第66話 問う者と問われる者―2



「難問……?」


 呆けたエッドの声には答えず、闇術師のフードは前を向く。

 耳ざとい魔人は、可笑しそうに目を細めて腕を組んだ。


『へええ? 言ってくれるじゃないか。それじゃ、いっちょ頼みますよ。ちょうど、お前が質問する番だしね』

「では、問います」

「……」


 エッドは乾いた喉を鳴らし、仲間の背を見守った。


「冥府の女王みずからの子であり、この世すべての約束・約款・定理を司る魔人とは――何処の誰のことでしょうか」

『!?』


 魔人にも、たしかな感情が宿っているらしい。

 “ちっぽけな人間”の質問が気に入らなかったのだろう、魔人のつるりとした額には血管が浮き出している。


 ふたたび立ち昇りはじめた濃い魔力に圧倒され、エッドの髪が逆立った。


『あ……あのねえ。期待が裏切られるのは、魔人だってイヤなもんだよ?』

「それが回答でしょうか?」


 淡々と確認してくる相対者に、魔人は牙を剥いて叫んだ。


『……っ! ああいいとも、答えてあげる! ここに、この侘しい荒野に顕現したボクっちこそ、冥府の女王ジャナンが嫡子――“契約の魔人”ファーマルだ!』


 怒りにまかせ、あの強力な魔法を放たれてはたまらない。

 殺気立った魔人の様子にエッドは思わず身構えたが、飛んできたのは魔法ではなく――甲高い悲鳴だった。


『ぎゃああーっ!!』

「な、なんだ!?」


 エッドは手で顔を覆ってもだえ苦しむ魔人を見上げた――肉が焦げつくような異臭と、いく筋もの白煙が長い指の隙間から噴きだしている。


『う、うう……! こンの、人間風情がぁっ……!』

「おい、あいつの顔――!」


 エッドに指さされ、魔人は恐ろしい形相をさらに深める。


 その小さな顔は今やすべて“紋”に覆われ、染み出したみずからの血でぬらぬらと光っていた。その中に浮かぶ金色の目玉が、ぎろりと恨めしそうに質問者を睨んでいる。


「……成るほど。あの“紋”の侵食度を見るに、全身に到達するまであと二、三問というところですか」

「ログ、さっきの“問い”は? あいつ、なにを間違って――」


 状況を淡々と分析する友にエッドは当然の疑問を投げるが、闇術師は軽く手をあげて遮る。


「“問答”は続いています――退がっていてください」

『……そうだよ、亡者ッ! そこで平伏して、オトモダチが血まみれになるのを見てるがいい! 次はこちらの問いだ。覚悟はいいね、人間?』

「ええ、どうぞ」


 顔から血雨を流しながらも、魔人は威厳たっぷりの声で問う。


『“混沌の指”の称号をいただく魔人の名を挙げろ。ただし畏怖名ではなく――“真名”を、だ』


 闇術師は考える素ぶりも見せず、解を提示する。


「左指“サミュカ・モリブール・ニェ・バラク”。右指“オストミルア・ボロアン・ナェ・ジアン”」

『ハッ! それがお前の答えかい!? 残念だけど、抜け――』

「――それから、双子の小指“バーンバレド・ミアテル・ヌァ・ホンメッド”と“バーバレル・ソアテラ・ヌァ・ホンメッド”」

『んなぁっ!?』


 淀みなく言い終えた人間の解答に、魔人は空中でひっくり返った。

 血のしずくが赤土を潤したが、ファーマルはそれさえも目に入らないかのように大口を開けている。


『な、なななんで、お前ごときの人間が、“小指”まで知ってるんだ!? あの方たちは、現世に顕現なさったことなどないはず――! で、でも、ホントに“真名”を口にするなんて。愚かにもほどがあるね』


 勝ち誇ったように魔人の口元が震えるのを見、エッドは眉を寄せた。しかし解答者の身にはなんの不幸もふりかかっておらず、平然としている。


『……あれ? なんでフツーでいられるの、お前』

「魔人の序列は、学生時代に余暇として研究したことがあります。“真名”を口にしても祟られないだけの供物も奉納済ですので、ご安心を」

『は、はああ……!? お、お前っ、一体――』

「では、次はこちらの番ですね」


 魔人の動揺に得意になることなく、ログレスは次の質問へとうつる。


「問いの難度を落としましょうか。魔人よ――貴方の名は、何です?」

『ッ!?』

「お、おいログ――」


 エッドは思わず声を出した。本人に名を尋ねるなど、簡単という難度どころではない。魔人のあまりの出血や狼狽ぶりに、情けでもかけたのだろうか?


