第59話 存在理由ってやつ―1



 時は少し遡り――エッドが“作戦”を提案してから三日後。

 ラケア村の隅にある空き家から、風をも切り裂くような轟音が響いてきた。



「……っ」

「――ほら、エッド。終わったよ」



 気遣うような声に、エッドは恐々と薄眼になる。

 すると声の持ち主である村の主婦は、妙に慌てた様子になった。


「ゆ、ゆっくり見るんだ。気をしっかり持つんだよ」

「心配するな、ニルヤ。俺はこれでも元冒険者だ。戦闘にしろ事故にしろ、こういう“場面”なら、いくらでも見て――」


 威厳たっぷりに語ったエッドだったが、大きな灰色の肉片が脇にある桶の中に収まっている光景を見、さすがに吐き気を覚える。

 残された手を床につくも、力の抜けた上半身はぐらりとうしろへ傾いた。


「おっと……。朝食を抜いてきて、正解でしたね」

「……お前も、ひどい顔色だぞ。見に来なくてもよかったんじゃないのか」


 背中を支えてくれた手を辿ると、蒼ざめた顔のログレスが目に入る。

 親友は小さく頭をふり、いつもの無表情に戻ると答えた。


「いえ。誰かが貴方の“肩”を運ばなければなりませんし、道具屋までの付き添いも必要でしょう。完全に片腕を失った身体では、なかなか均衡が取りづらいはずです」

「……そうだな。でも、ありがとう」

「喜んで志願した訳ではありません」


 怖い顔で眉根を寄せる友を見、エッドは苦笑した。


 実際、健全に機能している肉体を故意に切り落とす場面を――しかもそれが、旧知の者である場合はなおさら――見たい人間などいないだろう。


「ああ、いてくれて助かったよ先生。ひとりじゃ、あたしゃとても……」

「見事な太刀筋でした。貴女以上にこの仕事を上手くこなせる者は、村にいなかったでしょう」

「辛い役をさせてすまなかったな、ニルヤ。ほら、もう大丈夫だ」


 残された腕を上げ、エッドは友と同じく蒼い顔で立ち尽くしている大柄な女に微笑んだ。


 先ほどまでするどいきらめきを放っていた腕をさすり、ニルヤは太い眉を下げる。


「……まだ動く肩を新たに切り落とすなんて、本当に必要だったのかい?」


 不安そうな顔をしている村人を見上げ、エッドは真剣に説明した。


「ああ。今ペッゴに作ってもらっている義手の動力源は、俺の魔力だ。戦闘で使用するためには、しっかり魔力を流して自在に操らなきゃいけない。それには、腕の主な可動部である“肩”から作り変えることが必須なんだ」


 エッドは、もう一度顔を傾けて“そこ”を見下ろした。

 先ほどまでしっかりとした生来の肩があった部分だ。


「ペッゴやロゼナにも確認した。肘から先の部分の義手を作っても、流れる魔力が細すぎて玩具程度にしか動かない。なら大きな肩の骨そのものを、魔物の魔力が通りやすい素材に変えて接合すれば――」

