第6章 契約の魔人と女神

第62話 契約書を守りし者―1




「傷は大丈夫なのか、アレイア?」

「うん! ポロクが、ばっちり治癒をかけてくれたよ」


 エッドの問いに、アレイアがその場でくるりと回ってみせる。動きに合わせ、流線状の刺繍が施された胴衣の裾が舞った。相変わらず背面は痛々しいが、その奥にあった斬り傷は綺麗に消え去っているらしい。


『“犬鬼”とはいえ、淑女が軽々しく肌を見せるものじゃありませんわよ』

「あ、噂をすれば!」


 咎めるような声にエッドが振り向くと、妖精を肩に乗せた闇術師が歩いてくるところだった。妖精は上品に小さな欠伸をひとつ落とし、滑らかな胴衣の上で仲間たちをぼんやりと見回した。


『ふぅ……最初から大仕事で、少々疲れましたわ』

「ご、ごめんね。とりあえず、ゆっくり休んで」

『そうさせて頂きますわ』


 ぐっと透明の羽を伸ばして告げたあと、ポロクは居住空間へと改造したポーチの中に引っ込んでいく。留め具を外した蓋をそっと閉め、ログレスは顔を上げた。


「妖精の治癒はご覧の通り強力です。しかしこの荒野には力を貸してくれる“恵み”が少ないので、やり難いのだそうです。以後は、気を引き締めていきましょう」

「そうだな。で、次はこの契約書だが……」


 アレイアから受け取った羊皮紙を掲げ、エッドは仲間たちを見る。

 端が飴色に焼けたその書簡は、豪華な房つきの紐で封印されている他にこれといった特徴もない。


「ど、どうするの。ここで開ける?」

「いえ、とりあえずあの木のそばにある野営地へ行きましょう。メリエールの状態を確認すべきです。……この哀れな勇者も、さすがに荒野の只中に放置出来ませんし」

「ああ。この一帯の魔物は自分で駆逐したとはいえ、高級宿にはほど遠いからな」





「エッド。こんなもんでいい? もっと巻く? ていうか、いっそ木に吊るす?」



 痩せた樹木の幹に伸びている勇者を容赦なく縛りつけ、アレイアは晴れやかな顔でそう訊く。

 エッドが作業を切り上げるよう合図をすると、少女はどこか残念そうな様子で木陰から出てきた。


「そのくらいにしといてやれ。目覚めたら、自分で抜け出せそうか?」

「ふん。出来るんじゃない? そういう訓練も受けてるだろうし。ま、“実践”ははじめてかもしんないけどね……」


 にやりと不穏な笑みを広げている少女の頭を、エッドはぽんぽんと撫でた。

 憎い相手とはいえ、荒野の中で無残に果てぬよう工夫を凝らしている場面をきちんと観察していたからだ。


「“聖宝”は、どうしたの?」

「ああ。丁度いい木箱があったんで、放り込んでおいた。なんか近くにあるってだけで、いやな圧迫感を感じるんだよな」

「うん、分かるよ」


 エッドの視線の先に鎮座する細長い木箱を見つめ、アレイアは同意を返す。

 “聖宝”を義手で運ぶのは苦労しなかったが、まとわりつく視線のような聖気に亡者の肌はかなり反応していた。


「居ましたよ。こちらです」

「!」


 積み上げられた木箱の後ろから顔を出したログレスに呼ばれ、エッドは早足にそちらに向かった。



「メリエール!」

「……」



 木箱の影の中にすっぽりと収まり、膝を抱えているのは間違いなく想い人だった。

 エッドたちには顔を向けず、ただぼんやりと前方を見つめている。


「メル。大丈夫か?」


 契約の力を理解していようと、そう声をかけずにはいられなかった。

 立ち尽くすエッドの脇を、小さな影がすたすたと通り過ぎる。



「……はじめまして、メリエール」



 アレイアはゆっくりと膝をつくと、優しく言った。


「あたしは、アレイア。元仲間がひどいことしちゃって、本当にごめんね」

「アレ――」


 長い手をさっと挙げ、エッドを黙らせたのは彼女の師だった。

 静かに首を振り、状況を見守るよう目で訴える。


「村のみんなに、色々聞いてるよ。あたし、あんたとは気が合いそうな気がしてるんだ。よかったら、友達になってくれると嬉しい。とりあえず、これを……」


 腰に吊るしたポーチの中から、小さく折りたたんだ薄手のマントを取り出す。アレイアは、微動だにしない聖術師の肩をそっと包んで続けた。


「あいつ、ほんと服の趣味悪いよね。こんなに綺麗な肌が日に焼けちゃったらどうすんのさ。あんたの元の服は、セプ君がちゃんと宿屋から回収してくれてるから安心してね」

「……」


 白いマントに包まれたメリエールは、相変わらず反応を示さない。しばらくその整った横顔を見つめていたアレイアだったが、満足したのかやがて立ち上がった。


「うん。これでよし、と」

「今話しかけても、覚えてないんじゃないか?」


 自分も声をかけたことは都合よく流し、エッドはそんな疑問を投げる。


「分かんないよ。彼女の意識だって内包されてるだけで、失われた訳じゃないんだから。それに、第一印象は大事なの! 貴重な、と――友達になってくれるかもしんないし」

「俺たちだって、友達じゃないか」

「……っ!」


 さらりと言ったエッドの言葉は、少女の心を激しく揺さぶったようだった。

 赤面してくるりと背を向け、アレイアは三つ編みを両手で握って呟く。



「おっ、女の子の仲良い友達が欲しいんだよっ! あんたらには言えない相談とかも出来るし……」

「ほう? 深刻な悩みでしたら、より多くの知見を取り入れた方が早く解決できるかと思いますが――」

「あ、あんたには特に言えないやつだからッ! 察してよ!」



 ぴしゃりとそう断られ、親切に接したつもりらしいログレスは首を傾げた。



「……まあ、友情の構築は村に帰ってからといたしましょう。先ずは――」

「ああ。これの処理、だな」



 詫びしい荒野の中、三人の視線が音もなくひとつの書簡に集まった。

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