第66話 問う者と問われる者―1
荒野を渡る乾いた風をはさんで、魔人と人間の男が対峙している。
『んじゃ、はじめよっか? まず、ボクっちからね』
「仰せのままに」
人間の術師――ログレスの丁寧な返答に、魔人ファーマルは尊大に笑む。
宙であぐらを組むと、機嫌よく言った。
『そうだなぁ……じゃ、古代ニーム文字の三十二番目はなに?』
「“ト・ゥク”」
『おーっ! 発音も完璧!』
愉快そうに手をたたく様子からして、正解らしい。
解答者の後方で、エッドはひとり胸を撫でおろした。小手調べの問いだったのだろう、魔人の顔に悔しそうな表情は浮かんでいない。
「では僕から……。“無限の底に在るもの”とは?」
『懐かしいなぞなぞ知ってるね、お前。でも答えは、“底なし”でしょ?』
「その通り」
けたけたと笑い、魔人は膨らんだ腹を揺らす。
長い舌でぺろりと唇を舐めると、次の問いを発した。
『どんどんいくよ。迷子の羊を導く星は、どこにある?』
「……夏の空、南東。“漁師の銛座”の左下に」
『ふーむ、正解!』
顎に手を添えてうなずいた魔人は、少し目を丸くして不思議そうに訊いた。
『お前、そんな
「……次はこちらの質問です」
『ちえ、つまんないの。楽しくいこうよぉ』
親しげに提案する魔人を無視し、闇術師はぼそりと問う。
「冥府への入り口は何処にある?」
『んなもん、お前らの足元にいつでも開いてんでしょー』
面倒くさそうに答えた魔人に、ログレスは正解の意を示す。
驚いて足元を見たエッドだったが、乾いた赤土のほかには何も発見できなかった。
『ニーム神殿の柱に刻まれていた言葉はなに?』
「“此れを読み解きし者、汝の舌を切るべし”」
『正解。ね、名言だと思わない? ボクっちが彫ったんだよ! おかげで神官どもが次々と舌を切り出しちゃって、柱の下にでっかい血の池ができたぐらいさ』
「……」
得意げに胸を張る魔人を見上げ、闇術師は肩をすくめる。
石造りの床に広がった血だまりを想像し、エッドは気分が悪くなった。
「次へ進みます。――
『もちろん、蒼鈴石。知らなくたって、あの真っ青な色を見りゃわかるでしょ。質問をひとつ、ムダしたねえ』
バカにするように笑い、魔人ファーマルは人間を見下ろす。
今の問答なら、エッドにも答えることができただろう――そもそも、二択を問うこと自体がもったいない。エッドはさすがに声を挟んだ。
「ログ、もっと難しい問題はないのか?」
『わわっ、亡者にまで心配されてるよ。大丈夫ぅ、闇術師さん? もっと簡単なやつにしてあげよっか?』
「……。次は、そちらが問う側です」
“問答”の掛け合いは、エッドの予想よりもはるかに長く続いた。
『“
「“柘榴”、“山羊の蹄”、“金星”、“繭”、“崩れた橋”」
魔人は術や魔法の知識を問うこともあれば、エッドには理解できない古代の謎かけや冗談の類も好んで使うことも多かった。
『竜と人間、それから“鬼火”。いっちばん無駄なのはなに?』
「“汝の口”」
『んんん! 渋いねえ』
たいしてログレスの質問は、質素なものである。
「人間が田畑を耕すために使う道具をふたつ、挙げてください」
『ふふーん、もちろん知ってるよ。“ベルシャン”と“コペク”でしょ』
「……お見事」
親友の膨大な知識をもってすれば、常人では手も足も出ないような難問を作り出せるだろうとエッドは期待していた。
しかし実際は簡単な内容のものが多く、時にはまるで村の幼子に出すような他愛のない“なぞなぞ”さえあった。
「葉っぱ、若りんご、
『え、ぶどう酒でしょ。赤いんだし』
「仰るとおり」
「おいおい……」
魔人は正解すればそれでご満悦のようだったが、見守っている側のエッドとしては気が気ではない。
忍んでも意味はないが、こそりと背後から友に声をかける。
「ログレス。その――まだ難題は思いつかないのか?」
黒いフードに覆われた頭は、前方を見据えたまま微動だにしない。
「……貴方には、質問する権利がないはずですが」
「でもな……あんまり舐めた質問ばかりしてると、魔人を怒らせるんじゃないか?」
大きな耳は見た目どおり、聴覚が優れているらしい。
エッドの忠告に、魔人はみずから答えた。
『ボクっちなら、だいじょーぶだよ? 確かにカンタンだけど、ちょっと新鮮で面白いしねえ。あっ――もしかして、人間の生活に関することなら足元すくえるかもって思ってんの?』
「……それは質問ですか?」
事務的な闇術師の声に、ファーマルは大きなあくびをひとつ落とす。
『んーん。ただの興味。でも、そんな打算はムダってことは言っとくよ。ボクっちは契約書に入る前はほうぼう飛び回って、人間世界を見てきたからねえ。そっち方面の知識も豊富なのさあ』
「だってよ。あちらさんは、自信ありだそうだぞ」
この魔人の予測は、あながち外れていないのではないかとエッドは思った。
たしかにログレスの知識は、通常の人間よりも多く蓄積されている。しかし今回の相手は、長寿を誇る魔人なのである。
いや、そもそも寿命などに縛られず、この世がはじまった時からの事象や知識を知っているとすれば――。
「どうしました。顔色が悪いですよ、エッド」
「元々だ! それよりお前、本当に――?」
心配そうなエッドの声に、友はわずかにふり向く。
フードの端は頬の血が付着して赤黒く固まっていたが、その向こうから返ってくる声は落ち着き払っていた。
「退屈でしたか? ではお望み通り、これから難問を吹っ掛けるといたしましょう」
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