第64話 雷ミミズを釣りあげろ



 魔人が手を地面に振りかざすと、呼びかけに応じるように紫の雷が招来された。


「地面から、雷だって!?」


 地中から飛び出したそのうねりは、まるで大蛇のようである。

 細い光線のすべてが一体となり、迷わずエッドめがけて押し寄せてきた。


『それそれ、それぇっ! 這え、踊れっ!』 


 現役時のパーティーにいた魔法術師ニータも、このような“魔法”を使っていた。

 小難しい詠唱もほとんどなく、強力な自然の加護をすぐさま行使できる魔法――まさに、言葉通りの現象である。


 なにより、剣士であるエッドとは非常に相性が悪い。


(ログ、あいつ――なんて言ったんだ? 聞いたことない魔法だぞ)


 魔人に筒抜けという点を加味しても、轟音の最中にある戦場ではやはり伝達術に頼るのが早い。エッドの思念に、友も今度は遅れなく答えた。


(“マ・ダラガ”――古代ニーム語です。紫ミミズ、といった意味でしょうか)

(……どうりで、抱きしめたくなるような可愛さなわけだ!)


 そんなやり取りをする間にも、エッドの背後には無数の大穴が作られつつある。

 厄介なのは、一見“雷の束”としか思えないその紫の巨体が、硬い地面になんの苦もなく潜ることであった。

 確かに“ミミズ”らしい行動だが、不思議なことに地面の下にいることで速さを増すらしい。


「またかっ!」


 足元の土が不意に膨らむのを見、エッドはうめいた。こちらの足音か、魔力を感じ取っているのだろう。

 盛りあがった赤土がはじける寸前、ブーツの裏で膨らみを突きエッドは真横に跳んだ。


「っ!」


 次の瞬間、古代魔法が大口を開けてエッドがいた地面の下から飛び出してくる。

 赤い砂塵を巻きあげながらごろごろと亡者は転がり、休む間もなく立ち上がって走り始めた。


「ぐっ――! こりゃ、さすがに“息が上がる”な!」


 皮肉には興味を示さず、“紫ミミズ”の長い姿は地上から消えた。


 悔しいことに、エッドは地中を泳ぐ魔力を探し当てる技術を持っていない。足を止め、集中すれば可能かもしれないが――もちろん敵も、そこまでの恩情をかけてはくれないだろう。


『うっひゃはは! いいぞいいぞ、亡者っ! 砂漠ネズミみたいに、もっと走れえっ!』


 亡者の動体視力がなければ、すでにどこかの穴の中で焼け焦げていたかもしれない。どのような原理の魔法なのかは分からないが、エッドにできるのは回避し続けることのみである。


「くっ――疲れはしないが、なんか屈辱を感じる……!」

(エッド)

「!」


 飛び込んできた思念に、足を止めずにエッドは仲間を見る。

 安定しない視界の中、ログレスの杖腕ではない手がさりげなく天を指しているのが確認できた。


 あの仕草も、パーティー内で使われていたサインである。

 意味は――“真上に跳べ”。


「了解っ!」

『お?』


 脚にありったけの力を込め、エッドは赤土を蹴った。


 わずかな間を空け、追って“紫ミミズ”が地中から顔を出す。

 獲物が中空高くにいることを認めるとその巨体をぐっと縮め、砂埃をあげてバネのように飛び上がった。


 エッドの足の下で、巨大な口ががばっと開くのが見えた。


 鋭い歯や、ぬらぬらとした舌はない――あるのは、熱波のような光の渦だけだ。


『地面での追いかけっこは飽きたかい? でも馬鹿だなあ、空中じゃ避けらんないだろ』

「……ええ。しかし、彼は魚を釣り上げるただの餌です」


 その静かな声と共に、エッドは亡者の肌に心地よい闇の冷気に包まれる。

 視界を覆っていた紫の光と赤い荒野が混ざりあい、すべてが一瞬で暗闇に押し込まれた――“転移”だ。



『滅びの亀裂に栄えし空漠たるうつろよ。果てなき臓腑を以て、賢愚のすべてを灰燼かいじんに帰せ――“虚無の門ヴォイド・ゲート”』



 別の闇術の詠唱がエッドの耳を打つと、ぱっと視界が開ける。同時に、両足がしっかりと地面を捉えた。どうやら、今回は安全に地上まで送り届けてくれたようである。


「!」


 術はどうなったのかと空を見上げたエッドだったが、その不可思議な光景にさすがに言葉を失う。


「な……」


 宙に、不自然な“裂け目”が走っていた。


 子供が裂いた布地のようないびつな空間に、“紫ミミズ”が頭から突っ込んでいる。尻尾らしき雷の束を振ってもがいていたが、やがてその巨体はいく筋もの光線ごと裂け目に呑み込まれていった。


