッドは顔をしかめたが、身体は忠実に防御行動をとった。


「ぐっ!」


 愛剣で受けた“指先”は砲弾のような重みがあり、足の踏ん張りがいくらか押し返される。


「うぉ――ッあぁ!」


 気合いの咆哮とともに剣をなぎ払い、エッドは飛来物を赤土に叩きつけた。

 鈍い音と土煙が巻きあがる最中、風を切り裂くような音が耳元を走る。


「! くそっ――!」


 その音の正体に思い当たると、エッドは盛大にうめいた。指は一本ではない――次弾を通過させてしまったのだ。

 宙に弾くのではなく、止めを刺すために地に墜としたのが仇となった。砂塵に巻かれてしまえば、亡者の目も役に立たない。


 エッドは後方に向かって思いきり叫んだ。


「ログレスッ!」


 その声に応えるかのように、荒野に一陣の風が吹く。砂塵が入りこむ異物感に、エッドは目を細めた。


 やがて薄くなった土埃の向こうに見慣れた漆黒の姿を認め、エッドは思わず安堵の声を漏らす。


「……?」


 肉が焦げたような――しかし微妙に異なる二つの匂いが、亡者の鼻を突く。


 ひとつはすぐに分かった。赤土にめり込んだまま燃えている、どす黒い肉の塊だ。紫色の炎に炙られたそれは奇妙な形に崩れつつあるが、自分を襲ったのと同じ女神の指だろう。


 もう一つは、どこかの戦場でも嗅いだことのある異臭――人間の肉が焼ける匂いだ。



「……っ」



 小さく息を吐く音とともに、膝から崩れおちた術師。


 その肩は大きく焼け焦げ、赤黒い血がふたたび胴衣を染めあげていた。


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