第58話 黒き叡智の腕



「あっはは! 油断したねえ、亡者殿っ!」



 甲高い笑い声を上げた勇者から、エッドは急いで距離を取った。

 愛剣を脇にとり落とし、がくりと片膝を地面につく。


「く……!」


 相手の追撃はない。見ると、勇者も疲労がたたったのか肩で息をしている。


「はあ、はぁ……ハッ……! 思い出したかい……聖宝の味は? これで決着だ」

「ぐ、あ……!」


 いつかと同じように地面に崩れ落ちるエッドを見、ライルベルは歓喜の叫びを上げた。


「肩に、たった一太刀! ははっ、実に呆気ないねえ! まるで手応えがない」


 汗と砂埃で貼りついた前髪を荒々しく払い、勇者はエッドを見下ろす。

 痛めた肩を千切ろうとするかのごとく握りしめてうずくまる亡者に、残忍な笑みを浮かべた。

 垂れ下がった金の飾り房が、耳障りな笑い声に合わせて揺れる。


「おっと! 動かないでくれよ、親友くん」


 黒い半球の中で立ち上がった細長い影に、勇者は朗々とした声を投げた。エッドの無防備な脳天に細剣を突きつけ、警告を発する。


「君の詠唱がどんなに速かろうが、この距離じゃ僕に分がある。それに今は、何もかもが澄み渡って感じるんだ……。さきほどの約束を破り、君の魔力が少しでも動いたら――遠慮なく、この汚い頭を切り落とすからね」


 返事はない。それを好い返事だと判じたらしい勇者は、ふたたびエッドを見下ろした。


「前みたいに、無様に呻き散らさないのには感心するよ。けれど、堪らないんだろう? この剣に愛撫された魔物どもときたら、まるで芋虫みたいに転がるんだ。きっと、想像を絶する痛みなんだろうねえ」

「……っ」


 言葉を噛み殺すように唇に牙を突き立て、エッドは額を赤土に押しつけた。

 興奮した声で、なおも勇者は語り続けている。


「もうひと突きしてあげたほうが、楽に逝けると思うけど――そうはしない。この剣に宿る聖術師たちの恨みに焼かれながら、じわじわ滅されるといい」

「……うら、み……?」

「そう。恨みだ」


 エッドが反応を示したことを楽しむかのように、勇者はひび割れた唇を舐める。


「魔物に対する、底のない怒りの塊――それがこの剣さ。たしかに、呪われてると言えなくもない。けれど僕はその一途な想いに、美しささえ感じたんだ」

「……」

「だから魔物を滅したいという彼らの願いを聞き入れ、聖なる使命に身を捧げたのさ」


 みずからの功績に陶酔しながらも、その瞳は奇妙なほどエッドに――“魔物”に釘づけになっている。


「魔物の血を吸わせないと、夜な夜な語りかけてくるのは少し困ったけれど。でも可愛いものじゃないか? それほどまでに彼らは、無念だったのさ。今、時を超えて僕がその使命を引き継ぐ――君には、そんな活躍はなかっただろうね」


