第67話 世界一の難題について



 荒野を渡る乾いた風は先ほどと違い、どこか湿り気を帯びている。

 錆のようなその鼻をつく匂いを挟み、あいかわらず魔人と人間の男が対峙していた。


『うっひゃひゃは! その顔っ! それが見たかったんだよぉ!』


 気味の悪い声をあげて笑う魔人から目を逸らし、エッドは急いで友を見た。

 そろりと首を伸ばしてフードの中にある横顔を確認し、思わず声をあげる。


「お前――なんて顔してんだよ」

「……」


 大闇術師ログレス・レザーフォルトは完全に固まっていた。

 全身を硬直魔術で撃ち抜かれたかのように動かない。エッドもつられて固まってしまいそうになるが、頭をふって友を叱咤した。


「おっ……おい、ログ! しっかりしろよ、簡単な問題だろ!? んなもん、最初に心に――」

『おっと! 亡者くん、入れ知恵はそこまでだよぉ。それ以上は、不正とみなすからね』

「う!」


 すかさず魔人の警告が入り、エッドはあわてて手で口を塞ぐ。

 それでも、良いところまで助言ができたはずだ。


「……」


 しかし期待顔のエッドの隣には、相変わらず燭台につき立てられた蝋燭のように直立する男の姿があるだけだった。

 彼は世界一の難問について思案するかのように、深刻な声を落とす。


「僕が……最も大事にしている、人間……?」

「あーだめだこれ! ぜんっぜん分かってないやつだ!」

『あっひゃひゃは! いいよいいよぉ、悩む時間をあげちゃうよ!』


 自分が優位に立っていることの甘美さを味わっているらしい魔人は、長い指で輪を作って人間を眺めている。

 なんとも腹立たしい光景だが、それよりもエッドは考え込む仲間を励ますことにした。


「どうだ? 決まったのか」

「決まったか……と言われましても。まず、質問の定義が曖昧すぎます。友人と呼べる人間の中から選出するのか、それとも家族も含まれるのか……。さらには歴史上、畏敬の念を抱いている人物まで視野に入れねばならないのか――」

「ああもう、そんな壮大なもんでもないだろ!」


 めまいを起こしそうになりながらも、エッドは辛抱強く声をかける。

 闇術師の紅い目がふと、こちらへ向いた。


「……友人という括りで定義するならば、一番長いつき合いなのはもちろん貴方となりますが……」

「え」

『ほうほうほーう? それがお前の答えかい?』

「いいえ。この男ではありません」


 はっきりとした幼馴染の言葉を聞き、エッドは安堵しながらも多少落胆して言った。


「ま、そりゃそうだが……。目の前でそう言われちゃ、亡者だって悲しいぞ」

「なにを言っているのです、エッド? 低次元の引っ掛けですよ――貴方は“人間”という括りにすら入ってないのですから」


 エッドが肩をすくめてみせてもログレスは不思議そうな顔をしていたが、ふたたび眉を寄せて考えに没頭しはじめる。


「……“最も”という指定が、問いの肝……。しかし、選定の方法は不明瞭……となれば、まだ問いの中にさらなる問いが……? いや、深遠な問いこそ解は岸辺に流れつく……」


