第4話 危機感は死んでいる



「まったく、貴方という人は……。ヒトではないですが」

「悪い悪い。たぶんこれも、中途半端な亡者である証だろ?」



 茂みをかき分けて進む友の背に、エッドは気楽な声を投げる。

 すかさず、するどい返答が返ってきた。


「……自分の“未練”が分からないほどとは、想定外でした」


 これ見よがしに肩を上下されても、エッドは苦笑するしかない。


「いや、ほんとに分からないんだよ。だって、一度は天界へ行くことを了承したぐらいだし」


 手が切れそうな草をお構いなしに押しのけながら、エッドは小首を傾げる。


 うっかり蘇生を承諾してしまうほどの“未練”が一体なんなのか、まるで検討がつかなかった。

 そのことを親友に告白してから小一時間、このようなけもの道を蛇行しながら歩き続けているのである。


「どこまで行くんだ?」

「すぐに“未練”が晴らせない以上、いつまでも人が敷いた道に突っ立っている訳にはいきません」

「じゃあ木のうろにでも泊まるか。枯れ葉のベッドを作らなきゃな」


 顔だけでわずかに振りむき、闇術師は紅い目を細めた。


「……貴方、少し変わりましたね。そこまで能天気ではなかったはずですが」

「そうか?」


 素っ気なく返すエッドに、親友は面白がるような声で笑う。


「どこかの村に、そんな悪餓鬼がいたことを思い出しますね」


 エッドは大きく伸びをし、夕空を見上げる。


「持ち金もないことだし、明日は組合ギルドへ顔を出してみるか」

「……みずからの首で報奨金を受け取ろうとは、殊勝なことですね」


 友の強烈な皮肉の中に、たしかな警告が含まれている。冗談だったのだがやはり、ふらふらと人前に出るのは良くないのだろう。

 亡者として起き上がった勇者を、人々がどう思うかは想像に易い。


「とくに……聖堂の者たちには、注意せねばなりません」

「だろうな」


 心から同意したつもりだったが、ログレスは幼子に言い含めるように警告を重ねた。


「さきほどの駆け出し程度なら、貴方の脅威ではないでしょう。けれど彼ら聖術師は常こそ護り手ですが、亡者に対しては絶大な力を発揮します。用心を」

「はいはい。だからこんなけもの道をガサゴソ進んでるんだろ……お、こりゃいいぞ」


 握り心地のよさそうな棒きれを見つけたエッドは、茂みを力まかせになぎ倒しながら気のない返事を上げる。

 日雇い子守りのようなうんざりとした目でログレスが睨んできたが、不思議と気にならなかった。


「お前の言う通りだよ。なんていうか、身も心も軽やかなんだ。空気がうまい」

「ほう。亡者には空気の成分を感じとる器官があると……」

「いや、例えだよ」


 すばやく取り出した覚書を残念そうにしまう仲間を見、エッドは笑った。


 薄暗くなってきた森に、吸い込まれるように声が響く。


「もう、“勇者エッド”じゃない。休む間もなく続く任務もないし、見知らぬご老人から崇められることもない――ついでに、馬小屋の修繕を依頼されることもな」

「……あれは、討伐よりも難題でしたね」


 苦くも懐かしい思い出に浸ったあと、エッドは暮れゆく空を見上げた。

 真っ黒な枝葉のあいだから、この日最後の茜色が降り注いでくる。

 亡者の目には眩しく感じ、手で遮った。


 それでもまるで――はじめてその美しい光景を見たかのように、目が逸らせない。


「急いで宿を確保する必要も、疲れた体にムチ打って薪を集める必要さえないんだ。ここまでくると、なんだか面白くないか?」

「いえ、全然。僕は空腹ですし、切り傷だらけです」


 夕暮れの森にしては、エッドには親友のしかめっ面がよく観察できた。魔物は夜目がきくのかもしれない。これは“研究対象”から報告してやるべきだろうかと悩んでいると、その主の背にぶつかった。


