第5話 白き友はお茶しない―2



「メル!?」


 聖堂であの若者に落とされた細い雷とは、次元が違う。

 それほどに強大な力が、彼女から発せられていた。


 風もないのに波うつその銀髪は、いまや夕陽よりもまぶしく輝いている。

 

『堕ちし息子に父は言った。眠れ――すべてが夢幻に還らんと。息子は泥のゆりかごの中で……』


 亡者の本能がそうさせるのか、エッドの足はじりじりと勝手に後退をはじめている。


「な、なんだ? あれは、詠唱なのか」

「エッド! 逃げますよ!」


 迷わず胴衣を翻した闇術師に、エッドは面食らう。

 しかし彼女に集まりつつある力を感じ取り、友にならって駆け出した。


「ログ! あの聖術は」

「最早、術というのかどうか」


 脚力の差からすぐに追いつき、エッドは闇術師と並んで走る。

 ログレスは珍しく、硬い声になって続けた。


「あれはおそらく、高位聖術の一種……“聖典顕現”でしょう。聖典の一節を読みあげ、記されている通りの現象を起こすという――俗にいう、奇跡ですね」

「な!? そ、そんなこと」

「僕もはじめて目にしました。成る程、杖など要らぬわけです……その身に、神の奇跡を降ろすのですから」


 感心したような、どこか悔しそうな声。

 こんな状況でなければ、からかいのひとつでも言っていたかもしれない。


道に這いでた木の根をそろって飛び越えたあと、ログレスはちらと背後を見る。


「幸いながら、読み上げには時間がかかるはずです。なにせ、馬鹿みたいに一節が長いですから。しかしあの章――“モルダの帰還”は、貴方にとって楽しい内容ではありません」

「お前、聖典なんて読んだことあるんだな」


 話の腰を折られたと思ったのか、ログレスはじろりとエッドを睨む。それでも倒れた古木を回り込みながら、忌々しそうに答えた。


「学術院の教程で、貴方も読んだはずですが」

「そうだったか?」

「僕は、一度読んだ物は忘れないのです。たとえどんなに、不快な内容でも」

「ああ、俺よりも罰するべきはこの男なんじゃないでしょうか、神よ!」


 こちらの冗談は許されないらしく、エッドは冬の泉のような視線を浴びることになった。


「とにかく、この森の聖なる力がメルに味方するのは明らかです。彼女のことなので、もう森を結界で覆っているかもしれませんが……」

「そりゃまずいな。亡者の俺なんかが触ればおしまいだぞ」


 驚いたリスを跳びこえて疾走しつつ、エッドは焦りの声をあげる。


「……侮らないでいただきたいですね。貴方ひとりが通れる穴を穿つことくらい、できるはずです」

「聖術師の結界を壊すってことか!? そんなことしたら、お前」


 目を見張ったエッドに、闇術師はどこか反抗的な笑みをたたえた。


「聖堂に対する反逆者、でしょうね。まあ、今とたいして変わりませんよ」


 親友の型やぶりな計画に、エッドはかける言葉が見つからなかった。


 聖堂にとって闇術師はたんなる嫌われ者に過ぎないが、反逆者となると話はちがう。

 人相書きが出回り、どんな辺境にも安息の地はなくなるだろう。


 たとえそれが――故郷のちいさな村であっても。


「ログ……」


 複雑な事情があり、この男にはもう家族がいない。

 しかし気の良い自分の両親は、息子同然に接してきたのだ。悲しみに暮れる二人の顔を思い描き、エッドは頭を振った。


「いや、やっぱりダメだ。人間のお前なら、そのまま結界を通れるだろ? 俺は、別の道を――」

「さあ、どうでしょうね。彼女は聖堂に、僕ごと捕らえてくるよう言われていると思いますよ」

「対人用結界だってのか? まさか、そこまでは」

「メルでなくとも、聖堂の術師たちが行動を起こしているかと」


 その忠告の直後だった。

 木立の切れ目が見え、エッドは足を止める――いや、止めざるを得なかった。

 “それ”は一見、なんの変哲もない森の出口のように見える。


「結界……だよな」

「ええ。しかも、しっかりと対人用です」


 エッドは、鈍くきらめく光の幕に見入った。蜃気楼のようにぼやけて見えるが、幻ではないことは明らかだ。


 結界が発する焚き火のような強い熱に、思わずエッドは顔をそむける。隣で立ち止まったログレスも、眩しそうに袖で顔を覆った。


「闇術師には厳しい光です。近寄りたくはありませんね」

「……すまん、ログ。俺のせいで――」


 結界を背にした闇術師は、胸元で小さな本――闇術師の力を強化する、“黒の教典”と呼ばれる書物である――を開き、冷ややかな声でさえぎった。


「なにを弱気になっているのです、エッド・アーテル? まさか僕が、この程度の結界で足止めされるとお思いですか。このように粗末な結界、彼女の作ったものにはほど遠いですよ」

