第65話 奴隷問答がはじまるよ



「“奴隷問答”……?」



 どう聞いても不穏な言葉に、エッドは眉を寄せる。


 空中をただよう魔人は上機嫌に回転し、南方部族のものらしい宝飾品を鳴らす――人骨のような素材の腕輪が見えた気がした。


『そ。我が故郷では、部族同士の領地とりに行う儀式だよ。この荒野を見てるとなんだか懐かしくって、久々に遊んでみたくなったのさあ』

「く……!」

「ログ!?」


 魔人の説明が終わったとたん、手で顔を覆ってうめいた友にエッドは駆け寄った。


「どうやら……こちらに拒否権は無いようですね」

「お前、その顔――!」


 ログレスの顔には、見慣れぬ模様が浮き出していた。

 左の頬から這い出るように出現したその“紋”は、魔人の服に施されている刺繍に酷似している。美しくも、どこか禍々しい流線――


 見えざる手で荒く刻まれたようなその紋から、じわりと滲んだ血が頬を伝った。


「……」

『面白くないなあ、顔色ひとつ変えないなんて。まあお前が“問答”を無事に切り抜けたら、綺麗さっぱり消えるから。がんばりなよ、人間』


 そう言って嗤う魔人の小さな鼻の上にも、同じ紋が浮き出ている。

 黒に近い紫色の血がしたたり落ちたが、魔人はそれを美味そうに舐めとった。


「ログ、その“問答”ってのは」


 エッドが急いで訊くと、忌々しそうな声で友が答える。


「……南の部族に伝わる、古い“取り決め”――とも言いましょうか。高位存在が介入する、人間には不可避の魔法の一種です」

「魔法?」


 黒い愛杖を腰のホルダーに戻し、ログレスは諦めたように息を落とした。敵前でそのような行動をとる友をはじめて目にし、エッドは面食らう。


「ええ……。契約のもと選出された二人が、互いに問答をします。解を誤ると“奴隷の紋”が広がっていき……全身に至ると、その者に死か隷属かを強いることができるというものです」

「なんだよ、それ! だってお前、いつ“契約”なんて――」


 話が一方的すぎると憤慨したエッドだったが、その答えは魔人から返ってきた。


『いちおう自己紹介をしておくとね、亡者。ボクっちは、契約を司る魔人なんだ。お前ら“契約やぶり”に、どんな罰を与えるかを決める権限がある。だから“奴隷問答”の場に引きずり出すことなんて、朝飯前なのさ。……そうでなくても』


 魔人が声を低くすると同時に、巨大な魔力の波が場を満たす。

 魔物の肌でその気配を感じたエッドは、無意識に半歩下がった。


『ボクっちがやれと言ったらやるのが――ちっぽけな人間のできる、唯一の選択だろ?』

「……!」


 饒舌に喋る魔人の顔には、歪んだ笑みが張りめぐらされている。


『そう。邪魔するんじゃないよ、半端者。この儀式から逃れる術はないんだ。無様に背を見せ逃亡でもしたら、紋が一気に広がって奴隷になるからね。ま、そんな臆病者ならそもそも“要らない”けど』

「な……!」


 あまりにも理不尽な内容にエッドは身を乗り出したが、小さな手をひらひらと振って魔人は親しげに言った。


『あぁ、でも心配しないで。ボクっちは昔っから、奴隷の扱いがとーっても優しいんだ!』


 まるで入手が約束された玩具を見るような目つきで、闇術師を見下ろす。


『お前は人間のわりに魔力がたくさん詰まってるみたいだから、二百年くらいかけてゆっくり使ってあげる。からっからになったら、そうだな……新しい腕輪でも作ろうかなぁ?』


 小さな人骨をつないで作ったらしい飴色の腕輪を撫で、ファーマルは大きな口を横に広げた。エッドは剣の柄を握る手に力を込めたが、隣から静かな声があがる。


「……構いません。エッド」


 いまだ薄く滲む血を胴衣の袖でぬぐい、ログレスはエッドの前に進み出た。

 いつもは後方に控えている術師が自分より前に位置しているのは、どこか不思議な気分である。


「ログレス――」

「元より……こうなれば魔人の言葉通り問答を突破するしか、この場を切り抜ける方法はないでしょう」


 友の横顔を走る赤黒い流線が目に入り、エッドは力なく愛剣を収める。

 もちろん歯痒さはあったが、喚いても事態は好転しないだろう。


「……心配せずとも、僕とて易々と魔人の腕輪に成りさがるつもりはありません」

「当たり前だろ。けど、勝算はあるのか? 相手は長生きしてる魔人なんだぞ」

「長寿であることだけが叡智の仕組みというならば、こちらに勝算はないでしょうね」


 相変わらずの回りくどい言葉に、エッドは首を傾げる。

 視線だけでそれを確認したらしい闇術師は、わずかに口の端を持ちあげて言った。


「ですが――刹那の中に解を見出すこともまた、“勝機”と言えるでしょう」


 その真の意図は、自分に理解できるはずもない。


 しかし友が戦うというのなら、信じてその背を守ることが自分の役目というものだろう。エッドはうなずいて、灰色の腕を組んだ。



「分かった、お前に任せる――あの小憎たらしい魔人を、黙らせてやれ」

「承知しました」



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