「っと……なんだ?」

「森の入り口が騒がしいようです」


 立ち止まったログレスはそう呟き、胸元から鎖に繋がれた小さな水晶をとり出した。


「それ、対水晶ツインクリスタルじゃないか」

「ええ。片割れを、聖堂裏の木に引っかけてきました」


 とある洞窟に群生している、貴重な鉱物だ。水晶は双子のように必ず対になっており、片方の音をもう一方へ伝えるという珍しい性質を持っている。


「偵察に役立つかと思いまして、道具屋に加工してもらったのですよ。まだ試作品ですが」

「ほんと、抜け目ないなお前。で……どんな声が聞こえるんだ」


 欠片ひとつでは、大した音は出ないらしい。ささやきのようなその音を拾うべく、ログレスは耳に水晶を押しあてた。


 ほどなく、紅い目が街のある方角へと飛んだ。


「……貴方の逃亡が聖堂に知れたようです。捜索の相談をしています」

「そうか。けどもう暗くなるから、この森は探さないよな?」

「いえ。待ってください――」


 口の前に人差し指を立て、術師は集中して水晶の声を聞いている。


 思わず呼吸まで止めたエッドだったが、すでに鼓動まで停止していることを思い出す。喋らずに立っていれば、たやすく完璧な潜伏をこなせた。


「……不味いですね」

「どうした?」

「この森に、捜索が入るようです」


 深刻そうに眉をよせた親友に、エッドは少し驚いて言った。


「夕暮れの森に入るなんて、度胸のある奴がいるんだな。衛士でも抱えているのか」

「そんな者より役に立つ猛者もさが、ちょうど揃っていますよ。お忘れですか」

「……あ」


 烈火のごとく攻撃魔法を打ち込む魔法術師ウィザーディアン

 そして大岩もを砕く拳を持った拳闘士――。


 みずから選抜した仲間たちの姿が浮かび、エッドはうめいた。

 明日が葬儀ならば、索敵と奇襲に優れた弓師アーチャーも戻ってくるだろう。

 彼はログレスとはまた違った知恵者である。そうなればまさに、強者ぞろいだ。


「あいつら、どのくらいで来るかな」

「装備はほとんど修復中のはずなので、すぐには出立できないでしょう。……それにまだお気づきでないようですが、こちらには隠遁魔術の使い手がいます」


 ややトゲのある言い方をし、闇術師はエッドの背後を静かに指差した。

 エッドはふり向き、小さく口笛を吹く――棒でなぎ倒してきたはずの草が、すべて何事もなかったかのように起き上がっていた。


「“足跡消しイレイス”か! こりゃ、追跡は難儀だろうなあ」

「まったく他人事のように……。貴方の危機感は、死したままのようですね」


 茂みに腰をおろし、ログレスはふたたび水晶に耳を寄せる。


「……聖堂の者たちが、言い争っているようです。知らせるべきではない、とかなんとか」

「ああ、そうか。そりゃニータたちに捜索を依頼すれば、俺の遺体がないことが外部にバレるもんな」


 手を打ったエッドだったが、さらにあることに気づく。


「でも、よく逃げたのがこの森だって分かったよな。あの若い聖術師は、お前の術のせいでまともに証言できないはずだろ」


 聖堂から連れ出される時の記憶はないが、ほかに目撃者でもいたのだろうか。そうでなければ、早々とこの森に狙いを定める理由が見つからない。


「……証言できたとしたら?」

「え」


 差し出された水晶を友から引き取り、エッドは耳に押しあてた。


 さざ波のようにざあざあと不鮮明な声だったが、なんとか会話らしきものが聞きとれる。


『……まちがい……のか』

『いいえ、司祭さま……ボク……襲われ……この森……捜してくだ……』


 怯えてはいるが、しっかりとした甲高い声。

 間違いなく、エッドの棺桶を管理していたあの若者のものだった。


 そのやり取りの背後で、ひそひそと密談する声もある。


『やはり、お仲間に……ったほうが?』

『何度も……あの方……任せて……』


 水晶を返しながら、エッドは親友の顔色を盗み見た。

 ログレスはこちらではなく、目を細めて地面の一点を睨みつけている。


「まさか、彼女が処置を……? しかし、早すぎる。あの術を解くには……」

「おーい、ログ」

「聖山の遺物か……いや、あの規模の聖堂なら恐らくは……」

「ログレス!」


 ぶつぶつと陰気に呟き続けていた闇術師は、エッドのするどい一声に目を瞬かせた。

 咳払いをし、エッドはしっかりとその視線を捉えて続ける。


「術を破られて落ち込むのは分かる。けど、そうなりゃそれで仕方ないだろ?」

「……」

「これからどうするのが最良ベストか、俺も考える。だから、お前の知恵も貸してくれ」


 親友の表情に落ち着きが戻るのを確認し、エッドはうなずいた。

 申し訳なさそうな声がぼそぼそと上がる。


「……失礼」

「負けず嫌いもほどほどにな。いい歳なんだから」

「貴方に言われたくありません」


 ぐいと深くフードを引き下げ、ログレスは不満そうに鼻を鳴らした。腰布に挿していた小さな杖を取り出し、利き手に握る。

 エッドは自分が丸腰であることを、はじめて不安に思った。


「えーと……ナイフとか、持ってないか」

「僕も、杖と教典以外は修理に出しています。“腐って”も勇者なら、その枝でなんとかしてください」


 ありがたい助言に従って脇に落ちている枝を拾うも、頼りなさがぬぐえない。

 衣擦れの音とともに、仲間が立ち上がった。


「一点に留まるのは良くありません。行きましょう」

「ああ、そうだ――なっ!?」


 耳元に灼けつくような感覚が走ったのと、本能的に茂みへ身を投げたのはほぼ同時だった。

 エッドは地面を二度ほど転がり、耳を押さえる。


 どうやら吹き飛んではいないらしいが、可視できるほどの光の痕跡がくすぶっていた。



「これは……“聖なる槍ホーリーランス”か!」



 鱗粉のような光を払いながら、エッドは首を伸ばして付近の様子を探った。すぐ近くに、同じように伏せているログレスの黒い胴衣を確認する。

 エッドはすばやく、攻撃が飛来してきた方角を見た。


「……!」


 生きていたら、きっと鼓動が高鳴ったことだろう。

 エッドは気分が急激に高揚していくのを感じた。


 迫る戦いへの躍動ではない。

 耳が溶けそうなほどに熱いことへの、驚きでもない。


 これは、おそらく――。



「出てきて。いるんでしょう――勇者エッド・アーテル」



 凛とした静かなその声に導かれ、エッドはためらわずに立ち上がった。



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