 ぶつぶつと呪文のように考えを呟く解答者を見下ろし、魔人は優雅に頭の後ろで手を組んで言った。


『悩ましいねえ。まあ、ボクっちとしては別に“人間”っていう種族の指定をしたいわけじゃないんだけどね? それで考えが複雑になるなら、いーけどさ」

「き、聞いたかログ!? “誰でも”いいんだぞ! おい!」

『誰でも良くはないよぉ。“問答”のすべては、我が女神セリュン様の魔力がご覧になっている。テキトーに言っても、お見通しだからねっ』


 しかしエッドと魔人のやり取りは、そもそも解答者の耳には届かなかったらしい。


 熱い荒野のただ中だというのに、苔むした岩のごとく動かない男を見てエッドは額に手をあてた。


「お前な……ほんと、難しく考えすぎだぞ」

「……。直感で行動する貴方とは、仕組みが異なるのです」

『さてさてー、決まったあ? そろそろ答えてもらおっかな!』


 舌で顔に付着した血を舐め問う魔人を見上げ、闇術師はしっかりとうなずいた。


「ええ、良いでしょう。では……」


 その自信ありげな表情に、エッドはひとまず安堵した。

 しかし同時に、どこか心の隅で警告の声があがる。


 なにか、よくないことが起きようとしているかのような――


「僕が最も大事にしている人間。それは――闇術の創始者にしてこの世で最も“深淵”に近づき、今もその航海から戻らぬといわれる“偉人”……」

「お、おい――!」


 嫌な予感が的中したと感じたエッドは戸惑った声をあげるが、魔人の眼光に射抜かれて制止の言葉を飲む。

 解答者は、外野の動きには気づかずに言い切った。


「“闇の祖”――ブラッド・ワイヤーレヴィン、その人です!」

『ぶっぶー! ふせいかーい!!』

「ッ!?」


 魔人の不快な雄叫びとともに、解答者の顔面から血が噴き出る。

 顔を押さえて膝をついた友に、エッドは駆け寄った。


「ログ!」

「……っ。誤ったと……いうのですか……!?」


 顔を“紋”を侵食される痛みよりも、解答を違えたことへの衝撃のほうが大きいらしい。手のひらを染めあげる己の血を見下ろし、ログレスは呆然としている。


 エッドは血まみれの友を気遣うよりも早く、叫んだ。


「い――いや誰だよそいつ!? お前の口からその名前、聞いたこともないぞ!」

「それは……そうでしょう……。貴方には、縁のない存在です……。しかし彼の著書が、僕を闇術へと導いてくれたのですし……今でも、最も尊敬する師のようなもので……」


 解答者の言い分を聞いても、魔人は認める気はないらしい。

 興奮した様子で、血まみれの人間の頭上をぶんぶんと飛び回った。


『ダメなもんは、だーめっ! 確かにそいつは名の知れた人間だけど、お前が今想っているヤツとは違うんだろ? セリュンさまは、なーんでもお見通しなんだからねっ』


 大事な存在であることは間違いないのだろうが、その方向性が問題にそぐわないのだろう。エッドは頭を掻いたが、それ以上は追求しないことにした。

 本人ですら――“自覚”のないことなのかもしれない。


「大丈夫か?」

「……ええ。範囲は広いですが、傷自体は浅いものです……」


 新たに顔を走る模様は喉を伝い、黒い胴衣の中へと続いている。

 その胸元にまで赤黒い染みが広がっているのを見、エッドは驚いた。


「けど、お前はまだ一問しか間違ってないだろ。“紋”の侵食が早くないか?」

「……何問で決着がつくかは、術の発動者が設定するのです。むしろ、まだこちらに猶予が残されていることを喜ぶべき……でしょうね……」

「ログ!」


 ふらりと横に傾いた友の肩を支えたエッドだったが、血に濡れた服のぬるりとした手触りに顔をしかめる。


 空中から、愉悦に裏返る声が降りそそいだ。


『うっわあぁー、いったそおー! かわいそうに、人間じゃ辛いんでしょお? 血もいっぱい出ると、頭がクラクラしちゃうんだってねえ?』

「……ずいぶんと不公平な“勝負”じゃないか。契約の魔人さまとやら」


 低い声で言ったエッドに、ファーマルはますます笑みを広げる。


『なんとでも言いなよ、亡者。これでもそいつのことは、高く買ってるんだよ?』


 高位存在は青空を背に停止し、金の瞳をぎょろりと回す。


『そういう、自分は賢いんですぅーみたいな顔の人間は、“紋”に彩ってもらうのがお似合い。広がるにつれ、だんだん無様な顔になっていくのが堪んないのさあ』

「お前っ……!」

『でも、ボクっちの買いかぶりだったのかなあ? 子供でも答えられる質問をしてあげたのにねえ』

「く……」


 蛙のように横に広がっていた魔人の口が、すっと真一文字に結ばれる。


『――お前みたいなやつは、みーんなそう。いつの時代でも、愚かなことしかしない」

「……?」


 魔人の大きな目が恨めしそうに細まるのをエッドは見上げたが、視線がぶつかることはなかった。

 ファーマルはログレスを――いや、“人間”に対して言葉をはなっているように見える。


『自分のことさえ、なーんにも分かっちゃいない。そのちっぽけな魂なんて、茫漠ぼうばくたる時の足元に積もる、塵のひとつでしかないんだ。なのに……どうしてそれが分からない? どうして、自分たちが愛したものを簡単に壊すんだ?』

「……」

「お前、なに言って――?」


 黙り込んだ闇術師と首を傾げる亡者を見、魔人はハッと目を開いた。


『……そっか。そりゃ、分かんないよな』

「?」

『とにかく、ボクっちは人間ってやつが全員大嫌いなんだよ。死んじゃえ!』


 激した感情のまま魔人は紫の舌をべーっと出し、そっぽを向く。

 面食らったエッドだったが、ふと手から重みが消えたのを感じてそちらを見た。


「……僕は南部の魔術に関して、浅薄せんぱくな知識しか持ちあわせてはいませんが……」


 そう呟きながら赤土を踏みしめ、蜃気楼のようにゆらりと立ち上がったのは闇術師である。


「この儀式が好ましいものではない……というのは分かります」

『ふん! 分かるもんか。ホントは、もっとちゃんとした決闘の場を作って、全部族を呼んで――悲鳴と歓声を浴びながら行う儀式なんだから!』

「それは、さぞ……勇壮だったのでしょうね」

「……」


 この“奴隷問答”の創始者であるという魔人は、ログレスの言葉に短い眉をわずかに持ちあげる。


 古代の儀式に賛同の意を示した人間が珍しいのか、大きな目でじっと見つめた。


『お世辞を言ったってムダだよ。お前だって……“尋問”に利用したじゃないか』

「……それも否定しません。結局のところ、術は時代や使い手によって有り様を変えていくもの……。現代では、癒しの術で殺人を成す者もいます」

『……。やっぱり愚かだね、お前らは。ずーっと前も、今もさ』

「おっしゃる通りです……聡明なる魔人よ」


 赤黒い血に彩られた闇術師の顔に、いっそう紅い輝きをはなつ瞳が浮かんでいる。


 迷いなく魔人を見据え、次の質問者は静かに言った。


「しかし、それでも囚われし友のため――愚かなる我々は、貴方に勝利せねばなりません。血塗られた儀式も、そろそろ終幕といたしましょう」

『……』



 また甲高い声でわめき散らすだろうと身構えたエッドだったが、魔人は意外にも落ち着いている。

 しかし静かすぎると目を凝らしたエッドは、その小さな顔に浮かんだ不可解な表情を見ることとなった。


 まるで――諦めたかのような、微笑。



「では、問います。簡単な二択にしましょう。……貴方の名は、契約の魔人ファーマルの息子――“魔人ママル”ですね。肯定か否定でお答えください」



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