第69話 死か隷属、または―2



 長年連れそった仲間の指示に、エッドは迷うことなく全力で従った。


「……ッ!」


 膝をつくと同時に、遅れた髪の毛を数本たち切りながら何かが頭上を通過する。


 間髪いれずに後方へ跳び、エッドは轟音の正体に目を凝らした。


『う……ううぅっ……!!』

「ママル!?」


 砂埃の中に浮いている魔人の片腕が、その全身よりもふくれ上がっていた。いや、当人のものではない。


「なんだ、あの腕――!」


 紫色の肌ではなく、雲のように真っ白で滑らかな女の肌。

 “奴隷問答”で見た紋と同じ複雑な曲線が、毒々しい色でその艶かしい腕を彩っている。幾重にも巻かれた太い腕輪が、耳ざわりな音を立てた。


(よく回避しましたね。“半端者”)

「!? っ、誰だ! 思念が、勝手に――!」

「……こちらもです」


 杖を構えているログレスが、こめかみを押さえて低く言う。エッドの頭に入り込んできた声が聞こえているらしい。


 “伝達魔術”は、あらかじめ仲間内で魔力の流れをつなぎ、思念の疎通を成立させておく必要がある。

 許可を与えた間柄でなければ、念じてもその人に届くことはないのだ。


「人の思念にたやすく干渉できる、強大な力……。この存在は……」

「また“高位存在”サマのご降臨ってやつか」


 友の呟きをひき取ったエッドの頭に、あわてた仲間の声が割り込んでくる。


(どうしたの、二人とも!?)

(大丈夫だ……メルの近くにいてくれ。すぐに戻る)


 頭の中を飛びかう声に辟易としながら、エッドは現場に集中する。


 自身の腕で顔を掻きむしるママルは、空中で身を捩りながら震える声で言った。


『あ、あぁっ……セリュンさま、やめて……っ!』

(その穢れた口でなお、我が神名を唱えるとは――罪深さも極まろうというもの)


 巨大な女の腕が、蛇の鎌首のように持ちあがる。

 引っ張られた魔人の小さな体が傾き、ママルは悲鳴をあげた。


『せ、セリュンさまっ! ボクっちは、この闇術師に負けたんだ――だから……っ!』

(それがそなたの心だとしても、与えた身体はわたくしのものです)

『!?』


 冷たい主人の声に、ママルは大きな目を見開いた。

 そこに純粋な恐怖を読みとったエッドは、愛剣を向けて叫ぶ。


「部下はお暇をもらいたがってるみたいだぞ、女神さま!」


 もちろん腕に目はない。しかしエッドは、その“高位存在”が射るような視線を魔人に向けていることを察した。


(崇高なる契約の使徒としての任を果たさず、人間の畜生に成りさがろうとは……。魔力の隅々まで引き千切り、冥府に投げいれても釣り合わぬ冒涜です)

「……なかなか“慈悲深い”主をお持ちなのですね、ママル」


 ログレスの皮肉に、女神セリュンの腕がぴくりと動いた。

 艶やかな指に巻きついた南部のものらしい金細工が、警告を発するようにギラギラと光る。


(“問答”を突破した人間は久々です……。賞賛に値しましょう……)

「それは身にあまる光栄です」

(しかし、それで私の使徒を手中におさめることなど叶いません。それとも――お前があらたな使徒になり、我が元へ参じますか?)


 握手するようにゆっくりと開かれた巨大な手を、闇術師は冷笑とともに一蹴する。



「今日は勧誘の多い日ですね。残念ですがその誘い、お断りいたしましょう――“偽りの女神”よ」



 友が発した一言に、荒野の熱が一気に下がるのをエッドは感じた。


 冷たく重厚な魔力が、這い出るように女神の腕から放たれている。

 いつでも動けるように重心を意識しながら、エッドは訊いた。


「偽りって――あいつも嘘ついてるってのか、ログ?」

「いいえ。ママルのように自覚している嘘ではなく……“偽り”より出づる者、と呼ぶべきでしょうか」

『お、おい……あ、たたっ! うぅ』


 口を開きかけたママルの腕が、さらにきつく捩じあげられる。

 痛々しいその様子に眉を寄せながらも、ログレスは続けた。


「女神セリュンはたしかに、かの南の大地と真実を司る女神です。しかし、邪神ではない」

(……ほう? 私が、そのような存在であると申すのですか)

