第9話 中指の意味



「ぶふっふぁ!?」



 飲料を口にしてもないのに、エッドは盛大にむせ返った。

 げっほげっほと机に手をついて苦しみ、向かいの親友を睨む。


「お、俺がいつ、彼女にけっ、け、結婚なんか――! というかお前、あの時近くになんかいなかったじゃないか!」


 あわてふためくエッドに、ログレスは無表情で首を傾げる。


「おや。亡者の脳には、記憶を蓄積する機関が存在しないのですかね。ならば、教えてさし上げましょう」

「ぜひ聞かせてほしいね、大闇術師さま」

「解は、連携のため戦闘中は常に発動させている“伝達術”にあります」

「いつもそうだろ」


 シュメンデルとわたり合えたのも、あの魔術の助けがあったからだ。


「でもあれは、なんでもかんでも伝えるものじゃないだろ? 俺だって、自分の思念を閉じるくらいできる」


 困惑しつつも、エッドはおぼろげな知識をかき集めた。


 術師ではないエッドだが、皆に指令を発する役割上それは苦労して会得したのである。

 なにを隠そう、目の前の闇術師に師事を受けたのだ――その“師”は、可笑しそうに紅い目を細めた。


「ええ……貴方はなかなか、この術を使いこなしています。けれどあまりに強い思念というのはまれに、意志の力を超えてしまうことがある。そしてそれは、付近の術師へと伝播でんぱします」

「そんなことがあるのか!? てことは、俺がメルに指輪を渡した時のこと……」


 空気を求める魚のように口をぱくぱくさせているエッドに、親友はわずかに口の端を持ちあげた。


「――不可抗力ながら」

「うわああぁ! き、記憶を消す術かけろっ! 今すぐに!」

「残念ながら、そのような都合のいい術は存在しません」


 無情な宣告にエッドはうめき、机に突っ伏して頭をかかえた。

 まだ血が通っていれば、茹で海老のように耳を赤く染めあげていただろう。


 しばらく悶えたあと、エッドはハッと重要なことを思い出して赤毛頭を跳ねあげた。


「そ、そうだ――指っ!」

「指?」

「ああ、俺は彼女の“中指”に指輪を嵌めたんだ! たしかそうだ、うん。じゃあ、結婚の申し出をしたとは言えないよな? だって普通は薬指だ!」


 抜け道を見つけて安堵したエッドだったが、術師が明らかに不穏な微笑をたたえているのを目にして凍りついた。


「いいえ。聖術師が婚姻の誓いとして指輪を賜るのは、中指です」

「え……」

「それは彼らが普段は祝福をさずける側にあり、神の世界の理に従っているからで――」

「あああ分かった! 俺がものっすごく直球に結婚を申し込んだことはわかった!!」


 より恥ずかしさが極まる説明をさえぎり、エッドは一心に天井を仰いだ。

 ゆったりと腰かけている友が追い討ちをかけてこないことを確認し、ぼそぼそと尋ねる。


「けどな……あ、“愛してる”とは言わなかったぞ? 伝わったかどうか」

「然るべき場所に指輪をおさめ、想いを告白したのです。表現は関係ないと思いますね」

「うん……ですよね……」


 ログレスの淡々とした回答に、エッドは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

 親友は眉をひそめ、先ほどの厳しい様子に戻って問う。


「……エッド。まさか、あれは本心から言ったのではなかったと――」

「い、いや違う!」


 あまりに勢いよく立ちあがったので、椅子が盛大に床へと倒れた。

 錫の器から怪しげな液体がしたたり落ち、机にふれた部分が細く煙をあげる。

 その異様な光景には目もくれず、エッドは拳を握って叫んだ。


「ふざけて言ったんじゃない! 俺は――!」

「なら問題はありません。本当の問題は、これからの行動です」


 あっさりと調子を戻した友には拍子抜けしたが、エッドは椅子を引きあげて座った。


「亡者は、自分の“未練”に正直です。崩れゆく身体では、ほかのことを思案する余地がないのでしょう」

「だから目的達成のために、遭遇した他人を排除しようとするのか?」

「おそらく。その証拠に、こちらが身を引けば彼等は追ってきません」

「言われてみれば……」


 ログレスの指摘どおり、エッドの記憶にある亡者たちはほかの魔物にはない行動をとっていた――皆一様にどこか遠くを見つめ、こちらが視界から消えればふらふらと歩き去っていくのである。