「ああ、わかったわかった! 悪いけど、やっぱり何度聞いても嫌な気分になる話だよ……」


 柔らかさをとり戻した太い手を額に当て、ニルヤはうめいた。


「でもね。本人からの依頼とはいえ、あたしゃあんたの親御さんに合わせる顔がないよ。これ以上は、どんな場合だってお断りだからね」

「うちの両親なら、仲間を救うためなら腕や足の一本くらいくれてやれって叱咤すると思うけどな」

「そ、そんな訳ないだろ!? ねえ、先生」

「……」


 さっと目を逸らしたログレスを見、ニルヤはぽかんと口を開けた。

 エッドは苦笑し、ゆっくりと脚に力を入れて立ち上がる――身体が振り子のように前後に揺れたが、平坦な場所ならなんとか対処できそうだった。


「おっとと……よし。じゃあ、俺は行くよ。道具屋で、ペッゴとアレイアが待ってる」

「本当に大丈夫かい、エッド? もう少し、休んでからにしたほうが……」

「大丈夫さ。“下準備”ができたらなるべく早く来てくれって、店主に言われてるしな。代わりに、君がゆっくり休んでくれ。本当に今日はありがとう」


 エッドの言葉に戸惑いながらも、どこか安堵した顔でうなずいた女は戸口へと消えた。

 重くなった桶を抱えたログレスが傍に現れ、ぼそりと言う。


「さすがに、亡者の身体は適応が早いですね。付き添いは不要でしたか」

「そうみたいだ。……なあ、やっぱり“それ”の処分は、俺が」


 桶に入った自分の一部を見下ろし――注視はできなかったが――エッドは灰色の腕を伸ばす。しかしログレスは、さっとその手から桶を遠ざけて言った。


「――気遣いは無用です。このように頑丈な亡者の身体を処分するには、それなりの火力が必要でしょう。土壌への影響が未知数ですので、埋めるわけにもいきませんし」

「……わかった。お前に任せるよ。世話になるな」


 ちらと意味深な視線を投げてきた友だったが、エッドを残して早足に去っていく。その背が小さくなるまで見送り、エッドは傷んだ壁にそっと背を預けた。


 血の一滴も滴らない黒い肩口を布巾で押さえ、亡者は一人呟く。



「亡者に成り果てた上に、親不孝者だなんてな。ごめん――母さん」





 道具屋の前に広がる、鉄クズが散乱した庭。

 そこに足を踏み入れたエッドを見、勢いよく戸口を開いたのは仲間の少女だった。


「エッド! 待ってたよ。肩、大丈夫?」

「ああ。予想以上に大丈夫だった。さすがは亡者ってとこだな」


 エッドのすっきりとした肩を見たアレイアは、一瞬ぎくりとした顔になる。

 しかし三つ編みをふって己の頬をぱしりと叩くと、背筋を伸ばした。


「……うん。状態は問題ないみたいだね。工房でペッゴが待機してるから、さっそくとりかかろっか!」


 てきぱきと店の奥へと案内する若者は、作業着姿も相まってすっかり“助手”の風体である。


「へえ。店の奥はこうなってたのか」


 道具屋の細い廊下は入り組んでおり、不思議な造り――人が登るには急すぎる階段や、窓の位置にある鉄製の扉など――が散見された。

 これは帰りも案内が必要だろうと思案するエッドに、前方から小さな声がかかる。


「……やっぱ、すごいよね。エッドって」

「なんだよ。急に」

「自分の腕を落とす決断なんて、なかなかできるもんじゃないでしょ」


 長い螺旋階段を登りながら言うアレイアに、エッドは頬を掻きながら答える。


「そんな決断を下さないほうが、好ましいんだぞ? でも、俺は――」

「うん、わかってる。“亡者”だからって言うんでしょ。でも……あたしは、やっぱりすごいなって思う。だってエッドのそれは全部、他人のためなんだもん」


 薄暗い廊下の先でふり向いた少女の瞳が、深い蜂蜜色に光る。

 本人は気づいていないようだがそれは明らかに発光しており、感情が昂ぶっていることを示していた。


「他人か……。そう考えたことはなかったな」

「そうなの?」

「ああ。彼女メルはたぶん、俺にとってもう他人じゃないんだ」


 自分の瞳も何色かに輝いているのではないかと閃いたエッドだったが、丁度現れた掛け鏡の中に映る姿を見て微笑んだ。


 およそ三十年を共に生きた、見慣れた茶色。

 どうやらまだまだ自分は冷静で――“人間くさい”らしい。


「知ってのとおり、彼女は俺の“未練”であり――言いかえると、この世に留まる“存在理由”ってやつにもなる。それをとり返すためなら、首だけになっても構わないさ」

「あはは。なんか、素敵なような怖いような。でも闇術師的には及第点かも。あたしも、ログレスにそんなこと言ってほしいなあ」

「はは。そうなるように願ってるよ」


 不思議なことにいつの間にか螺旋階段を“降りて”いた少女は、エッドの言葉を聞いてぴたりと足を止める。


「……エッドって時々、ヤな言い方するよね。やめてよ。あんたには、あたし達の結婚式で仲人をやってもらう予定なんだからさ」

「そうなのか? だとしても――亡者の仲人なんて、滑稽すぎるだろ」

「闇術師同士の式で、誓約の立会い人は聖術師。しかも参列者のほとんどは魔物か、その血族。……それだけで十分、“素敵”な式になると思わない?」


 悪戯っぽく輝いた瞳を見返し、エッドは同意の笑みを浮かべた。

 ただし年長者らしく、少しの忠告を含めることも忘れない。


「そりゃ愉快な式になりそうだ。だけど、俺が“砂に還る”より前にやってくれよ?」

「わ、わかってるよ。見てなよー、いろいろ済んだら猛攻撃アタックするんだから!」


 鼻息荒く拳を握りしめたアレイアは、最後にエッドの目を見ると微笑んだ。



「だから――絶対、みんなで戻ってこなきゃね! この村にさ」

「……ああ」



 満足そうにうなずき、若者はふたたび急な階段を駆け降りはじめた。


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