第61話 自由へのひと蹴り
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踏んばりが効かずに尻餅をついたエッドの前で、勇者が石像のごとくぴたりと動きを止める。何本もの黒く細長い手がその身体にまとわりつき、音を立てて締め上げていた。
相対者の手に凶器の姿がないのを確認したエッドは、慌てて自身の身体を点検する。
「心配しなくても、刺さってなんかないよ。エッド」
「ア――アレイア!」
「うん! お待たせっ!」
落ちてきた影に驚いて見上げたエッドの視界に、久々に元気な少女の姿が映る。
その手には、しっかりと二つのものが握られていた。
指ほどの長さしかない仕込みナイフ、それに――
「契約書か、それ!」
「そ! 頂いちゃいました。……ログレスーっ! 足止め、ありがとねーっ! おかげで、獲りやすかったよ!」
ぶんぶんと獲物をふり回し、アレイアは彼方にいる師に成果を叫んだ。
杖を掲げてそれに応える友の姿が見え、エッドは気の抜けた笑みを落とす。
(すまん、ログ。術、使わせちまった)
(……まあ、計略というものは大抵上手く運ばないものです)
それが友なりの労いの言葉であることを感じ、エッドは苦笑する。
反対に、憤怒の表情を浮かべたのは身動きのとれないライルベルだ。
「ぐっ……かえ、せ、盗人め……!」
「ふん。盗人はあんたのほうじゃん」
契約書をしっかりと握り直し、アレイアはかつての仲間に顔を向けた。
その表情は、言葉に反して意外と落ち着いている――エッドは静かに見守ることにした。
「久しぶりだね、ライルベル。別に嬉しくもなんともないけど、“元気”?」
「……また、斬られたい……らしいな……!」
「もうお腹いっぱいだよ。ご親切に、“おかわり”までさせてくれたもんね?」
はっきりとした口調でそう言い放つ少女の背中を、エッドは黙って見つめた。黒色なので分かりにくいが、大きく裂けた胴衣にはじっとりと血が染み込んでいる。
「あんた自分が何したのか、わかってんの? 会ったばかりでいきなり拐って、へんな契約で自分のものにしてさ。女は、お金を出せば買えるぬいぐるみじゃないんだよ?」
「うる、さい……! “犬鬼”ごときが、僕に偉そう、に――」
「するよ! しますともっ!」
勇者の言葉を遮り、少女は金の瞳に激しい光を浮かべた。
腰に手を当て背筋を伸ばすと、不思議とその華奢な身体が大きく見える。
「悪いけどね、御坊ちゃま! もう、そんな言葉には揺さぶられない。卑屈になることも、隷属することもしない――あたしは自由な“ヒト”だし、誇り高い“宝石犬鬼”だ」
「……裏切り者、め……。僕が、どれだけ、お前に……!」
「あー、はいはい。そういうの、もういいから。恩着せがましい男ってダサいよ?」
呆れたように頭をふり、アレイアは目を細めて勇者を睥睨する。
「……なんだかあんたを間近で見ると、殴る気も失せたよ。術は使わないって約束だったのに堂々と使うし、素手の相手に仕込み毒刃ぶっ刺そうとするし。ほんと、変わんないよね」
「いいのか?」
未練なく背を勇者に向けたアレイアに、エッドはそう訊いた。
若き闇術師は小さくうなずき、肩をすくめて答える。
「うん。殴ると、汚い根性がうつりそうだから。あたしは、やめとく」
「それは、ありがたい、ね……。こちらも、“汚れ”たくは――」
「――そりゃぁッ!」
硬いものが衝突する鈍い音が、乾いた風に乗って荒野に響き渡る。
「が、ぁっ!?」
少女が下段から放った見事な回し蹴りは、的確にライルベルの顎を捉え、砕いた。
勇者の身体が大きく浮き上がり、絡まっていた闇術さえ引き千切れる。
「――これは、あたし“以外”からだ! 死んだ皆とクレア、それに破れた胴衣の分っ!」
ぐしゃりと嫌な音を立てて落下する勇者に、ふり上げた脚を戻しながら少女は言葉を叩きつける。
さすがにエッドは呆気にとられた。
「術師にしておくのは、勿体ないほどの蹴りだな……」
「んふふ、ありがと! この時のために、こっそり練習してたんだ。当てれてよかっ――」
(二人とも、まだです!)
