第5話 白き友はお茶しない―1



「攻撃はしない。もちろん、少し話す時間はあるよな?」


 茂みから立ち上がったエッドは、空の両手を顔の高さに上げて気軽に言った。

 十分に距離を置いた木立のそばに、白い人影がきちんと背筋を伸ばして立っているのが見える。


「本当に……あなたなんですね。エッド」


 緊張した、しかし芯の通った声。


「ああ、俺だよ。こんな姿になったけど、わりと元気だ」


 夕暮れの陽光を帯びて輝く銀色の髪も、暗い森では目立ちすぎるなめらかな白い肌も、エッドにはとても懐かしく感じられた。


 明るい翠玉エメラルドのような大きな瞳が、警戒するように光っている。


「そうは……見えませんけど」

「ま、死んでるからな。君こそだいぶ疲れているようだが大丈夫か、メリエール?」


 名を呼ぶと、白い胴衣に覆われた細い肩がぴくりと震えた。


 辺境の聖堂にもその名を轟かす大聖術師――メリエール・ランフア。

 死者の前でとり乱したことのない彼女が蒼い顔をしているのを見、エッドはひとり苦笑した。


「ご心配なく。あなたの葬儀の準備で、二日ほど寝ていないだけです」


 エッドの言い草が気に障ったのか、聖術師はどこか尖った声でそう答える。そしてじっと、エッドの周りの茂みを見つめた。


「ログレスも、出てきてください。一緒なのは分かっています」


 少し間を置き、エッドの隣にぬっと背の高い影が立ち上がった。

 その手にまだしっかりと杖が握られているのを目にし、エッドは咎めるような声を出す。


「仕舞え、ログ」

「……彼女はやろうと思えば、杖なしで貴方を吹き飛ばすことができるのですよ」

「そうなりゃそれで、仕方ないだろ? でも、そうはならないさ。すぐにはな」


 根拠のない自信をもって言い切ると、親友は紅い目で睨みつけてくる。しかし聖術師の長杖がまだその背に収まっているのを確認した後、しぶしぶ自分の杖を腰に戻した。


「さて!」


 エッドはぱんと手を叩き、明るい声を出す。

 高位の術師による魔術合戦がはじまる前に、平和な話し合いで場をおさめるのが得策だろう。


「お茶はないけど、腰かけるのにちょうど良い切り株があるぞ。まずはみんな、座って――」

「結構よ。悠長に話している暇はありません」

「あ、そう……」


 ぴしゃりと断られ、エッドは大げさに肩を落とした。

 相変わらず距離は保っているものの、メリエールはやっと事態を受け入れたのか静かに佇んでいる。

 その視線が自分に注がれているのを感じ、エッドの空っぽの胸が密かに高鳴った。


 かわりに口を開いたのは、隣の闇術師だ。


「僕の術をこんなに早く解除するとは、思ってもみませんでした。流石ですね、メル」

「……ちょうど、聖山から降ろしてきた“遺物”があって。御力を借りたの」


 少し柔らかさをとり戻した聖術師の声に、友は聞こえないよう舌打ちを返した。


「……それは運がいいことで」


 エッドは同情の気持ちを目で表す。


 “遺物”とは、大昔に活躍した武人たちが身につけていたという特殊な武具だ。そのほとんどは、名のある機関が厳重に管理をしている。

 超常の道具によって苦労して編み出した術が破られるのは、この闇術師にとって好ましくないはずだ。


「聖堂の方々はみんな、葬儀のために尽力してくださったのに……。あんな術をかけるなんて、無礼にもほどがあると思うわ、ログ。それに――」

「それに、そもそも僕のような闇術師は聖堂に足をふみ入れるべきではなかったと?」


 ログレスの静かな声に、聖術師メリエールは銀色の頭を左右に振った。


「馬鹿言わないで。この聖堂の決まりが、その……少しばかり古いことは認めます」

「……。貴女が決めたことではないのは分かっています、メル。参列者に僕を加えるようにと、貴女が願い出たことも。恥をかかせてしまいましたね」

「そんなこと! 私こそ、力が足りずに。ごめんなさい」


 木の葉が舞い落ちるのが聞こえそうなほどの沈黙がおりる。

 もぞもぞと動いたエッドは、足元の小枝を軽快な音をたてて踏みしだき、注目を集めることになった。


「あ、すまん――ところで、君はこんな暮れの森になんの用だ?」

 