 しかし魔人は胸を撫でおろすどころか、いっそう慌てふためいて叫んだ。


『さっ、さっきと同じ質問じゃないか! ボクっちは名前を言ったろ!』

「同じ問いを立てることは、違反ではないはずです。それに、ご存知ないですか? かの奴隷大国ニーム――貴方の“故郷”ですが――では、この“奴隷問答”は晩年、別のものとして用いられていました」

「別の?」


 エッドの疑問にやっと友はふり向いてうなずき、解をさずける。


「ええ――“尋問”ですよ」

『なぁっ!?』

「おや、“製作者”としては不本意ですか? しかし、当然でしょう」


 どこか冷めた声で、闇術師は静かに語り続ける。


「解を誤れば奴隷への道がひらけるのですから、相手が答えづらい質問をくり返せば早く勝負がつきます」

『こ、この儀式は、そんなことのために作ったんじゃ――!』

「部族同士の清廉な決闘場を離れれば、質問者が圧倒的に有利な――ただの、尋問術でしかありません」


 友がわずかに顔をしかめたのは、その頬を這う“紋”の痛みのせいではないらしい。エッドも同じように、険しい表情になる。

 たしかにその使用法は――人道的ではないにしろ――奴隷を集めようとする者にとっては有用だろう。


 真実を口にすることで己の秘密を暴き、隷属よりも悲惨な屈辱を味わうか。

 嘘をつき通して秘密を守り、代償として我が身を奴隷にやつすことを選ぶか。


 どちらにしろ、勝敗は決まっているようなものだ。

 それでも、そんな血塗られた遊戯の中で勝利を得るためには――。


「ログ、お前……魔人の弱みとか、最初から知ってたのか?」


 エッドが問うと、仲間は小さく頭を振って否定する。


「いいえ。言った通り、契約書からどんな“高位存在”が出るかは分かりません。それに個体数すら明らかになっていない魔人たちの知識など、僕も数えるほどしか知りませんよ」

「おいおい……んじゃ、出たとこ勝負ってことかよ先生?」

「貴方に言われたくはありませんね、勇亡者殿」


 相変わらずの舌のするどさに、エッドは苦笑した。

 その研がれた刃のような舌先は、ふたたび魔人へと突きつけられる。


「先ほどから黙っていますが――そろそろ、貴方の名を伺っても?」

『うっ……!』

「沈黙するという手もあります。けれどたしか、この“問答”ではその選択は歓迎されないはずでしたね。まあ僕としては早く済ませたいので、構いませんが」


 涼しげな顔の人間を睨みつけ、魔人は血まみれの顔を歪める。


『ボクっちが……この儀式の創始者であるボクっちが、だんまりを決め込むわけないだろっ!』


 魔人はみずからを奮い立たすように吼えると、その勢いのまま問いに答えた。


『ボクっちは契約を司る魔人、“ファーマル”だッ!! ――あああぁッ!!』


 その名を言い終えると同時に、魔人の喉から悲鳴がほとばしる。

 小さな体をくの字に折って空中で悶えたが、無様に落下したりはしなかった。


『ふーっ、ふー……!』


 先ほどよりも早く痛みから立ち直り、腹の下まで広がった紋を見下ろして魔人は奇妙な表情を浮かべる。


『あぁ……ほんとに、懐かしいくらい痛いや。でも我ながら、この美しい血には見惚れるね』

「……。では、早く全身を飾れば良いのでは?」

『よけーなお世話っ! 次、こっちの番!』


 どす黒い血が、魔人の小さな上着を染めていく。

 両腕を残してその上半身は“紋”に覆われ、痛々しい姿を晒していた。


 しかし魔人は、妙に興奮した様子で爛々と目を輝かせている。


『ふふん、そうだ――生意気なお前にぴったりの、いーい質問を思いついちゃった』

「それは楽しみですね」

『余裕顔もそこまでだよ、人間!』


 黒光りする長い爪をログレスに向け、魔人はにやにやと締まりのない顔で問う。



『お前が、最も“大事”にしている人間の名を挙げろ』


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