「ええ。貴女から感じるのは、神が纏いし聖気ではありません。我が身に流れる魔力と同じ――闇の力です」


 そう言われてみれば、とエッドは女神の腕を見上げる。


 メリエールが森で顕現させた半透明の神でさえ、亡者の肌が浮きあがるような灼熱の聖気を纏っていた。

 たいして腕だけとはいえ、眼前の女神からはその片鱗さえも感じない。


「じゃあ、そいつは――魔物や魔人ってことなのか?」

「正しく分類することは難しいでしょう。血塗られた契約書に捧げられた、供物のなれ果てか……あるいは、冥府の奥底より引きあげられた古の神か」

『おいっ――図に乗るなよ、人間っ……!』

「貴方も気づいているのではありませんか、ママル?」

『!』


 闇術師の指摘に、魔人は血まみれの顔を引きつらせる。

 その頬に、大地と同じひび割れが走った。


「お伝えし忘れていましたね。純然たる魔人の血族である貴方が、天界に属する女神を信奉している――それは、“問答”よりも前から感じていた違和感でした」

『……』


 ログレスは静かに魔人を見上げ、ささやいた。


「ニームという大国を影から築いたほどの貴方が、従僕のふりをして契約書におさまるとは――何が狙いなのです? “本当”の女神セリュンは、何処へ行ったのですか」

『……。ああ、ボクっち、ほっんとーにお前が嫌い! あっ、だだだ!!』

「ママル!」


 それ以上は喋らせまいとするかのごとく、“女神”の腕が一段と大きくふくれあがる。

 魔人に向けて真っ赤な爪を突きつけ、威厳ある声をエッドたちの頭に轟かせた。


(痴れ者どもめが――貴様らの骨は、荒野を吹きすさぶ砂塵よりも細かきものとなろう!)


 その地響きのような激しい思念に、近くにあった痩せ木が震えて裂けるのをエッドは目撃した。

 正体は何であれ、ママルと同じく途方もない魔力を有しているのは間違いない。


『……あーあ。もう、ご立腹じゃないか。知らないよ? ボクっち、今はホントーに“この人”に支配されてるからね。魔法、どっかんどっかん撃っちゃいそう』

「おいおい……!」


 エッドの引きつった顔をちらと見、魔人は続いて闇術師を見下ろす。


 青筋を浮かべた巨大な腕をさすり、ママルはふっと笑んだ。


『ちょびっとだけなら、この腕の威力をおさえてあげられる。でも、長くは保たない……ボクっちが何してほしいか分かるね、人間?』

「……それは“質問”ですか?」


 ログレスはそう問い、杖を持っていない手で黒い革表紙の本を開く。本を支える腕には、さまざまな形の宝石が吊られた一条の金鎖が巻きついてあった。


 闇術の威力を引き上げる“黒の教典”に、みずからの血を閉じ込めて精錬するという“魔血水晶”――闇術師が高位の術を行使する時のみ身につけるという、正装武具である。


「……やる気じゃないか、珍しく」


 跳ねあがった仲間の魔力に圧倒されながら、エッドは呟いた。

 同じ闇に属する者とは思えない、肌を打つような波動。一体どちらが化け物なのやらという軽口を飲みこみ、愛剣を構え直す。



『ううん、これは問いなんかじゃない。哀れな“懇願”さ――ボクっちを助けろ、闇術師!』

「――御意に」



 はち切れんばかりに高まった場の魔力に、ついに哀れな痩せ木がなぎ倒される。

 


 その嘆くような音を合図に、音と光が荒野に炸裂した。


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