 エッドの指摘に、聖術師はむっと不満そうに顔をしかめる。

 普段は涼しい顔をしているのに、彼女は時折このように素直に気持ちを表すことがあった。エッドはそれを、とても好ましく思っていることを思い出す。


「この森は聖山の加護によって守られていますから、危険な魔物は出ません。だから当然、亡者である貴方は森にはいないはずだと司祭さまは仰いました。けれど……」


 そこで言葉を切った聖術師は、じっとエッドを見つめた。祈るように胸の前で細い指を組みあわせ、黙りこむ。


 結局その続きを引きとったのは、エッドの隣に立つ術師だった。


「けれど、エッドのような“勇者”が亡者になったとすれば、通例には当てはまらないかもしれない――そう貴女は考えたのですね」

「……ええ。勇者も歴とした、聖なる力に祝福されし者ですから。この慈悲深い森なら、哀れな亡者も迎えてくださると思って」


 感謝を捧げるように、メリエールは指で胸元に聖なる印を切る。


 そして深い呼吸のあと、決意を秘めたようなまなざしをエッドにぶつけた。


「私がひとりで対処してくると、皆さんにお約束してきました」

「ニータたちにも言わなかったのか?」


 エッドは責めるつもりではなかったが、聖術師は苦いものを飲みこんだような表情を浮かべた。


「……みんな、準備で疲れていました。私の“不始末”を負わせるわけにはいきません」

「これは、君の責任なんかじゃ――」

「エッド!」


 彼女にしては大きな声で名を呼ばれ、エッドは通っていない息を呑んだ。


「私の……私の、せいです……!」


 決壊寸前のように震えたその声には、深い後悔の色が滲んでいる。


「あなたの蘇生に失敗したばかりか……こんな中途半端で、哀れな、穢らわしい身体に、清廉なる勇者の魂を縛りつけてしまうなんて……!」

「あー、うん……。そ、そんなに悪くもないぞ、この身体。便利だしさ」


 エッドは足の甲に刺さったままの枝を引きぬき、出血さえしない黒い穴を見せて明るく言った。


「ほら、これで風通しが良くなった。しつこいブーツの蒸れともおさらばだな」

「……っ!」

「馬鹿」


 いっそう顔色を悪くして固まった聖術師と、率直な罵り文句を口にする闇術師を交互に見、エッドは肩を落とした。

 渾身の冗談だったのだが、どうにも刺激が強すぎたらしい。


「うん、えっと……。とにかく俺は、君のことを恨んでやしないよ」

「……私をかばって、あなたは死んだんですよ」

「それが、俺の仕事さ」


 本心から出た言葉だった。


 自分の背に控える者達を死なせるくらいだったら、まず自分が死ぬべきだ――先頭で剣をとる者として、当然の心構えである。


 だからこそ、メリエールが暗い声を出したことにエッドは驚いた。


「そして――それを蘇生するのが、私の仕事だったんです」


 エッドがたじろいでいると、親友が助け舟を出してきた。


「いいえ。貴女の仕事は、多くの生者を癒すことです。蘇生術は成功率も高くはなく、本来複数人で行うもの――責任を感じることはありません」

「なら、あの場で蘇生を行うべきじゃ……!」

「エッドの身体は、著しく損傷していました。力ある聖堂や聖術師も、あの付近には見当たらなかった……貴女は十分に、健闘したと思います」


 自身にも周りにも辛口なこの男が本心から労っているのを聞くと、エッドは当時の凄惨さを改めて想像してしまう。


「……」


 任務を滞りなく終え、油断していたのかもしれない。

 久々の大きな手柄をたてた興奮で、警戒が緩んでいたのかもしれない――あの戦闘を回避する手段はなかったのか、暗い疑問が毒蛇のように首をもたげた。


 しかしエッドは頭を振り、意味のない想像をかき消す。


 なんの導きか、こうしてもう一度顔を合わせたのだ。

 ほかに伝えるべき言葉が、いくらでもあるはずである。


「俺は魂だけになったけど、ちゃんとあの場にいたんだ。君が必死で蘇生をかけてくれたことは分かってる。ありがとう、メリエール」

「……はい」


 エッドの感謝に、聖術師はやっと安堵したのかほほえんだ。


 その青白く疲れきった顔に、エッドはまた申し訳なさがこみ上げてくる。この数日は準備に奔走しながらも、きっと彼女は自分を責め続けていたに違いない。


 白い袖で頬をぬぐい、少し血色の戻ってきた顔で彼女は軽やかに言った。


「ありがとう、エッド。これで、安心して“作業”に移れます」

「そうだな――え?」



 なんの、と訊きかえす暇もなくエッドの髪が逆立った。

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