第57話 勇亡者さまのお説教
「くっ……!」
「はッ!」
幾度目かもわからない鍔迫り合いのあと、後方に跳んだライルベルは大きく肩を上下させた。
汗で額に張りついた前髪を荒々しく払い、恨めしそうにエッドを睨めつけてくる。
「どうした?
「……っ、うるさい……!」
こちらに余裕があることを感じたのだろう、若き勇者は歯噛みしている。魔物であるエッドの体力は、たしかに自分でも底知れない。
しかしたとえ人間だった頃に相対しても、決して引けはとらなかっただろう。
「ちゃんと毎日の基礎鍛錬はやっているか? 若いんだし、もっと量も増やしたほうがいいぞ」
「はあ、はあっ……! ふん、魔物に言われたくないね」
「先輩として言ってるんだ」
ライルベルはしなやかな体躯と“疾風”の名に恥じない機動力を活かし、先手必勝で戦いを制す剣士だ。
対して自分は、堅実な型を実行して相手の剣をまず受け止め、分析しながら反撃に転じていく戦法が得意である。
初手で痛手を受けなければ、こちらが有利――加えて、経験という埋められない差が如実に現れていた。
「お前の動きは悪くない。でも残念ながら、俺のほうが経験も力量も上だ」
「そうかい? 前はたったひと突きで転がりまわっていたのに、たいした自信じゃないか……」
「魔物だって学ぶもんだ。ほら――今回はこの通り、まだ切り傷ひとつ負っちゃいない」
肩をすくめて腕を広げると、隙ありと判じたらしい勇者が飛び込んでくる。
予想どおりの直線的な突進を難なく受け止め、エッドは涼しい声で言う。
「不利を感じた時は、降参か撤退を選択するべきだ。戦法は、また考えばいい」
「はっ……ご高説どうも。お忘れのようだが、僕は勇者だ。そんな恥をさらすくらいなら、その場で高潔に散ることを選ぶよ」
鼻にしわが寄り、エッドの口の端から白い牙が這い出る。
「“散る”ことを選んだのは――いや、“選ばされた”のは、お前の仲間たちだろ」
「!」
一瞬の動揺が、勇者の手から力を奪い去る。手入れされたエッドの剣先が、やすやすと細身の肩に食い込んだ。
「ッ!」
肩口を彩っていた金の刺繍が無様に破け、弧を描いて飛んだ鮮血が赤土を濡らす。
しかし傷口の様子も確認せず、若き勇者はエッドに静かに問う。
「……失礼。なんと言ったのかな」
「なに、ある勇者の“わがまま”に付き合わされて壊滅した一行のことを耳にしたもんでな。先輩としてひとつ、小言でも贈ってやろうかと思って」
言葉による精神の揺さぶりなど、剣士同士の戦いにおいては不遜な行為である。
王城に仕える気高き騎士なら、今のエッドを指差してそう非難したかもしれない。
けれど、エッド・アーテルは違うのだ。
昔も――そして、今も。
「どんな財宝や報酬よりも、まずは仲間の安全を第一に考えるのが仕事だ。勇者としても、パーティーを率いるリーダーとしてもな」
「それはまさか……この素晴らしい剣を手に入れた時の話かい? まったく……あの“裏切り者”は、それは悲嘆たっぷりに語ったんだろうねえ」
「聞かれたくない話だったか?」
エッドがするどく指摘すると、勇者は一瞬苦々しい表情を浮かべる。
しかしすぐさまいつもの芝居がかった笑みを貼りつけると、金髪を揺らした。
「君にはわからないだろうねえ。この聖なる剣が、不浄な洞窟の奥から僕を招ぶ感覚は。まさしく、困難の中から救いを求める民の声そのものさ。そんな哀れな存在を救いに行かずして、何が勇者だっていうんだい」
「俺がそんな理解不能な感覚に襲われたら、まっさきに聖堂へ行ってお祓いしてもらうけどな」
エッドが至極真面目に意見しているのが気に障ったのか、ライルベルは目を細くする。
失望したように頭をふると、玉のような汗が散った。
「僕は、選ばれたんだ。それ以来この聖なる剣は、いつも僕に魔物を殲滅するよう使命を下す。さきほども丁度、覗き見していた君のことを教えてくれたんだよ」
「それは便利かもな。けど“ひとりでに魔物を斬りたがる剣”ってのは、ウェルスじゃ珍しくないのか? 俺の大陸では、そういうのは“呪われてる”って言うんだけど」
「……。どこまでも不躾な魔物め」
裂けた肩口から流れていた血が、いつの間にか止まっている。お喋りに興じすぎたかと思ったエッドだったが、後悔はしていない。この件については、対峙したら必ず物申しておこうと決めていたのだ。
「とにかくだ、ライルベル――俺は、お前のやり方が気に食わない。自分を支えてくれた仲間を犠牲にしたこと、そしてそれを反省しないこと……そんな人物に“勇者”を名乗る資格はない」
「はっ、そんなことが言いたかったのかい? べつに、君に認められるために勇者をやってるんじゃない。せっかくの好機だったのに、無駄な時間を過ごしたね」
ふたたび煌々とした戦意を瞳に宿した青年に、エッドは笑って剣を構え直す。
「いいや、十分さ。気が晴れた」
「へえ? じゃあ、お引き取り願ってもいいかい」
「残念だが、それは断る。お前には、彼女は任せられないからな」
華のない、地味で堅実な構え――けれど、これで幾度も敵を跳ね除けてきた。
戦いに没頭せんとする脳が、隅々まで冴え渡っていくのを感じる。
「メリエール・ランフアを――返してもらうぞ!」
「……っ!」
エッドの剣を正面から受けた勇者は、踏んばりが弱かったのか数歩後退する。
「このっ……! 魔物め!」
彼の疾さであれば、避けてエッドの脇を獲ることも出来ただろう。
しかし血走ったその目は、もはや力ずくで獲物の首を刎ねることしか考えていないようだった。
「ああ、鬱陶しい……っ! 殺す――殺すっ! 滅してやる、穢らわしい亡者めっ!」
疲労による思考力の低下か、それとも彼を蝕む“聖なる使命”の仕業か――。
我武者らに振るわれる剣を受け流しながらも、エッドはそんな若者を冷静に見つめる。
「……」
自分の周りだけ、時が止まったかのようだった。
相手の動きがやけに大振りで、緩慢に感じられる――これは勝者となる者が味わう感覚だと、エッドは経験から知っていた。
命を奪う傷を与えるための剣筋が、すうっと勇者の身体に浮かびあがる。
この動線が視えたら、あとは現実の剣で撫でるように辿ればいいだけだ。
たったそれだけで人間は死に、冷たい身体だけが残される――
(待って!!)
「!?」
その声が思念によるものだったのか、耳元で叫ばれたものだったのかエッドには判断がつかなかった。しかし間違いなく、近い場所から上がった声。
エッドは思わず周辺に目を向けた。
「!」
その好機を見逃さなかった現役の勇者は、一歩退がると同時に柄を握り直す。
背中をしならせ、鞭のように細剣を突き出した。
「もらったッ!!」
しかし、そう何度も同じ手を食うエッドではない。
迷わずに首筋を狙ってきた剣は、亡者の身体を分断することはできなかった。
「……っ」
かわりに犠牲になったのは――かばうように突き出した右肩であった。
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