第7話 指輪を嵌めるだけの簡単なお仕事―2



「きゃっ!?」



 両足が地面を踏んだ時にエッドが聞いたのは、子犬が吠えるような小さな悲鳴だった。


「ぐっ――!」


 突っ込むように着地したらしく、さすがの元勇者でもその勢いに膝をつかざるを得なかった。

 続けざまに、いくつもの騒々しい音が木立のあいだを駆ける。


 柔らかいものが倒れ、擦れる音。

 金属質なものが茂みに放り出される音。


 やがてエッドは火傷のような痛みを額に感じ、驚いて目を開けた。


「って! あれ、なんで“痛い”んだ?」

「……あ、あの……」


 か細い声が聞こえ、エッドはうつむいた。


 地面にめり込みながら四つん這いになった自分の腕の間に、やけに白いものが横たわっている。

 友の転移術の名残か、その白と銀色の物体に視点をあわせるのには時間を要した。


「?」


 顔を近づけながら、エッドは視力が落ちた人間のように目を細めた。

 残像がひとつに重なるように、ゆっくりと詳細が見えてくる。


 草の上できらきらと光っているのは、銀細工のような長い髪。

 見慣れた法衣の袖から出ている細い腕は、新雪と同じ色をしていた。


 細い指は胸の上で組まれたまま、固まっている。エッドの影に入っているはずなのに、その翠玉の瞳は不思議と明るく輝いていた。


「あ……やあ。メリエール」


 いきなり目の前に転移し、さらに勢いあまって押し倒した場合に使える気の利いた言葉など見つからなかった。

 なるべく朗らかに微笑んだつもりだが、額の皮がやぶけている状態では効果は見込めないだろう。


「大丈夫か? 悪い、ぶつかっちゃって……。頭のうしろ、打ってないか」


 額の中央を小さく腫らした聖術師は、じっと自分を見上げたまま硬直している。

 エッドがすばやく視線を巡らすと、背負っていた彼女の長杖が茂みに引っかかっているのが確認できた。


 強大な神の気配は、嘘のように消え去っている。術者の集中が途切れ、霧散したのだろう。


「エッド……」


 透き通ったささやき声。


 役目を終えたはずの心臓がまたしても高鳴るのを感じ、エッドは声の主を見おろした。


 その表情を見た亡者は、思わず狼狽えた声をあげる。


「め、メル?」

「あの……わ……私……っ」


 彼女は、泣いていた。


 翠玉の瞳から、雨粒のような涙がこぼれている。疲弊し青白くなった頬に、わずかな朱がさしていた。乱れた髪がひと束、その濡れて光る頬に絡まっている――そんなことは気にも留めず、メリエールは唇を震わせた。


「私を、こ、殺しに……きたんでしょう?」

「え?」


 エッドは自分でも滑稽だと思われる声で訊きかえした。

 しかし聖術師は分かっていると言わんばかりに、わずかに頭を左右に振る。続いて形の良い眉を下げ、呟いた。


「と、当然のことです……。それがあなたの……み、“未練”なのでしょう」

「何を言ってるんだ?」


 顎が落ちないように努めながらも、エッドは呆気にとられていた。


 それほど彼女の目には、自分は危険な魔物に見えるのだろうか。


 今にもその細い喉笛に噛みつきそうな、獰猛な顔をしているのだろうか――エッドは笑うべきか悩んだが、どう受け取られるか恐ろしかったのでやめておいた。


「聞いてくれ。俺は君やログレスみたいに、“亡者”について詳しくはない。けど今、君を傷つけたいとか、ましてや殺したいなんて欠けらも思ってないよ」

「な……なら、どうして……?」


 当惑した、しかし美しい瞳で見上げられる。

 胃が浮きあがるような奇妙な心地がした。


「ええと――」


 思えば、こんなに近くで彼女と視線を交わしたことはない。つねに自分は最前列で、彼女は後方だった。

 しかも接近を許される場合には大抵、ロマンスにはほど遠い痛々しいお土産を抱えていた。


「俺は……」


 メリエールの元まで到達するという作戦しか立てていなかったので、エッドは言葉に詰まった。

 なにか伝えなければと脳を揺さぶるも、どうにも歯の浮いた言葉しか出てこない。


 そんなエッドを見かねたかのように、死装束の胸元から銀の光がこぼれる。

 蔦に通された小さな指輪が、みじかい邂逅の終わりを告げていた。


「……。渡したい物があるんだ」


 エッドは柔らかい地面にめり込んだ手を引きぬき、汚れた衣服の端で遠慮なく土をぬぐった。

 その手で首にかけた蔦を千切り、指輪を自由にする。


 聖術師はびくりと肩を震わせたが、大きな瞳で銀の輪をじっと見た。


「そ、それは……?」

「心配しなくていい」


 なるべく柔らかな口調でそう告げ、エッドは壊れものを扱うようにそっと白い手を持ちあげた。

 彼女の手に触れた瞬間、指先がたしかな熱に焦がされていくのを感じる。


 煙が立ちのぼるわけではなく、切りつけられるような痛み――彼女がまとう、聖なる魔力の影響である。


「……」


 エッドは思わず微笑んだ。

 “痛い”という感覚があまりにも懐かしく、遠いものとなってしまったことに気づいたからだった。


 それに――もっと痛い怪我なら、頭上の星よりも多く経験している。


「エッド……?」

「メリエール」


 痛みを気取られないようにしたい一心で、エッドは聖術師の呼びかけには応じなかった。

 間違っても彼女の手を傷つけないよう、集中しながらその細い指に指輪を近づける。


 メリエールの手は今や白熱しているのではないかと思えるほどの熱だったが、関係のない耳まで真っ赤になっていることに亡者は気づかなかった。


「あっ、あ、あの! ええ、え、エッド!?」

「大丈夫だから。俺を信じてくれ」


 見慣れぬ道具を警戒しているのだろうか。エッドは慌てふためく聖術師に今度こそ優しく笑いかけ、ちょうど良い太さである中指に指輪を押しこんだ。


 細い関節に引っかかることもなく、銀の輪は実になめらかに指を滑りおちる。

 元から身につけていたかのように付け根に収まり、煌めいた。


「あ……」


 親友の言ったとおり、指輪が青い光を発した瞬間にメリエールのまぶたが下がりはじめる。

 手をそっと腹部に戻し、エッドは身を起こした。


 こちらが離れたのを感じたのか、聖術師は最後の気力を振りしぼって手で空を掻く。


「え、エッド……」


 眠りに引き込まれていく彼女の脇に膝をついたエッドの脳裏を、ふと誰かの忠告がよぎった。



“……今度はきちんと、『処理』してきて下さいませ”



 その不満げな声に背中を押されるように、エッドの口は勝手に動いた。



「君が好きなんだ。メリエール」



 亡者の言葉が、聖術師の耳に届いたのかは分からなかった。


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