友のするどい思念が、雷のように頭を駆け抜ける。
同じ内容を受けとったのだろう弟子の少女もびくりと身を震わせ、蜂蜜色の目を見開いた――その背に、ぬっと大きな影が立ち上がる。
「がああぁっ――!!」
もはやそこに、人の意思はない。
血まみれの顔で吠える男の顔は狂気じみ、目は不自然なほど捻じ曲がった光を発している。
それでも、恨みの対象は定めてあるらしい。
大きく両腕を広げ、硬直している少女の背に迫った――
「きゃっ――!」
「……どっちが魔物なんだか!」
ふたたび意思に応えるようになった脚で地を蹴り、エッドは仲間を押しのけて飛び出した。
「!」
ぎょろりと青い目玉がこちらを見とめ、外れた顎の底から唸りにも似た叫びが迸る。
しかし損傷に身体がついていかないのだろう、その動きは緩慢だ。
エッドは迷わず敵の懐に飛び込み――その血と砂塵に濡れた身体に抱きついた。
「こういうのは、意中の
「がぁっ!?」
ずぶりと牙が肉に沈み込む音が、耳の奥にまで響く。
その不快感に顔をしかめたエッドだったが、構わず顎に力を込め続けた。
頬肉にあたる長い牙が、脈を打つかのように熱い――
亡者が首に噛みついているという事態をやっと理解したらしい。
ライルベルの目に、驚愕の光が浮かんだ。
「……ぐっ……!?」
「――こんなもんか」
エッドが牙を引き抜いてそう呟いた瞬間、勇者は目を丸くしたまま地に伏せる。
「……っ!?」
金縛りにあったかのように、その身体は砕けた指先まで完全に硬直していた。
何が起こったのか理解できないという表情の青年を見下ろし、エッドは大きく口を開ける。慎重に灰色の指を伸ばすと、奥歯の上に“被せていた”牙を外した。
「さすがの勇者さまにも効いたみたいだな。“
「!」
エッドがつまみ上げた長く透明の牙を目にし、勇者は顔を青くする。
血の気が引いたのか毒の効果なのかは分からなかったが、その顔を前にエッドは気軽に言った。
「ビビるなよ。死にゃしないさ――うん、多分。がんばれ、勇者様だろ」
「エッド、大丈夫だった? 毒、飲んでない?」
駆け寄ってきたアレイアは、エッドと“つけ毒牙”を心配そうに見比べた。
エッドは役目を終えた道具を掲げ、製作者にうなずいてみせる。
「ああ、大丈夫だ。毒が流れていく時、少し熱かったけど」
「ほ、ほんと!? ちょっと、口見せて」
ぎょっとした少女の顔に不安を感じ、エッドは素直に大きく口を開けた。
恐々と覗き込んだ道具屋の助手は、しばらく口内を検分したあと安堵の息を吐く。
「よかった……ちょっと、いくつか穴が空いたぐらいだね。痕の位置からして、喉のほうには行ってないから大丈夫!」
「本当に大丈夫か、それ?」
「ぐっ……!」
くぐもった声にエッドがふり向くと、地面に転がった勇者が恐ろしい形相でこちらを睨んでいるのが見えた。首筋が青黒く染まり、じわじわとその領域が広がってきている。
ライルベルはくぐもった声を絞り出して吐き捨てた。
「ま、もの……め……!」
「どうかな。俺も自分が何者なのか、まだはっきりとはわからないんだ。けど、魔物だろうが――仲間と思っている存在を助けるのは、悪くないだろ?」
エッドの声が届いたかどうかは定かではない。
顔に浮かんだ汗と口から流れ出る血が赤土に滴り、その水たまりの中に勇者は顔を横たえている。
「おやすみ、ライルベル――ルテビアの管理機関に、あんたの所業はきちんと報告しておく。だから、安心して没落していってね」
冷めた顔で言葉をかける仲間に、エッドは苦笑する。
そして、ふと思い立って言い加えた。
「ああ、そういえば。天馬が持ってるのは、爪じゃなくて“ヒヅメ”だぞ。乗ってきたんだから間違いない」
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