第70話 魔血水晶をちょうだい―1



 銀と青の光が宙でぶつかり、荒野の色彩をすべて白一色に染めあげる。


『“ネブレ・ヴァロアル・イオ”』

『“青灰婦人の衣裳棚ブルーグレイレディ・ワードローブ”――“鎌襟サイスカラー”』


 裂けて地を這った光は深く赤土をえぐり、自然災害のような爪あとを刻んだ。

 ここが開けた荒野でなければ、周辺の建物に甚大な被害をもたらしていただろう。


「……っ、これは、剣士おれの出る幕はないかもな!」


 情けない文句を呟き、エッドは光線に被弾しない地面へと転がった。


 大きな魔力がぶつかると、その周囲の魔力も乱れるという――エッドの髪の毛と同じく、地面では無数の小石がわずかに浮きあがっている。


(ちょっと、エッド! なにまたドンパチはじめちゃってるの!?)

(べつに、こっちから“お誘い”したわけじゃ――!)


 えぐり取られた大きな岩石が、すさまじい速さで眼前に迫る。


「っと!」 


 エッドは思念をかき消し、横へ跳んだ。

 地面に衝突して砕けちった岩つぶての雨に打たれ、恨めしそうに続きを念じる。


(すまん、アレイア。お前の師匠が、わりと本気で魔人と戦うことになりそうだ)

(ログレスが――ま、“魔人”と? そんなっ……!)


 弟子である少女の慄いた声が響くが、その表情を確認している余裕はない。

 丈夫な義手を盾がわりに岩つぶてを防ぎ、エッドは現況に目を凝らそうとした。


(そんなの――ずるいよっ! あたしだって、近くで観たい!!)


 その見当ちがいな不満に、エッドは思わず足を滑らせそうになる。

 なんとか踏みとどまり、肩のすぐ横に走った光の筋を避けた。


(お――お前なあ! 観覧席じゃないんだぞ、ここは!)

(だって、本気で戦うログレスなんて見たことないし!)


 きんきんと頭に響く声にうめき、エッドは土煙の最中にいる仲間を見遣る。


『不遜なる蛮民に、惨烈の嵐を――“地平線の夜会服ホライズン・ドレス”』


 低い声で詠唱を口にした闇術師、ログレス・レザーフォルトが、粉塵を斬りはらって現れる。


 斬ったのはもちろん、術師自身ではない。

 棺のような黒塗りの箱とともに顕現した、異様に背のたかい女性である。全身が揺らめくような青灰色の女性は、まるで蜃気楼が立ちあがったかのようだった。


(あれは――“青灰婦人”!? はじめて見た。すっごく綺麗!)

(俺もだ。あんまり強そうには見えないけど……)

(“深淵”にあるお屋敷に住んでるっていう、立派な高位悪魔だよ? あたしの水晶じゃ、ぜんぶ差しだしても来てくれないと思うなあ)


 ライルベルとの戦闘でエッドをかばってくれた“影の舞踏シャドウ・ダンス”も、この悪魔による技だったのではないかとエッドは直感した。


 上品に扇子で口元を隠している“青灰婦人”は、その形の良い顎を主人に向ける。


「――先に報酬を気にするとは、少々意地汚いのではありませんか?」

『……』


 前方を注視したままのログレスが警告するようにささやくも、“青灰婦人”は術師の腕に光る宝石に見入っている。

 目も鼻も見当たらない平面の顔のはずが、彼女が射抜くような視線をはなっていることをエッドも感じていた。


(あいつが“魔血水晶”を出すのは、久しぶりだ……。たしか、使徒が喜ぶんだよな?)

(喜ぶっていうか、こっちが払う高等な対価って感じかな。現存魔力をごっそりあげちゃうと“枯渇”になっちゃうから。あらかじめ魔力の濃い物質――つまり、自身の血を閉じこめて作っておくんだ)


 弟子の明快な説明にエッドが感心していると、深い女の声が脳内を駆けた。


(そのような“悪魔”ごときで……。時間稼ぎのつもりですか、人間)


 くすぶっていた土煙が、巨大な扇子で吹き散らされたかのようにほどける。

 現れたのは小柄な魔人、そして不釣りあいなほど巨大化した女の腕だ。


 うんざりした顔で、魔人ママルは相対者を見下ろす。


『あのさあ……真面目にやってくれる? もっと大技で容赦なしにきてくれなきゃ、ボクっちは殺せないよ?』

「……」


 とんでもない要求を口走る魔人だが、闇術師は動じない。

 最終的に“宝珠”におさめるため、まさに望みどおりこの魔人の身体を滅さなくてはならないのだ。


「……こちらにも、事情がありまして。魔力はできる限り、温存させておきたいのです」

『そんな悠長なこと――あ、避けてっ! “タボラ・ミド・イケゥ”!』


 白金色の炎をまとった巨大な拳が出現し、術師の頭上に迫る。


『――“健忘の靴底アムネジア・ヒール”』


 拳を軽々と受けとめたのは、長く華奢な青灰色の脚だった。ログレスの前に一瞬で躍り出た“悪魔”は、ぱちんと音を立てて口元の扇子を閉じる。


『……』


 ドレスの裾をはためかせて長い足をしまうと、何ごともなかったかのように術師を見た。

 驚いたのは敵側である。


『んんん? お前の“婦人”、ちょっと丈夫すぎやしないかい?』

「適正量の“支払い”が可能なら、彼女は本当の力を惜しまないのですよ。まあ、少しばかり――お転婆な姿を晒すことになるかもしれませんが」


 ログレスの不敬な発言を咎めるかのように、“青灰婦人”は優美なレースの手袋に扇子を打ちつける。

 しかもその“視線”は、まだ目当ての宝石に注がれたままだ。


「……そんなに、我が“魔血水晶”が欲しいのですか? すでに貴女の屋敷の宝石箱に、あふれんばかりに納めたはずですが」

『……』


 どんな叱責の言葉にも、“婦人”はあきらめの色を見せない。

 かわりにエッドの予想よりもずっと早く、友はため息を落として言った。


「仕方のない女性ひとですね……」


 ログレスは杖を持ったまま、連なった宝石を手早く外しにかかる。

 友を見ていたエッドの頭に、興奮したような思念が届いた。


(……エッド。あたし今、悪魔をうらやましいって思っちゃったんですけど)

(そりゃ、思念が流れ出さなくてよかったな。ところで盗み聞きで魔力を浪費すると、師匠に怒られるんじゃないか?)

(うっ……! だ、だって気になるんだもん。“青灰婦人”は、悪魔の中でも指折りの美女なんだよ!?)


 アレイアの思念は、逃げるようにして消えていく。

 同時に、悲痛な声がエッドの耳を打った。



『ごめん、待ってあげ、らんなっ……! ア、“アロア・ヌェ・ボロゥ”!』


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