 何事もなかったかのように広がる青空を見上げ、エッドは隣の仲間に訊く。


「ログレス、今のは……?」

「貴方を転移させ、その場所に闇の属性門――すなわち“虚無の門”を開きました。現世とは違い、ひとつの属性だけが渦巻く亜空間です」

「なんで、あいつの古代魔法が吸い込まれていったんだ?」


 エッドが魔法から逃げ回っている間に用意したらしい“黒の教典”のページを閉じ、ログレスは相対者を見上げながら答える。


「……吸い込まれたのではなく、あの魔法がみずから飛び込んでいったのですよ。より潤沢な、闇の気配を察知して」

『へえ! やるじゃないか、人間のくせに。ボクっちの魔法の構造を、こんなに早く見破るなんてね』


 大きな目をさらに丸くし、魔人は楽しそうに手を打った。

 今ひとつ話が呑み込めないエッドは、剣を構えたまま友に問う。


「恐ろしい雷ミミズをおびき寄せた“餌役”に、もっと説明があってしかるべきじゃないか?」

「……あれは、自然現象における“雷”ではありません。雨雲ひとつないこの乾いた地でも形成でき、地中に多く分布する力――それらを、魔人の魔力で束ねたものです」

「えーと、つまり?」


 赤土を見下ろし、ログレスはなにかを思い出すように頷いて答える。


「この地方の土に多く含まれる鉱石――“紫灰石アメシスタイト”。冥府の魔人や我々が操る“闇”の力とは、実に相性の良い石だそうですね」

『ほおーぉ、大正解! ま、お前らがなんて呼んでるかはどうでもいいけど』


 なぜかさらに嬉しそうに回転し、魔人ファーマルは腹をさすった。 


「術師をおいて、闇の力の塊である“亡者エッド”だけを狙うこと――それはまさに、ミミズと同じく視力に頼らない生態を表しています」

『ふむふむ』

「さらに、かの鉱石が多量に含まれる地中では、術での捕捉が難しいほど俊敏となる。ですから“餌”を追って完全に姿を現した瞬間を狙い、そこに“より魅力的な餌”を提示してみせた――やったのは、ただそれだけです」

「……お役に立てたようで、何よりだよ」


 肩をすくめたエッドに、友は厳かに頷いた。


「ええ。ミミズとは、なかなか言い得て妙です」

「そこかよ!」

『でしょー? そこかしこにやたらイイ感じの石が埋まってるから、即興で組んでみた魔法だったけど……ま、こんなもんか。露天の踊り子くらいには、楽しめたでしょぉ』


 にやにやと嫌らしい笑みを浮かべる魔人を一瞥し、エッドは最後の問いを仲間に投げる。


「ところでお前、いつから地質の専門家になったんだ?」

「……港町の服飾店で、光りものに目がないとある“宝石犬鬼”が教えてくれたのですよ」

『へえ! そりゃあ、珍しいこともあったもんだ。ボクっち、そいつとは気が合いそうだなあ。紹介してくんない?』

「……」


 闇術師の紅い瞳がするどく輝いたのを見、魔人は首を傾げる。


『なんだよ、ケチ。……でも、今日は気分が良いや。いつもは人間なんか一発で吹き飛んじゃうけど、お前らはちょっとだけ“丈夫”みたいだし。こっちも楽しいよ』

「そりゃどうも。上等の供物になれそうか?」


 エッドの言葉の意図を汲まず、魔人は素直にうなずいて目を輝かせた。


『うんうんっ! きっと、セリュン様もお喜びに――あ、そっか!』

「な、なんだよ」

『上等なモノは、“良い状態”で捧げたほうがもっと良いに決まってるよねぇ?』


 名案を思いついたらしい魔人は、最上の笑みを紫色の顔に浮かべる。

 大きく横に裂けたその口は、亡者であるエッドの首筋すら粟立てた。


『お前らを肉塊にすんのは止めだ! 生きたまま捕まえて、献上しようっと』

「……我々がおとなしく大皿の上に歩いていき、寝そべるとでも?」


 ログレスの言葉に、妙な想像をしたエッドは顔をしかめる。

 残忍な顔をした巨大な女神が、皿上の自分にフォークを振りおろしている――


『そうしてくれると嬉しいんだけどなぁ。ま、さすがに都合よすぎだよね』


 長い爪を小さな顎に添え、魔人は無邪気に小首を傾げる。



『だからさ――勝負してあげる』

「勝負?」



 エッドの疑問に、ファーマルはますます冷たい笑みを広げて答える。

 

 その舐めるような視線は、エッドの脇を通過して後方へと飛んだ。



『喜べ、そこの闇術師! “深淵の知恵者”ファーマルが、その小さな脳みそを駆使できる機会をあげるよ――ボクっちと、“奴隷問答”に興じろ』



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る