 狂気じみた蒼い目の奥に、エッドはたしかにいくつもの気配を感じた。

 怒りに満ちた人々が、この首を欲して叫んでいるのが聞こえた気がする――


「ああ、わかっているよ。急かさないでくれ……。どうやら、お楽しみはここまでだ。我が聖なる使命を果たすとしよう」


 うるさそうに頭をふった勇者は、冷たい音を立てて細剣をエッドの頭に向ける。



「悪いが、その役目――今日で退任してもらうぞ」



 蹂躙されるはずの“獲物”が放った涼しげな声に、ライルベルは目を見開いた。


「!?」


 もちろんエッドは、その一瞬の硬直を見逃さない――握りしめていた肩を解き放ち、眼前まで迫った白刃を躊躇なく手袋で掴んだ。


「なッ――!」


 刃を相手に掴まれた場合の立ち回りは、学んでいないのだろう。

 エッドの奇行とも呼べる行動に、相対者は衝撃を受けた顔になった。


「くっ!」


 ライルベルは急いで細剣を引き戻そうとするが、ぴくりとも動かない。

 ゆっくりと立ち上がったエッドは、手袋に包まれた手で刃を握りしめたまま勇者に対峙した。


「なんだか、悪人の言い方みたいになったな。まあいいか、“魔物”らしくて」

「なん、でっ……! 貴様、離せッ!」

「離すわけないだろ。けど、俺だけで折るのはやっぱり難しそうだな」


 手に力を込めると聖宝は軋んだ音を立てるが、へし折れる気配はない。

 目を白黒させてその様子に見入っている勇者に、エッドは静かな声をかけた。


「どうして俺が聖気に苦しんでないのか、不思議か?」

「その手袋の下は、どうせ義手なんだろう……! でも何故だ……肩の肉を斬った手応えはあったのに……」


 刃の向こうから睨めつけてくるライルベルは、それ以上の種明かしを懇願したりはしなかった。エッドは構わず、反対の手を肩の上に持ってくる。さきほどの一撃で破けた場所を起点に、腕を覆っている麻の袖を遠慮なく引き裂いた。


「……なっ……!? なんだ、“それ”は――!」


 現れたのは亡者の灰色の腕ではない、黒々とした義手。

 しかしそれ以上に勇者を驚かせた要因があることを、エッドは知っていた。



「貴様――その、肩は……!?」



 勇者の視線を釘付けにしているのは、エッドの肩だった。

 たしかにあの森でこの若者に斬り飛ばされたのは、右腕の肘から先の部分である。


「なぜ……無事だったはずの肩からすべて、義手に……!?」

「驚いたか? お前のそんな顔が見たくて、奮発したのさ」


 もちろん、正式な理由はほかにあった。しかしここで正直に話す必要もないので、エッドは軽口を言うに留めておく。


 衝撃を乗り越えたらしいライルベルが、今度は明らかな侮蔑を込めた声を上げる。


「……なんとも醜い造形だ。それは、本当に義手なのかい?」

「義手なんて呼び方は無粋なほどの品だが、まあそう呼ぶしかないよな」


 エッドの腕の形を成してはいるが、それは一般的な義手とはあまりにかけ離れた姿をしていた。


 黒真珠のように滑らかな表面をもつ物体は見た目どおりの頑丈さだったが、不思議と重みを感じさせなかった――事実、エッドの意思に遅延なくついてきてくれる。

 肩の部分には胴色に輝く粘土のような物体が貼りついており、そこにひとつの穴が空いていた。


「幼稚な……!」


 自分が何を“肉”だと勘違いしたのかを知って顔を歪める勇者を横目に、エッドは役目を終えたその物体を肩から剥がして呟く。


「それを斬って得意になってた自分を思い返すんだな。――ほんと、すごい腕だよ。こいつはな」


 すでに戦闘でさんざん酷使したが、不具合はどこにも出ていなかった。

 これほどの義手を数日で仕上げた道具屋の“丸い主人”に、エッドは改めて心中で賞賛を送る。


「ふん……本来の肩はどうしたんだい? あの森で腐り落ちたのか――それとも、“お仲間”の夜食にでもされたのかい」

「残念。どっちもはずれだ」 


 エッドの悠然とした態度を見、勇者の顔から血の気が引いていった。


「……! ま、まさか」


 見せつけるようにさらにきつく刃を握りしめ、エッドは低い声で言う。


「へえ。外道の魔術を研究していた割には、人間らしい反応じゃないか」

「まさか……自分で、斬ったっていうのか……!?」


 黙することで肯定した後、エッドは渾身のしたり顔を浮かべてみせる。


「その価値はあっただろ? 事実、お前は俺の肩が“生身”の部分だと疑わなかった。ちなみに、お前が感じた手応えも職人の“狙いどおり”ってとこだ。あとで報告しておくよ」

「では“聖宝”の刃を受け止めるためだけに、そんな改造を――!? く、狂ってる!」

「お前にそう言われると、なんとも心地悪いな」


 蒼白になっている若者を見据え、エッドは迷わずに言った。



「けど、俺は“亡者”だ。か弱い魔物が勇者さまと対峙するんだ、使える策はなんでも使う」 



 そう。

 それがあの時の自分に捧げることのできる、唯一の覚悟だったからだ――。


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