「しかし貴方は、いまだに高い思考能力を保っている。だからこそ、自分の“未練”が見えにくいのかもしれませんね」

「あれこれ考える亡者か。優秀なんだか、出来そこないなんだか」


 友は食事により少し血色がもどった指を組み、エッドを見た。


「幸運とも、不運とも言えるでしょうね。なにせ、己の目的すらわからないのですから」

「だな」

「しかし少なくとも、あなたの“未練”がメリエールに起因していることは昨夜で分かりました。生前は伝えられなかった想いを、ためらうことなく口にしたのがその証拠です」

「ああ、うん……そうだな。というかお前、驚かないのか?」


 秘めていた恋慕が筒ぬけであるという恥ずかしさから逃れるため、エッドは口をはさんだ。


「つまりだ……知ってたのか? 俺が生前から、メルのことをどう思っていたか」

「パーティーで知らなかったのは当人たちだけ、と伝えておきましょう。もっとも僕は“こういうこと”に関して知識不足の部分がありますので、指摘を受けた側ですが」

「だっ、誰から!?」


 前のめりになって追求するエッドをかわし、友は懐かしむように告白した。


「人間関係の把握については、リーダーの貴方よりもずっと上手でしたね、彼は。そして常は胡桃くるみのように口の堅い拳闘士も……酒の前では多少、饒舌になるものです」

「グルゲイルうぅ!」


 またしても親切そうな笑みを浮かべているひげ男が、エッドの頭の中で手を太い手をふった。

 ということはもちろん、ほかの面子も知っているのだろう。


 エッドは机の木目を一心に数え、心を落ちつけた。


「……そ、それで……メルは、その……」

「意中の相手がいるか、ですか?」

「いや! あ、あくまで、今後の作戦に必要な情報としてだな」


 エッドの問いに、仲間は同情の色を滲ませた声で答えた。


「残念ですが、それは彼女の個人的な情報ですので詮索できませんね」

「……。なあ、俺の情報の価値は?」

「さて、話を戻しましょう」


 エッドの哀れな問いを無視し、ログレスは場を仕切りなおして話を進める。


「貴方の“未練”には、メリエールが関わっている。けれど貴方は亡者で、彼女は亡者を滅する使命を帯びし者……。現状では、ゆっくりと話をするのも難しいでしょう」

「まあ、街の広場でお茶というわけにはいかないよな」


 明るい太陽のもと、小洒落た食事をかこんで和やかに会話する男女。


 ひとりは徳の高い法衣に身を包んだ美しい聖術師であり、その相手は灰色のおぞましい皮膚をもつ男――。


 そんな奇怪な場面が頭に浮かび、エッドは重いため息をつくしかなかった。


「……そもそもメルは今、どこに居るんだろう?」

「あの巨神の出所は、街から見ても分かるでしょう。聖堂の者たちに運ばれ、まだシュアーナの街で休んでいるかと」

「だといいが」

「あれだけの魔力を行使した後です。指輪を使っても、回復には時間がかかるかもしれません」


 清潔な寝床に横たわるメリエールと、その中指に輝く指輪。


 目が覚めた時、彼女はそれを見てどう思うのだろう。

 森で意識を失う前、どこまで聞いていたのだろうか――。エッドはまた自分がしでかした事実を思い出し、埃っぽい床を転がりたくなった。


 水面下で必死にその衝動をおさえながら、さりげなく訊く。


「俺たちがここに居るっていうのは、分からないよな?」

「だと思いますよ。同志たちが造りしこの小屋に近寄る人間は、滅多にいませんから」


 憩いをもとめる者には、その影を踏むことで応える――闇術師でないと発見すら難しいというこの小屋は、エッドたちにとって実にありがたい存在だった。


 感心している亡者を置いて、ログレスは現実的な未来に目を向けている。


「我々の行動目的は目下――貴方とメリエールの対話を実現することです」

「だから、それが難しいって話なんだろ」


 やっと静かになった器を眺めながら、エッドはどこか投げやりな口調で言った。

 皮が焼けたままの赤黒い額で、どうやって聖術師たちが集まる聖堂を訪ねろというのだ。


「もちろん、礼儀ただしく聖堂を訪ねるのが一番でしょう。なにせ相手は、敬虔な淑女なのですから」

「じゃ、まずは王都へ戻って一張羅を仕立てないとな。こんな死装束じゃ、お茶にも誘えやしない」


 生真面目に語る親友に、エッドは腕を広げてみせた。

 死装束はいまや、本来の色を忘れてしまったかのようにうす汚れている。じろじろとそれを検分し、ログレスは相変わらずの口調で呟いた。


「着飾りたいのも理解できます。しかし、メルがあの聖堂にいる間に行動を起こさねばなりません。パーティーが解散したことが広まれば、彼女は忙しくなります」

「ああ。メルならきっと、引く手数あまただろうな。結構なことだ」


 ほどなく彼女のもとへ、パーティーへの勧誘が山と押し寄せるだろう。それほどの人材を確保していたことにエッドは誇らしさを感じたが、見知らぬ仲間の元へ旅立つ姿を想像すると心が波立った。


「……」


 ふくれあがった昏い心を、拳に爪を食い込ませてやり過ごす。

 友はそれを知ってか知らずか、紅い目をするどく光らせて言った。


「急がねばなりません。これは、そう……緊急事態なのです」

「お前、さっきから変だぞ。言いたいことがあるなら、いつもみたいにズバっと言えよ」

「それもそうですね。では、誘拐しましょう」

「ああ、誘拐か。なんだ、そんなこと――」


 凍結した大気を吸いこんだかのごとく、エッドは言葉を詰まらせる。

 

 今――なにか、物騒な言葉が耳にはいったような。



「簡単です。礼儀ただしく、聖堂から彼女を拐えばいいのですよ」



 その提案に同意の手を挙げるかのように、器の底からごぼぼと泡が立ちのぼった。


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