第8話 何者でもない朝に



 清々しい朝だった。


 静かに流れる小川のそばに建てられた小屋。

 傾いた屋根からつきだした煙突から一条の煙が立ちのぼり、朝餉の準備が進んでいることを示している。

 卵と燻製肉を一緒に炒めるすばらしい香りが、人気のない森へと吸いこまれていった。


「ふー。こんなもんか」


 たしかに、その森に“人気”はなかった。


 額をぬぐった手に汗がまったく付着してないのに気づき、ひとり肩をすくめたのは人ならざる者――“亡者”である。


「亡者ってのは、どうにも朝に弱いな。こんなに身体を動かしたってのに、ぼんやりする……」


 薪割りに使っていた斧を足元にうち立て、亡者の男はあくびをひとつ落とす。


「まあ、まだ生まれたての亡者なんだ。そういう不具合もあるか。……いや、生まれたてってのはさすがに変だな。もう死んでるし」


 その呟きに呆れたのか、近くの木から小鳥が飛びたつ。

 小さくなっていく羽ばたきを見送り、亡者――エッド・アーテルは晴れ渡った空に茶色の目を細めた。


「まぶし……。真夏でもないのに、亡者の目には染みるな」


 洞窟調査の後など、急に明るいところへ出る場合は警戒せねばなるまい。

 エッドは習慣からそんな心構えをしたが、すぐに皮肉な笑みを浮かべた――もう、そのような依頼が舞いこんでくることはないのだ。


「……」


 なにせ“勇者エッド”は仲間をかばい、その身体を真っ二つにして“果敢に散った”のだから。


「ん? ……この匂いは」


 爽やかな空気に混じるその異臭に、エッドは鼻を手で覆った。

 視力にくわえ、今や嗅覚も人間離れした進化を遂げている。


 匂いの元凶が目の前にある小屋だと気づき、エッドは駆け出した。


「おい、ログレス! 今、料理になにを入れたのか言ってみろ!」


 木の扉を蹴破らんばかりに開き、エッドは叫んだ。


 部屋の隅にある調理場にいた長身の男がふり向く。

 顔半分を厳重に覆った布の下から、くぐもった声が返ってきた。


「エッド。薪割りは済んだのですか」

「冬を越えられるくらいこしらえたぞ。で、手に持ったそれはなんだ」

荊蜥蜴ソーンサラマンダですが」


 まだぴくぴくと動くその黒い物体を鍋に放りこんだのは、友である闇術師ログレス・レザーフォルトだ。

 まるで塩で味を整えているとでも言わんばかりの表情に、エッドは頬が引きつるのを感じた。


「あー、まあそれが秘伝の隠し味だとしよう。じゃあ、そいつの前はなにを入れた?」

「千切りにした“首絞め草”の蔓を、少々」

「……。俺が小屋を出る前は、その怪しい鍋のほかに普通の食事があったと思うが」

「食べましたよ? これは無論、貴方の分です」


 エッドがなにから言い返そうか悩んでいる間に、また見慣れぬ食材が鍋に投下されてしまう。ごぼごぼと怪しげな音を立ててそれらは沈み、ごった煮状態の鍋をさらに満員にした。


 言葉にしがたい不条理な匂いに、エッドはうめいた。


「あのな……拾ってきた犬じゃないんだから、適当に作らないでくれよ」

「ええ、犬にはこんなもの遣りませんよ。しかし貴方は、立派な“亡者”ですから」


 どうにも噛み合わない会話だったが、エッドはあきらめの息をつくしかないと知っていた。料理にしろ魔力薬の調合にしろ、この男は制作に入ってしまえばやり終えるまでその場を離れない。