「……。それは、頼もしいな」


 聖なる光に照らされ、たしかに弱気になっていたのかもしれない。

 エッドは両手でぱんと頬を打つと、足元に落ちていた棒きれを拾いあげて構えた。


「よし! 俺が辺りを警戒する。お前は、詠唱に集中してくれ」

「言われずとも」


 小さくそう言い残し、闇術師は集中状態に入った。

 その背と結界の間に立ち、エッドは習慣から息をととのえる。


「ふー……」


 巡る血はないが、かわりに心が落ち着いていくのを感じた。


 背後では冷気のような重い闇の魔力と、聖なる壁の熱気とがぶつかり渦まいている。さながら、小さな魔術大戦のようだった。


「さて……この“勇者の剣”で、どこまでやれるか見ものだぞ」


 棒の握りごこちを確かめながら、エッドは自分を鼓舞する。

 聖術師の中には、聖槍と呼ばれる得物を扱う武術家もいる。滑稽な装備しかなくても、その時は自分の出番だ。


「!?」


 気合いを入れ直した直後だというのに、エッドは背に走ったあまりの悪寒に思わずふり向いた。

 集中していたはずの親友も、顔を上げている――その先に、紺色の空へ立ち上がらんとする半透明の巨大な姿があった。


「んなっ……あ、あれが“奇跡”!? 嘘だろ」


 真夏の膨れあがった雲のように、豊かな大男だった。


 白銀の雷を全身にまとい、立派なひげと髪が熱風にはためいている。


 不思議な風だった。エッドが半歩下がるほどの風圧を感じているにもかかわらず、暗い森からは鳥の一羽さえ飛びたつ気配がない。


「聖堂が崇める神のひとり、“博愛父シュメンデル”……。半霊体のようですが」


 うめくように言った親友に、エッドも投げやりな冗談を返す。


「なるほど、優しそうなわけだ。でっかい愛を感じるよ」


 実際に、冗談としか思えない光景だった。

 巨神は太い首をゆっくりと回し、水晶のごとく澄んだ目を細めて森を睥睨へいげいしている。


 まるで、罰する者を探しているかのような眼光――その対象が自分であることを思い出したエッドは、乾いた笑みを浮かべた。


「……ええと。この棒は、剣というより墓標にピッタリじゃないか?」

「……なら、手近なのをもう一本お願いしますよ」


 むなしい音を響かせて本を閉じ、ログレスは静かな声で答えた。それが友なりの諦めなのだろう。


「どうしようもないんだな?」

「ええ。あれはどうしようもないやつです」


 取り乱さず、粛々とそう言ってログレスはフードを脱いだ。

 せめて眼前の奇跡をよく研究しておこうとでも思ったのか、紅い眼で一心に巨神を見つめている。


 危機下でも彼らしいその態度に、エッドは思わず笑いそうになり――さすがになにも笑えないことに気づいて黙った。


「見事です、メリエール……。せめてここが聖なる森でなければ、僕の使者とぜひ一戦交えさせたかった」


 まるで武人のような呟き。親友の長い指は、黒い背表紙を一心に撫でていた。


 たしかに、この聖気うずまく森では闇術師の本領――冥府の使者を召喚し、使役すること――は発揮できそうにない。

 かと言って一般的な攻撃術では、あの巨神には手も足も出ないのだろう。


「そうだな。ここが冥府に近い場所だったら、状況は逆だったかもな」

「ですね。こんな魔物の一匹もいないような場所では、手の打ちようがありません」


 魔物の姿を探すなど、相変わらず物騒な男だ。

 エッドはまた笑いかけ――今度は、頭を駆けたひらめきに舌を思いきり噛んだ。


「っぁだ!」

「……何をしているのです。神を眠らせる子守唄でも思いついたのですか? 静粛に――」

「じねぇよ! じでるばあいじゃ、ないんだ!」


 うまく回らない舌を叱咤し、亡者は叫ぶ。

 怪訝そうな顔をしている仲間に、もう一度興奮した声で提案した。


「いるじゃないか、ログ! 操るにたやすい、しかも強そうな魔物が!」

「は?」


 空っぽになった胸をどんと叩き、エッドは死後はじめて誇らしい気持ちになって告げる。



「――俺を使って、戦うんだよ!」



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