第70話 魔血水晶をちょうだい―2
ぶるぶると大きく魔人が震え、喉から不思議な響きの詠唱がほとばしる。
女神の手が拳を作り、開いたと同時に黒い球が出現した。
「あれは――!」
地面近くで浮いていたはずの小石が、すべてエッドの目線の高さにまで上昇している。
術師ではない亡者から見ても、黒球が高威力の魔力体であることが理解できた。
「エッド、我々のうしろに」
「言われなくとも避難するさ!」
友が発した警告よりも早く、エッドはその背に飛びこんだ。
この世には剣で防ぎきれない魔法や術が多すぎる、とぼやくのも忘れない。
『血と鉄の雫を接受せよ――“
闇術師の詠唱を聞き、棺のような婦人の“衣裳棚”が開く。
「っ!?」
すぐ近くでその様子を観察していたエッドは、思わず驚きの叫びを上げそうになった。
黒塗りの衣裳棚から突きでた豪奢な黄金の傘――その差出人と思われる“存在”が、中から無数の目でこちらを睨んでいるのである。
「……あまり見つめないほうが良いですよ。“使用人”たちは、嫉妬深いので」
「み、みたいだな」
ログレスの言葉を素直に聞きいれ、エッドは衣裳棚から一歩遠ざかった。興味本位でのぞいて良いものではないらしい。
それと同時に、敵の攻撃がこちらに到達する――すさまじい轟音と光が、一瞬でエッドの視界を埋めつくした。
「うっ……!」
言うならば、水中で高波をやり過ごした時の感覚に似ている。災難は頭上を流れ、エッドたちは無傷だった。
先頭に立つ“青灰婦人”は、さきほど衣裳棚から受けとった黄金の傘を広げ、背筋を伸ばしている。
『うっそお。傘ぐらいで防げちゃったわけ? 威力ひかえめとはいえ、ちょっと傷ついちゃうなあ』
「本当に抑えてんのか、それ!? あたり一帯、ますます侘しい光景になってるじゃないか」
自分たちの足元を残し、周囲の赤土はすべて大きくえぐられている。
エッドが急いで野営地を見ると、見慣れない銀色の半球が出現していた。
(アレイア! そっちは大丈夫か?)
(う、うん……。ほんと、すごい魔法と術だね。つけ焼き刃の防御術だけど、習っておいてよかったぁ)
(それは闇術も防げるのか?)
(大丈夫。“闇の揺り籠”よりもちょっと力を使うけど、あたしまだ魔力はたっぷりあるから)
術の奥で、アレイアがしっかりと杖を構えている姿が見えた。
(メルが起きてくれたら、強力な防御聖術を頼めるんだが……。けど、彼女もすぐに動けるかわからない。引き続き、そっちは頼むぞ)
(わかった。やってみるよ)
自信なさげだった声が、エッドの激励によって力強さをとり戻す。
「できるさ。君なら」
エッドが村で観察していた時も同じことを思ったが、アレイアはけして劣った術師ではない。
ログレスという優れた師に圧倒されてはいるものの、勤勉さも相まってその成長は目覚ましいものだった。
師いわく、“正しく自信をもつこと”が彼女の一番の課題なのだという。
「……
「がんばれって言ってやったとこだ。自分で言葉をかけたらどうなんだ、師匠?」
「……。そのようなことまで仕事に入るのでしたら、やはり僕には不向きかもしれません」
友の声には、面倒臭さと少々の困惑がにじんでいる。
エッドは気楽に肩を叩いてやりたくなったが、集中している術師に触れるのは無粋だろう。
(ママル――そろそろ、私の邪魔立てをするのはお止めなさい)
『へ、へん……! そう言われて、従う魔人なんかいない、っての……! 全力で邪魔してあげ……っ、うあぁ!』
魔人の挑発するようなささやきが、悲鳴に変わる。
苛立った女神は腕をねじ切るように回転をくわえ、身体の主を苦しめようとしていた。
「あいつ――!」
エッドは鼻にシワを寄せてうなった。魔人の肩口は、気味のわるい色に染まっている。人間であれば、骨折どころの沙汰ではない。
『いいい、いだい痛いっ……!! だ、闇術師! まだなのお!?』
「……良いでしょう」
『!』
涼しげな金属音を聞きつけ、“青灰婦人”がすばやく術師にふり向く。
透明の宝石――涙型の石で、奥にはたしかに血のような暗い色の塊が埋めこまれている――をかかげたログレスが、その平面の顔に向かって言った。
「“前払い”は主義ではありません。相応の働きを見せてください――“魔血水晶”」
惜しみなく主人がはなった宝石の煌めきを、夫人は長い手を伸ばして掴みとる。
感謝するように優雅に会釈すると、宝石にそっと口づけた。
平面だった顔に突如あらわれた唇は妖艶だったが、エッドの首筋に嫌な感覚を走らせる。
「!」
その予感は的中し、悪魔はがばっと大きく口を開いた。
無数の歯がたち並ぶその口で、音を立てて水晶を噛み砕く――
『踊り咲け――“
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