「なにせ貴方がなにを食べるのか、まったく未知なわけで」

「あ、そうだ! 亡者だから、腹減らないんだよな俺。うん、絶対そうだ」


 鍋をかき回していた杓子にねばねばした泡だつ液体が付着しているのを見、エッドは急いでそう主張してみる。

 重厚な鉄鍋で煮たつなぞの液体を熟成させていた友は、ちらと紅い目をエッドに向けた。


「遠慮せずとも良いのですよ。……力が出ないのでしょう? 生前の貴方ならあの程度の薪割り、もっと短時間でこなしていたはずです」

「う……。嵌めたな」


 ひと冬分の薪割りをした、とはさすがに誇張しすぎたのかもしれない。わずかな薪の山を思い出し、エッドは心中で舌打ちをした。

 どれほど力が残っているか、試されていたのだ。


「じゃ、じゃあさ。いつかみたいに小鬼でも操って、給仕させたらどうだ? 魔物の食事なんだし、うまくやってくれるかもしれないだろ」


 昨夜の聖気に満ちた森とは違い、少し距離を置いたこの森にはそれなりに弱い魔物がいる。

 しかし親友は気分を害したらしく、眉を寄せた。


「……人を安宿の支配人のように言わないでください。あれは使役術の研究と鍛錬です。傷つけませんし、報酬がわりに十分な魔力や好物を渡しています」


 その言葉に、エッドはバツが悪くなり頭を掻いた。

 薪割りみやげの木クズが数個、ぱらぱらと赤毛からすべり落ちる。


「悪かった、からかったわけじゃないんだ。ただお前も、ずいぶん疲れてるみたいだからさ。使役術どころか火をおこすのも手作業なんて、大闇術師の称号が泣くぞ」


 エッドはそう言い、調理場に転がっている火打ち石を指さす。

 闇術師は忌々しそうにその石を睨んだ。


「まったくです。しかし遺憾ながら、今はその肩書きは忘れることにしましょう」

「……本当に大丈夫か?」


 おどけた雰囲気を締め、エッドは真剣に問う。

 陽が差してきた室内に浮かびあがる親友の顔には、疲労の色が濃くあらわれていた。少し前に相見えた聖術師の青白い顔といい勝負である。


「少し、休んだらどうだ」


 追っ手を警戒しながら夜の森を進軍することが、どんなに身体を追いつめるか――死してもエッドは、それを忘れたわけではない。


「いいえ……。胃が許すだけ食べましたし、少しは眠りましたから」

「すまん。疲労の大部分は、俺を使役しているせいなんだろ?」


 エッドの言葉に、ログレスは骨ばった胴衣の肩をすくめてみせる。


「使役術の仕組みは、対象の魔力をおさえ込むことですから。貴方は基礎魔力が無駄に高いので、こうして苦労させられているというわけです」

「そうか。いや、本当に恩にきるよ。お陰で……」


 人を、襲いたいと思わなくて済む。


 その言葉は、エッドの喉元で自然と溶けてしまった。

 聖堂の階段でこちらを見上げ固まっていた、若い聖術師の姿が脳裏に浮かぶ。


 恐れと嫌悪の混じった瞳。

 命をおびやかす存在に慄き、震える足。


 その様子を見た自分がどんな感情を抱いたかは、まだ記憶に新しい。


「……」


 調薬に使う丈夫なすず製の器をとり出しながら、術師は静かに言った。


「落ち込むことはありません。彼等は――亡者は皆、そうなのです」

「……」

「それは自由にならない身体に宿る、強い“未練”がさせる現象であると僕は考えています。しかし貴方は勇者らしく、強固な意思を保持しました。乾杯に値します」

「ありがとう、ログ」


 部屋の中央にあるテーブルに着き、ログレスは厳かにうなずいた。


「どうぞ」


 友は分厚い手袋越しに、不自然なほど明るい色の液体で満たされた器をぐいと押しやる。

 向かいに腰かけたエッドは同じ距離だけ上半身をうしろに反らしたが、なんとか礼儀正しく笑んだ。


「乾杯ってのは、二人でやるもんだろ?」

「信仰上、決められた食物しか口にできませんので」

「そんなに信心深かったとは初耳だな」


 得体のしれない一品でも、作ってくれたものをそのまま突き返すのは気がひける。

 エッドは器の中で渦まく液体を見つめた――底のほうで、なにかがまだ動いている。


「それで。これからどうするのです」

「これからって?」

 

 “祝杯”から話題が逸れたことに安堵し、エッドは喜んで仲間に向き直った。

 しかしその目が真正面から自分を捉えていることを知り、ぎょっとする。


「な、なんだよ」

「惚けないでください。貴方の“未練”についての話です」

「へえ、俺の“未練”って?」


 無邪気をよそおって訊き返すと、闇術師は平然と言いはなった。



「もちろん――貴方が、メリエールに結婚を申し込んだことについてです」


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